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「第16回 出生地主義」ケアリング・ストーリー

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 日本人とは誰か、というのは、とても一言では説明できない。
 日本人とは誰だろうか。日本国籍を持つ人か、日本国籍はなくても、日本人を先祖に持つ人か、日本に住んでいてこれからもずっと日本に住んでいたい人か、あるいは日本に住む、住まないにかかわらず、日本人でありたい人か、日本語を話す人か。議論はいくらでも深められると思うが、言葉の意味としては「日本国籍を持つ人」というのがわかりやすいか。それでは、その国籍は、どうやって持つことになるのか。
 そもそも国籍とはどのように取得するのか、というと、出生による取得、身分による取得、帰化による取得、があるのだが、最も多いのは、出生による取得である。この出生による取得には二種類、「血統主義」というのと「出生地主義」というのがある。
 自国民の子どもに自国の国籍を認めるのが、血統主義で、日本、韓国、ヨーロッパをはじめ、世界中の多くの国が、国籍付与にあたって、この血統主義をとっている。
 日本では、現在、父親でも母親でも、親のどちらかが日本国籍を持っていれば子どもの日本国籍が認められる。当たり前だろう、と思われるかもしれないが、実は日本は1985年までは父系血統主義であって、父親が日本人でないと、日本国籍が取れなかった。1985年までは母親だけが日本人の場合、日本国籍が取れないことになっていたのである。1985年の国籍法改正の時、女子差別撤廃の意味から、父系血統主義をやめることになり、日本人女性が母親であれば日本国籍は取れるようになったのである。
 2022年の今から考えれば、ふーん、1985年ねえ、日本も、昔はそんなことがあったんだったわねえ、と思うかもしれないが、実は1985年というのは、それほどに昔でもないのである。
 私自身が長男を出産したのは1990年のことであり、長男の父親はブラジル人だった。ブラジル国籍取得と同時に、日本領事館に届け出て、日本国籍も取ったのだが、実は、母親だけが日本人で、子どもが日本国籍を取れるようになって、たった5年しかたっていなかった、ということなのである。我がこととして考えても、なかなか大変なことであった。
 いっぽう、「出生地主義」というのは、自国で生まれた子どもに自国の国籍を認める、というものだ。世界の国の20%足らずくらいがこの出生地主義をとっていると言われる。親の国籍にかかわらず、その国で生まれた子どもは、その国の国籍が付与される、ということだ。アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、など、一見して南北アメリカの国が多い。アメリカで生まれたので、アメリカ国籍も付与された、という人は、日本でも少なくないと思う。これらの国々は、基本的には、移民の国であり、人口を増加させたい国々であったので、その国で生まれた赤ちゃんには全て国籍を付与することにした、ということであったようだ。現在でこそ、これらの国々の全てが人口を増加させたいという状態にあるわけではないが、出生地主義は続いているのである。
 子どもが生まれ、その子がその国の国籍を取ると、その親も多くの場合は永住権を得ることができる。私の息子たちの父親はブラジル人であるから、息子たちはブラジル国籍を付与されたので、出生地で国籍をもらった、というわけではないが、彼らがブラジル国籍があることで、母である私もまた、「ブラジル人の母」であることで、永住ビザを取得できることになっていた。出生地主義の国では、子どもは国籍を取れ、その親も永住できる。そういうことを目的に、アメリカで子どもを産む人は後を経たないと聞く。

 先日、日本で生まれた時から在留資格がなく、18歳になってようやく在留許可がおり、大学受験をしようとしている、という女性と話す機会があった。両親が海外から日本に来て、在留許可がない時、日本で生まれ、そのまま日本で育ち、日本の学校に通った。日本以外の国のことは、両親の国を含め、知らない。日本の普通の若い女性と変わることのない話ぶりで、助産師になる、という夢をつむいでいる。彼女の話を聞きながら、日本も血統主義から出生地主義で国籍を付与する国になってもいいのではないか、と唐突ながら、思った。何らかの縁あって、日本で産声をあげた子は、日本人になってもらおう、ということだ。
 問題はいろいろあることは承知している。しかし、日本の人口はびっくりするくらいスピードを上げて減少しているのだ。総務省が平成23(2011)年に出した「国土の長期展望」中間取りまとめ(注1)によると、我が国の総人口は、2004年をピークに、今後100年間で、100年前(明治時代後半)の水準に戻っていくのだといい、この変化は、千年単位で見ても類を見ない、極めて急激な減少である、とコメントされている。2100年の人口予測は高く見積もって6407万、低く見積もると3770万である。新型コロナパンデミックで出生数は減少しているから、人口予測はどんどん低い見積もりに近づいていくのかもしれない。
 2100年なんてあまりにも先すぎて、うまく想像できないという方もおありかもしれないが、今生まれた赤ちゃんたちが80歳になる頃であるから、言うほど先のことでもない。つまりは、私自身の孫が80になる頃である。もちろん私は生きていないけれども、私を記憶する人がまだ生きている頃である。そういう頃に、人口は3000万台になっているというのだ。
 まあ、今から80年前といえば、第二次世界大戦前のことであるから、ずいぶん昔という感じはするのだけれど、その頃を記憶する人はまだ生きている。80年というのはまさに一人の人生の時間なのだ。その、一人の人生の時間に、日本の人口は2004年のピーク時の3分の1くらいになってしまうのである。
 ここは、南北アメリカがなんとか人口を増やそうとして出生地主義をとったのと同じように、「なんとかして人口を増やす」ことを考えざるを得ない。焼け石に水かもしれないが、ここはもう、日本に来て赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんは国籍が取れますよ、というアピールをするしかない。きちんとした移民対策もできていないし、私たち自身が異文化と共生する心構えも能力も、あまりに低いままである。だからと言って心構えとか能力をつけていくだけで数十年かかるのだから、それを先にしようとしたら、間に合わない。心構えも能力も低いが、それでも、この国で生まれた赤ちゃんは全員日本国籍を付与しますよ、ということになれば、心構えも能力もつけていかざるを得なくなるのではないか。
 お産が減って、世界で最も優れていると思う日本の産科医も助産師も活躍の場が減り続けている。助産専攻の学生が実習をしようにも、お産が減り過ぎていて、実習できない。出生地主義をとりつつ、日本のお産を一件でも増やし、廃校になっている、あるいはなりかけている小学校に、一人でも多くの生徒に入ってもらう。日本で生まれて国籍をとって日本で育つ人を増やす、しかないのではないか。
 後80年経てば、さまざまな肌の色の、多様な民族背景を持つ人たちが日本国籍を取っている日本になるだろうか。なったらなったで、またいろいろな問題は絶え間なく起こることは、他国を見ていてもわかるのだが、ただ、減少する人口を前に呆然としているより、開かれた日本に向けて踏み出せれば、と思うのであるが。その一歩としての出生地主義、いかがなものであろうか。

(注1)総務省「我が国における総人口の長期的推移」「国土の長期展望」中間とりまとめ 概要(平成23年2月21日国土審議会政策部会長期展望委員会) https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf 2022年1月6日参照。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第3回  生活という永遠』はこちら

「第12回 からだにわるい」ケアリング・ストーリー

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