最新記事

「第12回 からだにわるい」ケアリング・ストーリー

ケアリングストーリーのヘッダーイラスト

 認知症になった当初は、わたしのことを、妻だ、と思って人に紹介していた父だが、だんだん、わたしがだれかもわからなくなった。晩年はグループホームのような小さな規模の施設にお世話になっていた。食事の時間に行って食事介助をするのだが、食べようとしない日があった。もう言葉は出ないのだが、食べようとしない。
 言葉の出ない父に話しかけるわたしは、「お父さん、食べないと、からだにわるいよ」と、言って、言うなり、自分のことばにあきれ、文字通り呆然として、いったい何を言っているんだ、わたしは、と思った瞬間を、そのとき父の着ていた服装とともに、あざやかに覚えている。
 からだにわるい? からだは十分にわるい。いったいなにを言っているんだ、いつからからだにわるいよ、という言葉は、こんなにたましいのこもらない言葉になったのか。ただそれは、こんにちは、とか、さようなら、というような、なんとなくでも言えるような言葉になったのか。
 いや、こんにちは、とか、さようならが、たましいがこもらない言葉であると言っているわけではないが、なんというか、顔を見ると口にしてしまう、というか、そういう言葉、という意味で……。いや、顔を見ると口にしてしまう、という言葉がたましいがこもらないのか、というとそういうわけではなくて……。
 だんだん歯切れがわるくなるが、要するに、「何も考えなくても、反射的に、口にされるような、関係性をなめらかにするための言葉」とでも言おうか。「からだにわるいよ」が、そういうレベルの言葉になっていることに、自分で驚いたというか、あきれたのである。食べないとからだにわるいよ。なに、それ。食べたくないなら、食べなくていいのに。こんなにもう、十分に生きて、いま、施設にいて、「具合はわるい」のに。
 糖尿病になり、血圧も高いと言っていて、大腸がんの手術も、心臓のバイパス手術も受けていて、それでもずっと運動が好きで、運動を欠かさなかった父だが、認知症になり、今や娘もわからなくなったというのに、なぜ、食べたくないときに食べなければならないのか。
 「食べないとからだにわるいよ」とはいったい、いつのからだのことを語っているのか。いま、のことであるはずがない、いまは十分にからだはわるくて、施設で介助を受けながら暮らしているのだから。いまのことではない。
 そして、いま、食べないとからだにわるいよ、は、「いま、この食べているときに具合がわるいんじゃないけど、将来、具合がわるくなる」という、わるく言えば「おどし」、好意的にみれば「将来を心配」するような言葉なわけだ。やれやれ。高齢で、さまざまな病気の果てに、認知症で、娘のこともわからなくなって、言葉が出ない人の、どの将来に向けて、「からだにわるいよ」というのか。ああ。
 こうやってずっとわたしは父に、あれこれうるさいことだけ言ってきたのじゃないのか。お父さん、あれ食べないほうがいいよ、これ食べたほうがいいよ。じつはどうでもいいことだったのではないか、それは。
 予防医学とリスクファクター分析と(自分の仕事もそういうものであったのだが。疫学、やっているから)の、果てに、一人一人の普通の市井の人々が、「あれがからだにわるい」、「これがからだにいい」とか言うようになったこと、まあ、それが健康教育の成果である、みたいな言い方もできるわけだけれども、そのことが自分のことから家族のことになるとき、なんとも言えない、あさましさというか、品のわるさというか、言わなくてもいいことだった、みたいな悔いを残すのを、なんと言えばいいのだろうか。
 食べないとからだにわるい、と同じくらい、わたしは父に、これ食べすぎちゃダメ、あれ食べちゃだめ、とか、言いつのっていたのである。当時、糖尿病のコントロールは、カロリー制限が最も大切である、というふうに言われていて、栄養士の指導も、そういうもので(今でもそうかと思うが)、とにかく、カロリー高そうなものは避ける、つまりは多くの人が長いことやっていたように、肉とか揚げものとか油脂とか甘いもの、とか、そういうものはあんまりたくさん食べないように、と言われていた。
 食糧不足を人生で経験したことのある人は、私は勝手にeating compulsiveと勝手な英語で呼んでいるのだが、要するに「食への執着」が強くなりがちである。
 食べられるときに食べておかないと食べられないときがまたくるかもしれない、というおそれとともに暮らすようなマインドセッティングになるから、食べるものに対してコントロールが効かない状態になりやすいんじゃないか、と思っているのだ。これ、思っているだけで、それこそ科学的根拠の出るような調査とかしていないんだけれど、適切な疫学調査をデザインすれば、そういう結果もおそらく出せるようなことじゃないかな、という仮説を持っている。
 それはともかく。
 父は、そういう世代の人であったので、どうしても食に執着があった。
 そういう人が糖尿病を発症すると大変つらいことなり、あれ食べるな、これ食べるな、と言われて、家族もそんなふうに思って、本人もたいへんしんどいことになってしまう。2012年ごろからだろうか、「糖質制限」がひんぱんに話題にのぼるようになり、糖尿病あるいはその傾向のある人がやるべきは、カロリー制限ではなく、糖質の制限である、ということが現場の医師の実践でも、医学論文上でも示されるようになってきた。糖尿病の人が制限すべきは一義的に糖質、つまりは、ごはんとか、芋とかパンとか、砂糖とか果物とか、いわゆる糖質の高い食べものであって、肉とか油脂とかは摂ってもさしつかえないらしい、ということに、わたしも得心がいき、世間で実践する人も増えてきたころには、父はもう、すでに認知症になって施設に入っていた。芋とかごはんとかパンとか、たくさんの野菜とか果物とか、食べていた父だったが、そういうものより、もっと好きだった肉とか揚げ物とか食べさせてあげればよかったなあ、と、娘は思ったが、もう、遅い。
 そういう果てでの、「お父さん、食べないと、からだにわるいよ」の冒頭のこと、だったのである。
 いやあ、もう、どうでもいいことばかり、父に言ってきた娘だったな。お父さん、ごめんね。
 それでは、家族として父に何も言わなければよかったのか、というと、そうは思えないところがなんとも言えない。元気なときは、あれ食べるな、これ食べるな、と口うるさいことを言い、認知症になって何もわからなくなってからは、食べないと「からだにわるいよ」と言ってしまう娘は、どうすればよかったんだろう、と、今も、わからない。
 食は何より生きる喜びの一つであり、食べたいものを食べたいだけ食べるのが、幸せなのだと思うが、この依存性の高い精製糖質と添加物の多い食品が多く出回るいま、食べたいものを食べたいだけ食べていたら、その依存性のわなに落ち、やっぱりかなりの問題がある、と、習い覚えた知識がわたしに言うのだ。
 それでもなお、人の食に口を出したり、食べられなくなった父に、「からだにわるいよ」とか言ったりする自分のすがたを、いまは、深く反省して、仏壇に手を合わせている、としか言うことがない。
 その反省をもとに、さて、どのように生きていけるのであろうか。答えはまだない。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第3回  生活という永遠』はこちら

「第3回 生活という永遠」ケアリング・ストーリー

 

関連記事

ページ上部へ戻る