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1.142022
「子どもの本のひろば」に『わかな十五歳』著者わかなさんが寄稿されました
「北海道子どもの本連絡会」が発行する会報「子どもの本のひろば」に、『わかな十五歳』のわかなさんが「自作を語る」を寄稿しました。
自作を語る「生きる覚悟と希望の光を求めて」 わかな
「もう朝なんて二度と来なければいいのに」そんなことを考えていた高校生のあの頃の自分がようやく少しずつ癒されてきたような気がしています。
『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』が今年の3月11日に出版されて早5ヶ月以上が経過しました。
私は10年前福島県伊達市というところに住んでいました。東日本大震災と原発事故を経験し、2011年5月には山形県山形市に家族で自主避難、2018年に北海道札幌市に単身で移住しました。今回執筆した本はこんな数文字にしか満たない経歴の中にある「様々な経験」を記したものです。
私は自主避難して高校生活が始まってから、死にたいと毎日思っていました。勉強する意味も、生きている意味も分からなくなってしまい、私は毎日ただただ「生きること」に精一杯でした。
みなさんはあれから10年がたってどうですか? 被災地のこと、原発事故のこと、考えたりしていますか? オリンピックが開催されていますが、まだこの国は原子力緊急事態宣言が解除されていません。まだ何も終わっていないのです。前首相が「アンダーコントロール」という言葉を使い、あたかも原発事故が収束したかのように話しました。あったことをなかったことにして、「復興五輪」という名のもとに誘致に成功したのです。しかし、その結果、どうなったでしょう。原発事故のみならず、コロナ禍での悲劇も見て見ぬふりして突き進んでいるのです。
始まってしまったものに文句を言うもんじゃない、現実を見ろ、と諭す人もいますが、私はそうは思いません。そもそも、目の前で起こっていること(起こったこと)から目を逸らしている、という前提の上で物事が「始まって」いるのです。現実を見ろ、はこちらのセリフです。
私は当時15歳という多感な時期に原発事故を経験しました。その中で経験したことを私は無かったことにしたくないのです。もちろん忘れてしまえばどれほど楽だろうか、と思い、もう二度と朝が来なければいいのにと死を考えた夜も今まで何度もありました。しかし、私は忘れることも、そして死ぬこともせず、ここまで「生きて」きました。
あれから何が出来るのか考えながらも何も出来ずに10年がたってしまった、という人もいるかもしれません。そんなあなたにこの本を読んで欲しいです。それは「あったことをなかったこと」にしないために。あの時何があったのか私の本を通して知ってもらいたいからです。そして、この本をそっと誰かに渡して欲しいです。生きることが辛い、今の日本が息苦しい、何かしたいけれども無力感に苛まれている、そんなことを考えている大切な誰かに。大切なあなたと、そしてこの本を読む1人でも多くの人が「自分の足で」立ち上がり歩く「覚悟」と、「希望」を見つけてくださることを心から願っています。
「子どもの本のひろば」第158号(北海道子どもの本連絡会、2021.10.23)より転載
北海道子どもの本の連絡会
https://hkodomonohon.wixsite.com/renraku