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「第11回 生理学的プロセス」ケアリング・ストーリー

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 1990年代半ばごろのことだっただろうか。飛行機に乗っていた。ブラジルからロンドンに向かうフライトだったと思う。
 その頃、北東ブラジルの町に住んで、母子保健の調査や国際協力の仕事をしていて、時折、ロンドンの大学に仕事に行っていた。インターネットによる情報検索、ということがまだはじまったばかりで、たとえば、医療関係の論文をネットで検索する(いまはもう、どこからでもできる)ということができないから、調べなければならないことがあれば、それだけのためにロンドンに行ったりしていたのである。今となっては信じられないけど。
 で、ブラジルからロンドンのフライトでは、日本語の新聞があるはずもないので、機内でInternational Herald Tribuneという国際紙をながめていた。一面の端の、あるアメリカ人女性の投稿とそのレスポンスに目がいった。
 アメリカ人女性は、夫の仕事の都合で日本に住んでいて、妊娠し、お産をする病院を決める、ということになった。日本でお産をすることになったのだが、アメリカならどこでもできる「無痛分娩」をやらせてくれる、という病院が見つからない。なんということだ、アメリカではあれほど、常識になっているのに。「無痛分娩」ができないなんて、日本はなんと遅れているのだろう、「無痛分娩」をするのは、女性の権利だと思う。全く困ったものだ、ひどい国にきてしまった……みたいな、日本のお産の現場をほぼ罵倒するような投稿だった。
 それに対して、アメリカ人ドクターが返事していた。

 日本で無痛分娩をする病院がなかなか見つからないのは、日本が遅れているからではなく、日本はアメリカよりPhysiological process of birth、生理学的プロセスに基づくお産を、大切にしているからなのです。必ずしも必要とは言えない医療管理でのお産が当たり前になっているアメリカのほうが、女性のからだと潜在能力を尊重していない。より女性の産む力を生かし、赤ちゃんの生まれる力を生かそうとしている日本のお産の良さをあなたがわかってくださるといいと思うのだが……というような内容だった。

 答えているドクターの名前を読んで驚いた。Dr. Marsden Wagner、マースデン・ワグナー氏、WHO(World Health Organization: 世界保健機構)ヨーロッパ事務局の母子保健部長をやっていたこともあるアメリカの公衆衛生医であり、科学的根拠から、自然なお産を推奨し、助産婦(当時)の働きを再認識し、上記の「生理学的プロセスに基づくお産」について積極的に発言していた人であった。個人的にも親交があり、当時ブラジルで関わっていたJ I C A (Japan International Cooperation Agency:当時は国際協力事業団、現在は国際協力機構)の「出産のヒューマニゼーション」プロジェクトにも加勢してくれていた。
 空の上で読む新聞で、たまたま自分が関わっているようなお産の話が出てきて、しかも回答者がワグナー氏であったことにとても驚いたし、運命のようにも感じたことを覚えている。
 アメリカではそれほど「無痛分娩」が進んでいる、ということは、噂には聞いていたが、そういうものなのだな、と、改めて認識することになった。

 当時、既にアメリカやフランスでは、「無痛分娩」として知られる硬膜外麻酔によるお産がすでにとても多くなりつつあった。
 出産の痛みを人間の原罪、ととらえる西洋社会では、「痛み」を避けることができる方法は画期的、と考えられていたし、女性解放の一端のようにもとらえられていた。それが日本で広まらないのは、「日本はお腹を痛めて産んだ」ことを尊重する風潮があるから、といわれたりしていたが、そういう話ではなく、ワグナー氏のいうように、むしろ、もともとからだに備わる力を生かし、生理学的プロセスを大切にすることこそが、産む女性と、生まれる子どもをまもることであることに、日本の助産師も産科医も静かな確信を持っていたからなのだった。
 国民皆保険の日本で、「出産」は医療保険の対象ではない。「出産」は、病気ではなく、健康な人間の健康な営みの一環なのであるから、対象になっていないのである。妊娠出産にかかるお金は、別のシステムで支えられるようになっている。

 尾篭な言い方で申し訳ないが、「自然な排泄」はきもちいいけど、寝かされた姿勢でおむつに排泄するのはなかなかきつい。
 お産だって、同じなのである。
 からだにあるものをからだの外に出す、という意味において、排泄と出産には共通点があることを、助産師たちも産んだ女性たちも、感覚としてわかっている。自然な排泄がなによりきもちよくからだによいように、自然なお産もまた、きもちよく、お母さんにも赤ちゃんにも利点が多い。
 あたりまえだ。太古からそのような営みだったからこそ、人間がここまで続いてきた。出産の生理学的プロセスを大切にする、とは、人類のここまでの歴史を肯定する、ということでもある。
 人間のやることだからリスクをゼロにすることはできない。医療システムが整備されていれば、多くのリスクに対応できる。一方、麻酔にも、またリスクがある。
 ワグナー氏は、最初から麻酔をかけて医療介入ありき、のアメリカのお産のあり方こそに問題があり、生理学的プロセスを尊重する日本の女性たちや、産科医、助産師たちに心からの敬意を抱いていたのである。

 それから30年近く経った。
 ワグナー氏は、鬼籍に入り、世界のお産関係者が心よりの敬意を持って眺めていた日本のお産の現場も、変わった。日本では、もともと、どういう場所を選んでどんなお産をするか、は、世界で一番多彩なオプションがあって、自分で選べるようなシステムになっているから、「無痛分娩」も、結果として選べるようになった。
 少子化が進み、出産年齢が上がり、女性の社会進出も進んでいった。若い女性たちが憧れるような華やかな仕事につき、「ばりばり」仕事をしている女性たちが、「無痛分娩」を選ぶようになった。
 東京のさまざまな、お産で有名な大きな病院でも、「無痛分娩」はごく普通のこととなった。冒頭に書いたアメリカ人女性が、いま、日本に来れば、まったく問題なくアメリカと同じように産むことができるだろう。

 「無痛分娩」は、本当に無痛なのか。お産の痛みは、感じないことがいいのか。麻酔をかけるのだが、そのリスクはどうなのか。
 生まれてくる赤ちゃんは、自分で生まれる時期を決めてお母さんにサインを送っている、といわれている。お産は母と子のやり取りの中で進んでいくことをお産のプロはみんな知っているが、そういうことより、麻酔をかけたほうがいいのか。産んだあとの回復はどうなのか。「無痛分娩」は、名前が魅力的で「そりゃあ、誰でも痛くない方がいいわよね」と思いがちだが、ほんとうは、どういうプロセスで、どういうお産になるのか、産む人は、よく知る努力をしたほうがいいと思う。
 アメリカやフランスでやっていることにずいぶん我々は憧れてきたわけだが、ふたをあけてみると、日本でやっていたことのほうがすぐれていることなど、たくさんあることにも、もう気づきつつある。
 名前だけにとびつかないで、お産とはどういう経験なのか、どういう経験でありうるのか、お産の安全とは、だれかにもらうものなのか、今となっては、人生で多くて数回、ということになっているお産の経験を大切にしてほしい。
 自然な出産がしたい、母乳で子どもを育てたい、という太古から人間がやってきたことを大切にしたい人たちは、少数派の正統派であるが、いまや、むしろアメリカやフランスの方に、そういう人があらわれてきているようだ、と開業助産師が嘆くような日本になってきているという。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第9回  子どもに選ばせる』はこちら

「第9回 子どもに選ばせる」ケアリング・ストーリー

 

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