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35年目のチェルノブイリデーによせて わかな

 今から35年前の4月26日、チェルノブイリという町にあった原発で、原子炉が爆発するという重大事故が起きました。
 「北半球全体を覆った放射能による死者数は約100万にのぼり、その環境被害は現在も進行中」*と言われています。

 先月、『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』を出版したわかなさんが、札幌市から中継された「35年目の4.26チェルノブイリデー市民集会」に寄せたメッセージをご紹介します。

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 チェルノブイリ事故から今年で35年です。この35年の間に福島県で原発事故が起こり、いわゆる、チェルノブイリ法日本版が制定されることもなく、10年が経過しました。
 私たちは一体歴史から何を学んできたのでしょうか。

 私は3.11当時は15歳で、福島県伊達市というところに住んでいました。原発事故がおこり2011年5月に山形県に家族で移住し、2015年の5月に北海道に単身で移住しました。
 あの日から10年が経過しても、区切り、節目などありません。あったことをなかったことになどできないのです。
 昨年末、寿都、神恵内で核のゴミ受け入れに関する話題が持ち上がったことをきっかけに、それまでどこか他人事だったことも、自分事として置き換えて考えるようになった方も少なくないかもしれません。
 次世代のために核は必要、核を管理する場所は必要、と言う人もいますが、その次世代の中に含まれるであるはずの「私」は、この論に疑問を抱いています。
 安全性がたしかでないものをどうして「次世代のために」作り、動かし、管理しなければならないのですか。どうして、危険な核を受け入れたの? とこれから子どもに尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
 私はまさに10年前から、この疑問を感じてきました。
 なぜ、事故は起こったの。
 どうして、誰も止められなかったの。
 どうして、安全だと言えないのに、そのまま見て見ぬふりして突き進もうとするの? 誰がこれを管理するの? 誰が責任をとるの? と。

 私はずっとずっと、この問を答えを求めて活動しています。そして、一緒に想像して、行動して欲しいというおもいで、活動をしています。

 私は2018年から自分の経験を話す講演会活動を本格的にはじめ、先日3月11日に本を出版しました。この中にも書かれているエピソードの1つを紹介します。

 私は福島から逃げた時、15歳でした。あの時、私は福島県で通っていた高校の教師から「お前が行くと風評被害が広まる」と言われました。
 放射能汚染による内部被ばく、という実害から逃げるためにとった行動を「風評被害を広める」と言われたのです。
 あなたはこれをどう思いますか。
 もし、万が一、核のゴミがあなたの住んでいる場所に運ばれてきて管理することになったらあなたはどうしますか? 逃げますか? 留まりますか? もし、逃げて「風評被害を広めた」と揶揄されたらどう感じますか。放射能を恐れるという不自由な生き方から脱して、安心して生活できるようにしようとしているのに、どうして責められなければならないのか! と思うのではないでしょうか。
 私は原発の問題は、環境問題、エネルギー問題、というよりも人権問題ではないかと思っています。人が安心して、幸せに暮らしていくという権利を脅かす原発も「核」もいりません。
 もう二度と同じ悲劇を繰り返さないために、様々な形で行動し続けることに意味があると私は思います。
 私は講演会をしたり、こういった場所で話をしたりするとよく他人事のように「頑張ってね」と言われることがあります。その度に「あなたも頑張ってください」と伝えるようにしています。
 後のことは若い人たち、次世代によろしく、と任せてしまうような「誰か任せ」の社会の構造も生き方も、いい加減にかえていかなければなりません。
 変わることはエネルギーを必要としますが、1人で変わるのではなくみんなで少しずつ変わっていけば一人の人だけががんばる必要もなくなります。
 それぞれの行動が必ず未来に繋がると、私は確信しています。
 どうか皆さんも、どんなことでもいいので行動してください。ともに素晴らしい未来を想像し創造していきましょう。
 ありがとうございました。

*注
『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店、2013)より引用。

【3月11日発売】わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11 特設ページ

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