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『生きたいように生きる〜移動の自由〜』安積宇宙

 表面が荒い大きめの石畳に、数歩進むたびに車イスの前輪が引っかかる。その度に近くを歩いていた人がスッと車イスの前を持って引っ張ってくれて、進めるようにしてくれた。お礼をいう間もなく、パッと去っていってしまうのは、コロンビアの首都・ボゴタの人たちだった。とにかく、すぐに引っかかるので、そんなことが一度だけでなく、一日に何回もあった。彼・彼女たちの手を貸してくれることへの抵抗感のなさが、気持ちよかった。

 ボゴタには、友達に会いに行ったのだけれど、せっかくだから観光もしようということで、一日街を巡るツアーに参加することにした。ネットで調べてみたらいろんなツアーの種類があって、そのうちの歴史とアートを巡るツアーに参加することにした。集合場所に到着したら、元気なツアーガイドのお兄さんが集まってくる人の中心に立っていた。私たちに気がついて、「ツアー中は、僕の近くにいて。そしたら、行くのが難しいところとかがあったら、僕と周りの人で君の車椅子を運ぶの手伝うから」と声をかけてくれた。

路地

ボゴタの路地裏、建物の壁一面がアートになっている

 実際にツアーが出発すると、引き続きの石畳の道とさらに、狭い石造りの階段や大きめの段がある広場など、なかなかバリアだらけだったのだけれど、その度に、先頭にいたガイドのお兄さんと周りの人たちが一緒になって車椅子を持ち上げたり支えたりしてくれて、一日一緒にツアーを巡ることができた。ボゴタの石造りの街並みは時に重々しい雰囲気のところもあるけれど、カラフルな壁や絵や旗などがそこここにあって、時にはおもちゃ箱の中を歩いているような気分にもなった。

車椅子の補助をしてくれる男性二人

ボゴタの展望台でスタッフの人たちが車イスを抱えてくれた(ツアーとは別の日)

 私は車イスでどこへでも行く。それは、私の母・安積遊歩や彼女の仲間たちが、体を張って日本の公共交通機関をバリアフリー化させてきてくれたからこそ、できることである。同じ障害を持った母の元に生まれてきた私は、車椅子を使って生きるロールモデルがあった。物心ついた頃から、母が駅で、駅員さんにどの電車に乗りたいか伝えて、時には出発時間や、どこの号車に乗りたいかなどの交渉する姿を見てきた。私たちは、冷房に弱い体質で、夏の電車の冷房は厳しすぎるから、弱冷房車に乗りたいというと、「お客様には決まったところに乗っていただかなければなりません」と言った答えが返ってきて、それにまた交渉するということがあった。

 幼心に、わざわざ交渉しないで、言われたところに乗っちゃったほうが楽じゃないかって思ったことだってあった。でも、大人になって母抜きで移動するようになって、自分がどうしたいか、自分の言葉で伝えることができているのは、母が交渉している姿を見てきたからだということに気づいた。そうなって、母に対して「また交渉してる…」なんて感じていた自分が恥ずかしくなった。
 バリアがある場所であろうとも、周りの人たちを巻き込んで、一緒にどうやったらそのバリアを超えられるか挑戦してきた先人たちのおかげで、私も自分が好きなところへ行くことに、全く躊躇なくここまでこれたのだ。そして、私だけでなく、そうやって生きてきてくれた人たちのおかげで、国連でも障害者権利条約が作られ、日本も加盟国の一つだ。

 国連の障害者権利条約のユニークな点は、先住民の権利条約や他のグループの権利条約と違い、そのグループに特定する権利を求めるのではなく、障害を持ってない人たちがすでに持っている人権を、求めているというところだ。
 例えば、障害者権利条約の第九条は、公共の場のバリアフリーを求めている。この条約は、「障害があるからしょうがない」というマインドセットから抜け出すことを後押ししてくれる。今までに162カ国がこの条約の加盟国となっている。でも、この条約が完全に実現されるまではもう少しかかるだろう。だからこそ、私たちが生きたいように生きるのは、この条約の実現を進めることにつながっている。

「第1回 なつかしい始まり」

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