ブログ

第21回 やわらかいからだ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
生きているから、あたたかい

今、あなたは生きている。

生きているってどういうことでしょう。

話ができること、笑えること、相手にまなざしを向けられること、誰かを好きになれること、誰かを嫌いになれること、喜ぶこと、悲しむこと、悩むこと、生きているってそういうことかな。

人生を50年とか60年とか生きてくると、周囲で訃報を聞くことが増えてきます。

誰かが「亡くなりました」という知らせです。

私は今60歳になるちょっと前。誰かが突然なくなる、というニュースが入ってくることが珍しくなくなってきました。

一昨日、一日を一緒に親しく過ごしていた方が二日後には亡くなった、とか、せっかく40年ぶりに再会できたのに、二度会う前に、突然亡くなった、とか。

もちろんもっと若い頃にも突然の友人の死に衝撃を受けたことはあります。あなたも若い方だと思いますが、突然親しい方を亡くす、という厳しい経験を、もう何度かなさっているかもしれないですね。本当につらいものです。

それが人生60年くらいになってくると、そういった知らせを聞く頻度が比べものにならないくらい上がっていくのです。

長く生きていく、ということは、周囲の死に向き合うことでもあります。80歳くらいになると、友人がどんどんいなくなっていく、とうかがいます。想像がつきます。

誰か近しい人の死に出会い、死んだ方のかたわらにいたり、死んだ人にふれたりしたことがあればご存知だと思いますが、死とは、冷たいものです。

心や感情の問題ではない、物理的に「冷たい」のです。

この世の中にこれほど「冷え冷え」としたものがあるのかな、と思うほどに「冷たい」。死とは、冷たくなること、生きているとは、あたたかなからだがある、ということです。

死んだ人が大好きな人だったら、寄り添ったり頬を寄せたり抱きしめようとすることもあるのだけれど、冷たいからだはあたたかくならない。あたたかいのは、私たちのからだだけです。

生きているから、やわらかい

あなたのからだはあたたかいだけじゃなくて、やわらかいですよね。

ふれると気持ちいいのはあたたかいだけじゃなくて、やわらかいから。

死ぬと、このやわらかかったからだがかたくなります。

死ぬというのは、やわらかかったからだが少しずつかたくなってしまうこと。

赤ちゃんの時は本当にやわらかくてふわふわしていたからだが、大人になるにつれ、かたくなっていくのは、文字通り少しずつ死に向かっている、と言えなくもない。

かたくなっていくからだを少しずつでもさすってゆるめたり、体操をしてほぐしていったり、お風呂につかってやわらかくしようとすることは、生きている間のからだは、できるだけやわらかいほうが快適だ、ということをみんな知っているからです。

私たち、生きている人間の体がやわらかいのならば、あたたかくてやわらかいからだは周りにいる大好きな人たちと、そのあたたかさを確かめあいたい。やわらかさをわかちあいたい。そこにあるあたたかでやわらかなからだを、自分のあたたかでやわらかなからだでふれていたい、抱きしめていたい、というのが、人間の最も根源的な欲望の一つである、と思います。

いつか死が訪れるとしても、今、このからだがあるうちは、このからだを使って、愛する人と、できうる限りこのあたたかさとやわらかさを、分かち合いたい。

それが性欲、というものです。

恋人同士がまずやること

大好きな人とはちょっと手がふれるだけでどきっとする。

大好きな人の手はどんな形をしているでしょう。

ごつごつしているかな、すべすべしているかな。指は細いかしら、節がしっかりしているかしら。

手と手のふれあいは肌が直接ふれるから、まずそのあたたかさとやわらかさを感じることができる。

手をつなぐ、というのが、恋人同士になったらまずやりたいことであるのも、「手」が、からだで一番、むき出しの皮膚としてさわりやすいところにあるからです。

ぎゅっと抱きしめて、抱きしめられたら、そしてずーっとそうしていたら、服の上からでも、相手のあたたかさがだんだんと伝わってくる。特に風の冷たさを感じはじめる秋口や、外に雪が舞うような冬に、大好きな人と服を着たままでもしっかり抱き合って、相手の体を感じることの幸せは、何ものにも代えがたいものです。

ましてや、服を脱いで肌と肌がふれあうように抱きしめ合うことのすばらしさを、あなたは想像できるでしょうか。

人間のからだには、他の多くの陸上哺乳動物が携えているような「毛皮」がありません。毛に邪魔されることなく(動物の研究者によると、「毛」もそれなりに気持ちのよいものだそうですが)、皮膚が直接ふれあう。

「手」だけ握っていても十分にうれしいのだけれど、からだに何もつけずに肌と肌でふれあうことで、相手と体温や匂いを分かち合う。

それは、今、生きているという喜びをからだで感じる瞬間です。

この世の中に生まれてきたあなたに、何よりの贈り物のような経験になるでしょう。

つながる喜び

皮膚は、私たちの内面と外を分かつ境界のようなもの。この境界を通してでも、もちろんあたたかさとやわらかさを十分に感じることができて、私たちは幸せになれます。

しかし、私たちのからだには、自らの内側に直接つながる部分があります。

からだにあいている「穴」の部分は全て、自分の内側とつながっているのです。

どこに穴があるかしら。いろいろありますよね。

口、鼻の穴、耳の穴、目、もそうかな。おしっこの穴、ウンチの穴、赤ちゃんが出てくる穴。

全ての穴は、あなたの内部とつながっている。

その穴の多くは「粘膜」で、まさに、自分の内側がそのまま感じられるようなところです。内側と外側の境界の皮膚がふれあうことも気持ちがよいけれど、境界のない粘膜、がふれると、それはもうあなたの内側が相手と一緒になるようなものですから、それはそれはうっとりする経験なのですね。

キス、ってロマンチックですよね。

とりわけ口と口のキスが恋人たちの象徴として映画でも、絵画でも、マンガでも、小説でも登場するのは、そういうこと。

あたたかさとやわらかさは粘膜で一層つよく感じられるので、生きている喜び、お互いが生きているという実感を増幅させてくれるのです。

セックス、とは、そういうお互いのあたたかさとやわらかさを分かち合うために人間がやることの、最もすてきな行為の一つ。

人間が自分の世代だけで終わらないで、次の世代につなげるためにやっている行動は、このからだのあたたかさとやわらかさを分かち合う、限りない喜びに満たされているのです。

さて、女のからだはやわらかくてあたたかい。

男のからだもあたたかいけれど、女のからだはもっともっとやわらかくて、あたたかい。

あなたのからだは大切にされ、愛されるべきものです。

女の子であるあなたのからだは、女性ホルモンの働きで、大人になるにつれ、どんどん女らしく、女としてやわらかなからだになってもゆきます。

どうか、急ぐことなく、あなたがあなたの大好きな人にあなたのやわらかくあたたかなからだを愛される日が来ること、そしてあなたもそのやわらかなからだで愛する人を抱きしめる日が来ること、を楽しみにしていてください。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る
mitsui-publishing