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「第18回 若い人」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

 イタリアアルプスの南麓にコモ湖は細長く二股に分かれ、長い足の一跨ぎでスイス側へ行こうとしているように見える。何年か前にこのコモ湖へ行ったとき、私はユースホステルに泊った。コモ湖が見渡せるということで決める気持ちになったのだ。そこでフランス人の若いカップルに出会った。特別親しくなったわけではなく、お互い、同じ日にホステルに到着し、決められたチェックインの時間より二時間も早かったためテラスで時間をつぶさなければならなかっただけのことだ。私が彼らのバックパックの番をすることを申し出ると、彼らは喜んで散策に出かけた。フィリープとシモーヌだった。二人が同じ大学の学生であることがその時の短い会話で分かった。フィリープは赤毛で、伸ばしている髭の方も赤かった。背が高く、半分髭で隠された面長な顔の中に人なつっこい青い目が印象的だった。ホステルでは彼はいつも目立った。のっぽで赤毛だったせいだろう。とても魅力的だった。シモーヌは、ブロンドの長い髪を無造作に後ろで一つに束ねていた。彼女のブロンドの髪と陽に焼けた素肌とは美しく健康的に調和していた。彼女は一瞬見た目には目立たない感じだった。ところが、その顔立ちにはどうしても、もう一度振り返って確かめてみなければならないような美しさがどこかに隠されているようであった。私が何度目かに彼女を見たときに思ったのは、この女性の数年後の美しさはいかばかりだろうかという感歎であった。彼女の動作も話す様子も若さに似合わなく落ち着いていた。それでも顔立ちには幼さが残っていて、成熟した女性としての美しさが表面に出るのが彼女自身の性格の慎ましさゆえに遅れているという感じだった。
 二人とはホステルの初日に僅かに会話しただけで、その後は話すこともなかった。それに私は彼らよりずっと年上で仲間になるのは不釣合いだった。それでも朝食や夕食の時、ホステルの広いラウンジのどこかに彼らがいるときは注意を向けた。ホステルには若い人も中年のカップルもいたが、フィリープとシモーヌは私の目には、たくさんいる泊り客の中でとびきり魅力的で気になる存在だった。
 ヨーロッパのユースホステルはたいてい男女混合である。私は余分に払って個室を選んだので、十人ぐらいが寝泊まりするドミトリー(ベッドのある大部屋)とはどんなものかとちらっと覗いてみた。大部屋に二段ベッドが二列に向き合って並んでいる。ドミトリーを経験してみたいという好奇心はあるが好奇心止まりである。
 ヨーロッパでは、恋人同士でもない、ただ友人という若い男女が、一緒になって旅行するということがよくある。性の違う旅の道連れが居ると補い合って便利なことが多いと聞いた。

 二日目か三日目の午後のことだった。ホステルに泊っている若い女性がラウンジでフィリープにカメラのシャッターを押すように頼んだ。ホステルのラウンジはコモ湖に面していて、そこで過ごすことは気分が良かったので、いつも人が絶えなかった。大きなテーブルがあり、泊り客はコーヒーを飲んだり、旅日記をつけたり、葉書を書いたり、地図を広げたりする。泊り客が残していった本なども本箱に収められていた。この女性が他の誰でもなくフィリープにシャッターを頼んだのは彼を選んだ印象があった。彼女は一人旅のようだった。コモ湖を背景にした写真を撮った後、フィリープとシモーヌとこの女性の三人は長く話し込んでいた。フランス人同士だったのかもしれない。一人旅の女性は、黒髪で人目を引く美人だった。本人自身もそれがわかっていない筈はないと思われた。彼女の存在そのものが私には何か大胆不敵とも挑発的とも思われた。ホステルのラウンジで朝食と夕食の時、彼ら三人が一緒なのを時々見かけた。

 黒髪、ということで私には思い出すことがあった。英国の桂冠詩人、テッド・ヒューズは黒髪の、美しい女性アッシアと出会い、彼女に惹かれたことから彼の妻、やはり詩人のシルヴィア・プラスを自殺に追い込むことになったことである。プラス自身も自分の夫とアッシアの出会いのケミストリーを即座に感じ取ったらしい。
 プラスが自殺して、ヒューズとアッシアは一緒に暮らし始めたが、六年後にはアッシアもまた前妻プラスと同じ方法で自殺している。ガス自殺だった。しかもアッシアの場合はテッドとの間に生まれた四歳の娘を道連れにした。
 アッシアはドイツ生まれで父親がユダヤ人だった。第二次世界大戦が始まる直前に、当時イギリスの委任統治領だったパレスチナに移住し、紆余曲折を経てロンドンに住むようになりテッド・ヒューズと出会っている。
 この世には罪な美しさというものがある。アッシアの写真を見ると、彼女の美しさに謎めいたものが感じられる。大胆さと脆さとが背中合わせのような。ナチから逃れたという稀な経験も彼女の醸し出す雰囲気に一役かっているのかも知れない。
 テッド・ヒューズの次の詩「夢想家」はアッシアとの初対面の印象と言われている。

夢想家

僕たちは彼女を見つけなかった―彼女の方が僕たちを見つけたのだ
彼女は嗅ぎあてた
官能的に謎めき少しばかり堕落して
そこに腰かけていた
……
僕は彼女の中に夢想家を見た
僕に恋して知らないでいる夢想家を
その瞬間、僕の中の夢想家が彼女に恋をした
僕の方はそれを知っていた

Ted Hughes Collected Poems  Faber and Faber Limited 2005, 筆者訳

 二行目の「嗅ぎあてる」は原詩ではsniff outであり、動物が獲物を嗅ぎあてる、 刑事が犯罪解明への手がかりを直感的に嗅ぎ取るという意味で使われる語である。テッドがアッシアに初対面で感じた魅力を詩人のシルヴィアが感じなかったとは到底考えられない。ここでは二人の女性が動物か刑事のように避けがたい運命を嗅ぎ取っている。夫のテッドを良く知っているシルヴィアは、自分が死ぬことをこの瞬間すでに予期したに違いない。時間というものは不可逆であり、「会う」ということが起こったら、「会わない」に戻ることはできない。テッドが引き起こした悲劇であるが、想像力に恵まれた人ほど、相手の印象や風貌に思い入れが深くそれは自分が作った罠にはまるようなものだ。テッド・ヒューズが亡くなった時、アイルランドの詩人、シェイマス・ヒーニーが寄せたユーロジー(故人を讃える辞)にはsavage talentという表現が使われていた。「野蛮な才能」と訳せるだろうか。それはヒューズの詩の才能と同時に、二人の女性の死をも含んでいたと私は思っている。

 私にはアッシアに似たこの黒髪の女性が若いフランス人のカップルに一抹の影を投げかけたように思われた。私がこの湖畔のホステルを離れる日の朝、三人は同じテーブルに一緒にいた。黒髪の女性がフィリープに住所かメールアドレスを聞いたらしく、彼女の手帳が彼に渡され彼はそれに何か書きつけていた。シモーヌは終始静かであった。
 私がホステルに着いたと同じ日にフィリープとシモーヌが着いたのであった。そして、ここを出る日もまた同じになった。ホステルのドアの外で彼らは縦長の重いバックパックを助け合って背負うところだった。同じ場所で出会い、同じ場所で別れることになった。「いい旅を続けてください」と私は言った。彼らはそろって微笑んだ。シモーヌの顔に私は初めて会った日にはなかった愁いを見たように感じた。それは私の思い過ごしだろうか。もし思い過ごしでなかったなら、その愁いはこれからの旅で、あるいは人生で、彼女に起こる一つ一つの出来事と同様に彼女を鍛え、夏の陽射しに焼かれた肌のように彼女の美しさの一部となることだろう。私はそう考えて、湖岸へ向かう坂道を降りて行く若い人を見送った。

参考文献:
The Life of a Poet Elaine Feinstein  Weidenfeld & Nicolson 2001

津川エリコ近影

津川エリコ
北海道釧路市生まれ。ダブリン在住。『雨の合間』(デザインエッグ)で第55回小熊秀雄賞受賞。小説「オニ」(『北の文学2022』所収、北海道新聞社)で北海道新聞文学賞受賞。著書に詩集『アイルランドの風の花嫁』(金星堂)、随筆集『病む木』(デザインエッグ)があるほか、詩集アンソロジー”Landing Places”, “Writing Home”, “Local Wonders”(いずれもDedalus Press)に作品所収。

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