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「第17回 夜明けのクッキング」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

 私の朝は早い。かつては四時だったが今は五時になっている。齢が進むとともに早起きになる人は多い。時計に促された何十年間もの生活に疲れ、日の出と日没に合わせて生活した太古の狩猟採集者の習慣が戻ってくるのかも知れない。朝の静かな時間に一人、キッチンで過ごすのはなかなか気分のいいことだ。

 アイルランドの夏の一番日の長い頃、四時には既にカーテンの外の世界がほんのり明るい。目が覚めて、カーテンの外が明るいということで起きるのに弾みがつく。目覚めた時には布団の中で何やら考えごとをしている。否定的なことに取りつかれていることが多い。だからそれを振り払い起き上がって何か行動を起こすのは、私にとっては無条件にいいことなのだ。
 一方、冬は夜明けが極端に遅く、キッチンに降りてきて最初にすることは電気をつけることだ。ガスを点け、朝の儀式としてコーヒーを作る。ガスの青い炎は美しくまた有難いものである。

 朝、その日に「しなければならないこと」と「したいこと」のリストを眺める。だいたい十項目くらいある。それが全部できることは当然ながら稀であり、リストの上から四つ五つぐらいが関の山である。
 まず夫のためにお弁当を作る。しなければならないことの方をまず片付ける。夫はサンドイッチよりはチャーハンが好きなので、似たようなチャーハンを毎朝作っている。正確に言うと、どうも私の作るサンドイッチがひどいようなのだ。六時に仕上がったチャーハンは当然冷たくなるが、オフィスの電子レンジで温めているという。コーヒーも魔法瓶に入れる。テイクアウトのコーヒーは四ユーロ以上(七百円)もするのだから、これはお金の節約のためである。
 二階から降りて来た犬が熱い眼差しを私の方に向けている。チャーハンの次は彼女の朝ごはんだ。犬は雑食なので、野菜をたっぷり与えることが長生きさせる秘訣と聞いた。それ以来、野菜と魚又は肉を混ぜた朝ごはんを用意する。野菜を彼女のために煮る。それはまた自分の味噌汁の具でもある。それを立ったまま啜る。次にすることがあるので座るまでもないという気持ちからだ。
 次というのは夏の場合は、花畑を見回ること。終わった花を取り除いたり、ポットの土の乾き具合を見たりする。冬の場合は、野鳥に餌をやること。鳥たちは暗いうちから鳴き始める。なぜ? 朝が待ちきれないからだ。私の庭で一番よく見かける小型のカラ類の一分間の脈拍数は千回から五百回だそうで、彼らは生き急いでいるように見える。

 野鳥図鑑で知った言葉に ‘pecking order’(ペッキング・オーダー、ついばみ順)がある。自然の掟として、大きい強い鳥が先に食べ、小さい鳥は待たなければならないのだ。エサ台の常連であるアオガラはそのペッキング・オーダー最下位とみなされている。こういう事実を知っただけで哀れに思う。彼らは一口毎に周囲を見渡して用心深い。ムクドリやコマドリが来ると直ちに飛び去って行く。

 ケーキも朝に焼くことがある。熟れすぎたバナナを救うためにバナナケーキを作ったり、美味しくないリンゴを煮てアップルパイを作ったりする。おいしいリンゴにあまり行き会わないのは、アイルランドに住む私の不幸の一つである。それでも砂糖とシナモンパウダーを加えてパイにすると、仕上がりはこれがあのひどいリンゴかしらと思うほど。

 五時に起きても着替えはずっと後で、ずるずるとそのまま十時くらいまでだらしない格好でいることがある。ただ時々、郵便屋さんが荷物を届けに来て、そんな恰好で玄関に出て行かざるを得なくなり、受けとるときは平然を装っているものの内心たっぷり冷や汗をかいている。

 寒い冬の朝、クッキングは体も心も暖めてくれる。灯りと温かさと煮炊きの燃料の三つを同時に提供する火の使用の発見は、人類にとってはなんと大きな革命だったろう。五十万年前の北京原人の遺跡から、火を使った跡が発見されているということだ。
 山火事、落雷、風による枝の摩擦、火山の噴火等々、火の発見の可能性は至る処にある。コロナ禍でホテルが閉鎖され自由に旅行が出来なくなった時、キャンプが見直されるようになった。キャンプで火の魅力にあらためて出会った人も多いだろう。この世の一番大きな火は太陽であり、一番遠い火は星々だ。一番小さい火は何だろう。アンデルセンの「マッチ売りの少女」が点けた一本のマッチに違いない。

 人間は絶え間なく灯りの原料を求めてきたようだ。果実の種や動物から油が搾られた。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読んだ時、アメリカの捕鯨は厚い皮下脂肪から油を取ることに徹底し、肉を海に捨てていたという事実に触れて驚いたものだった。それは十八世紀の中ごろから百年に渡って集中的に続き、クジラの減少を招いた。鯨油を取っていた時代、クジラの大きさは、実際に収穫された油の樽(バレル)の数で表されていた。いかにも現実的である。最も大きいシロナガスクジラの存在はまだ知られていなかったようである。「白鯨」に登場するのは十五から二十メートルのマッコウクジラと十三から二十メートルのセミクジラだ。セミクジラは 英語でNorth Pacific right whaleと呼ばれ、rightとはまさに鯨油に適したという意味合いである。両者ともに現在、絶滅の危機に瀕している。
 言うまでもなくペリーが日本に開国を迫った動機の一つは、アメリカの捕鯨船が日本で水や食料や薪の補給をしたかったということがある。薪は船員の食料の煮炊用の他に、捕獲したクジラを解体し船上で採油するための炉にも使われた。鯨油はろうそくやランプの灯火用だった。石油が発見され安価に大量に入手できるようになったとき、鯨油は廃れた。

 メルヴィルの原作に基づいた映画「白鯨」(一九五六公開、ジョン・ヒューストン監督)はアイルランド南東の港町、ヨールで撮影された。撮影は公開より二年早い五四年で、地元の新聞では今年、二〇二四年、撮影七十年を記念する特集が組まれた。多くのエキストラが町民から起用され、大人には一日二ポンド支払われたそうである。

 灯火用と言えば、アイルランド西部の島、アラン島ではかつてウバザメの捕獲が行われていた。島の周辺が今でもウバザメの産卵場である。鮫の肝臓からランプの油を取っていた。一九三四年に制作されたドキュメンタリー「アラン」(原題’Man of  Aran’) には、カラハという布張りの小舟を操って、かなりの危険を伴うウバザメ捕獲の様子が収められている。今、アラン島には風力タービンがあり、島の電気は自給であり余剰は電気会社に買い上げられているということだ。私が敬愛する詩人の山尾三省は子供達に呼びかけた。「火を焚きなさい」と。

山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
……
人間は
火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

(山尾三省詩集『びろう葉帽子の下で』新泉社、1993年)

 火を見つめることには不思議な充足がある。山尾の詩にあるように、私たち、人間に必要なものはそんなに多くないことが呼び起こされる。エジソンの白熱電球が発明されてからたった一四五年しか経っていない。人間が火や油を灯りにしてきた時間は、比べようもなく長い。

 アイルランドの家には必ずと言っていいほど暖炉がある。屋根には煙突が茸のように突き出ている。暖炉は見かけだけのこともあって、実は燃えている火がガスだったり電気だったりしている。我が家では暖炉だった場所に薪ストーヴを備え、薪や泥炭の乾燥したものを燃やしている。昔は、暖炉の傍の一番暖かい場所の椅子に、お年寄りが陣取った。

 私の朝は早い。そのせいで夜も早い。暖炉の傍でウトウトするのはきっと悪くないだろう。それでも私はそれをしないように、一日の終わりに僅かに残った力で階段をふらつきながら上がって寝室へ行く。ふらつきは夕食時のワインのせいもちょっとあるかも知れない。
 

参考:
’The Bird Circulatory System, Heart & Blood’ https://earthlife.net/the-bird-circulatory-system-heart-blood/
鳥便りhttps://akaitori.tobiiro.jp/sinnzou.html
ハーマン・メルヴィル『白鯨』阿部知二訳、岩波文庫、1956年

津川エリコ近影

津川エリコ
北海道釧路市生まれ。ダブリン在住。『雨の合間』(デザインエッグ)で第55回小熊秀雄賞受賞。小説「オニ」(『北の文学2022』所収、北海道新聞社)で北海道新聞文学賞受賞。著書に詩集『アイルランドの風の花嫁』(金星堂)、随筆集『病む木』(デザインエッグ)があるほか、詩集アンソロジー”Landing Places”, “Writing Home”, “Local Wonders”(いずれもDedalus Press)に作品所収。

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