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「第21回 女性の活躍」ケアリング・ストーリー

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 中米のエルサルバドルに来ている。面積は九州の半分くらい、人口も650万を切るから、埼玉県と兵庫県の間くらいの人口。小さな国であるが、中米の国は、他の国も規模としてはそんなに変わらない。エルサルバドルの首都、サンサルバドルには、S I C A (Sistema de la Integración Centroamericana)と呼ばれる1992年に発足した中米統合機構の本部事務局がある。グアテマラ、エルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、ベリーズ、ドミニカ共和国をメンバーとする地域組織であり、域内の経済発展、平和、民主主義、開発などを目的とし、近年は治安対策、気候変動対策なども重要視されているという。
 エルサルバドル外務省の隣にあるS I C Aの建物は、ビルに大きくフェルナンド・ジョルト(Fernando Llort、1949-2018)の絵がステンドグラスのように光を通すようなスタイルで描かれており、本当に印象的で美しい。フェルナンド・ジョルトは、エルサルバドルの画家で、原色を用いた抽象画を書いていて、そのモチーフは自然や神、人との調和であるという。一度見ると忘れることができず、どこで見ても、フェルナンド・ジョルトの作品であることが一目でわかるような特徴がある。

エルサルバドルの画家フェルナンド・ジョルトの作品

エルサルバドルの画家フェルナンド・ジョルトの作品。SICA(中米統合機構)の建物の壁面を飾っている。(筆者撮影)

 ジョルトの作品を初めて見たのは、1980年代、サンディニスタ革命直後のニカラグアで働いていたスペイン人の友人が持っていた、大きなビーチタオルであった。いかにも西洋人が好むような、日本ではちょっと見かけないような大きさのタオルで、ずいぶん使い込んで古びていたけれど、とても印象的な鳥や人々の意匠が散りばめられていた。これ、何?と聞くと、これはね、エルサルバドルに行った時にお土産で買ったの、エルサルバドルはとても質の良いタオルを生産しているので有名な国なの、本当に素敵なタオルでしょう?これ、代表的なエルサルバドルのお土産なのよ、と言っていたので、将来、誰か知り合いがエルサルバドルに行くことがあれば、ぜひ買ってきてもらいたい、と思って、覚えていたのである。ジョルトの名前はその時には知らなかった。
 2018年から、JICA(Japan International Cooperation Agency:国際協力機構)の草の根技術協力というスキームで、若い助産教員である友人がエルサルバドルにおける「出産のヒューマニゼーション」というプロジェクトを立ち上げ、そこに私も関わらせてもらっていて、何度もエルサルバドルに渡航することになった。早速このタオルを友人に探してもらって、それがフェルナンド・ジョルトの絵であることを知り、エルサルバドルの代表的なお土産品であることを知ったのである。このタオルの大ファンとなった私はエルサルバドルへ渡航するたびにこのタオルを買い続け、もう、何十枚も買っている。
 フェルナンド・ジョルトは、ラ・パルマという街に「セミジャ・デ・ディオス」という工房を作り、自らが制作を行う     とともに、小物や雑貨に絵を描いて民芸品として売る、という手法をラ・パルマの住民たちに広めた。今、エルサルバドルで売っている土産物は、ジョルト自体のオリジナルのものもあるが、ジョルトの影響を受けた作品がほとんどで、この人がいなければエルサルバドルのお土産物はとても味気ないものになっていたに違いない。今はタオルだけでなく、クリスマスの飾りや小さな小物入れなど、わが家の至る所にジョルトとその影響を受けたエルサルバドルのお土産物がある。
 「出産のヒューマニゼーション」は、日本の助産の仕事に啓発されつつ、お母さんの産む力、赤ちゃんの生まれる力を最大限に生かすことができ、お産の場が産む人にも生まれる人にもそこで働く人にも、より良い環境を提供できるように、という分野で、日本はすでにこの分野の国際協力に四半世紀を超える経験を積み重ねている。内戦の厳しい記憶を近いものとして留めるエルサルバドルで、次世代がより穏やかな環境で生まれてくることができるように、という願いがこもった「出産のヒューマニゼーション」プロジェクトは、国内で最も大きな国立女性病院の医師をはじめとするスタッフに心を込めて迎えられ、トレーニングが積まれ、産婦さんたちはよりプライバシーのまもられた環境で、丁寧なケアを受けることができるようになった。このエルサルバドルの経験をぜひ、他の中米諸国にも広げられないか、という模索の中で、先述のS I C A (中米統合機構)を訪ねたのである。
 中米統合機構、という名前がついている“国際的”な機関の事務局を訪ねると、対応してくれた保健関連の幹部職員たちが皆女性であることに改めて驚いた。実は、ラテンアメリカにいるとこういうことは珍しくない。国立女性病院は、産婦人科に特化した、国中で一番大きな病院なのであるが、プロジェクトを始める頃、院長以下、幹部職員と何度も会う機会があったがこちらも、当時、皆、女性なのであった。国立女性病院だから幹部もスタッフも女性が多いだろう、というわけではないことは、日本のことを考えてみるとよくわかるであろう。女性の活躍、女性の社会進出、という意味では、ラテンアメリカは日本より、よほど進んでいる。
 10年住んでいたブラジルでも、エルサルバドルでも同じなのだが、こういう、国際機関に働いていたり、病院でプロフェッショナルとして仕事をしていたり、つまりは「インテリ階層」に属する仕事をしている女性たちの家には、みんな、お手伝いさんがいる。私自身もブラジルで仕事をしていた時は、家事をやってもらうお手伝いさんがいた。こういうことを「中南米の所得の格差による貧富の違い」と一言で言えば、そういうことではあるが、現地にいるとそこまで簡単に言ってしまうこともできない。そんなお手伝いさんをずっとしなければならないような貧困層の女性を搾取して、中間層の女性たちの仕事が成り立っているのだ、と言われればその通りなのではあるが、現実にそれでは今どうすれば良いのか、というとそれぞれの国がしているように、医療や教育を底上げしながら、国全体のレベルを上げるしかないのだ。現に、エルサルバドルの現政権は医療や教育に格段の予算を割いていると言われている。「出産のヒューマニゼーション」もその新しい枠組みで、とても大切にされているのである。
 世界に目を向けてみると、女性の活躍を担保しているのは、国内外から中間層の女性たちの家に働きにくるお手伝いさんたちである、と言えないこともないのだ。日本は家屋が狭いから、お手伝いさんに居てもらう場所がない、と思うかもしれないがスペースの問題ではない。シンガポールなどは日本より住宅事情が悪くても、例えば2D Kくらいのアパートに夫婦二人と子供二人で住んでいても、リビングで寝ている住み込みのお手伝いさんがいる、というようなことになっているらしい。学歴も高く英語もできて、朗らかなフィリピン人女性のお手伝いさんとしての人気は高く、いわゆる「出稼ぎ」お手伝いさんの中で彼女たちの給料は際立って高いと言われている。
 ヨーロッパなどはお手伝いさんを雇わないでもやっていけるように、男女ともに労働時間の短縮が試みられたり、オーペアと呼ばれる隣国からの若い女性のアルバイトなどで解決されたりしてきたようだが、世界に目を向けると、いわゆる「女性の社会進出」は、こういった家事労働を引き受ける層の女性たちに支えられていることが本当に多いのである。家事労働をするお手伝いさんも賃金労働をして自分で稼いでいるのだから、経済的自立はしていることになり、こちらも「女性の社会進出」と捉えてもいいのではないか、などという考え方には、どうしても与することができないでいるが、今後の日本の「女性の社会進出」を支えてくれる家事労働者の存在について、実は考えることもできないくらい日本の賃金レベルが低くなっていることも、違うレベルで気にかかるのである。S I C Aの女性幹部職員をみながら、自分の国の女性の活躍について改めて考え込んでしまうのであった。

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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第11回  生理学的プロセス』はこちら

「第11回 生理学的プロセス」ケアリング・ストーリー

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