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1.252021
「第3回 生活という永遠」ケアリング・ストーリー
今、私の生活は割と単調だ。結構毎日同じことをしている。6時には起きていて、神棚の榊の水を替え、お水を供え、仏壇のお花の水を替え、お水を供え、ろうそくを灯して線香をあげる。線香をあげながら、父や祖父母やご先祖さまや、夫や夫の母や叔父など亡くなった人のことを考える。朝日の見える窓を開けて、朝を迎えられたことに感謝する。
7時になったらイヌとネコの世話をする。イヌもネコも来月一歳になる、まだ若い個体である。イヌはクレートという小さなケージで寝ている。おはようと言いながら、クレートから出してからだをさすってやる。ネコもケージから出してやって、2匹に朝ごはんをあげる。自分も朝の紅茶など飲みながら、朝のニュースをみて、NHKの朝ドラをみて、イヌを散歩につれていき、仕事を始める。原稿を書く。そして、オンライン講義にオンライン会議。
大学に勤めているはずなのだが、2019年4月から、新型コロナパンデミックの中、ずっと家で仕事をしているのだ。パソコンの画面でしか、学生にも同僚にも会えていない。そのまま今年度は終わろうとしている。昼には、同居している次男と自分のために昼ごはんを作り、午後はまた仕事に戻り、夕方は晩ご飯を作る。
ずっとそうやって毎日暮らしている、パンデミックの日々である。イヌの散歩と買い物くらいしか、外出していない。不要不急の外出を避けよ、と言われているのだ。そう言われてもそうできない仕事についている人は山ほどいると思うのだが、私はそう言われれば、全然、外出しない、ということになる。
こうしていると、なんだか、こんな時間がずっと続いていくような気がする。昨日もこんなふうで、今日もこんなふうで、明日も、それこそ何事もなければ、今日と同じような日だろうから。
なんでいつもこう思うんだろう。こう思えるんだろう。今やっていることが永遠に続くような。どうやっても何も変わらないような。不思議に安定したバランスの中に、私の周囲が配置されて、もう、私はわざわざ動かなくても、もう、それで人生が回っていくような気がする。これがもう、ずっと続くんじゃないか。この平凡な日常。起きて、周りの世話をして、仕事をして、また眠る。続いて欲しいな、この、落ち着いた日々が。
でも、もう、知っている。この日々は、また、突然終わるんだ。どんな形でその終わりが来るのかわからないが、この日々もまた、終わる。おそらくは、一番ありそうなのは、この新型コロナパンデミックが終わるときに。今は、本当に大変なことになっているのだけれど、終わらなかったパンデミックはない。だから、終わるのだ。でも、今こうやって暮らしている日々は、あまりに手ざわりが確実で、いつまでもいつまでも続くように見える。次に来るフェーズがどんなものか想像することは、できない。
手を洗う、マスクをつける、“三密”を避ける。今や誰だって知っている。私は、今年7回忌を迎える亡くなった夫のことを考える。夫は手を洗わない人だった。「そういう習慣はないから」とうそぶいていた。外から帰ってきても手を洗わない、料理をする前にも別に手を洗わない。よく見てなかったけど、それに確認したくもなかったのだけど、トイレから出ても手を洗っていなかったんじゃないのか。それだけ手を洗わない人だったけど、別に、それで具合悪くなっていなかったし、一緒に暮らしていた私たちは彼の作った料理を食べることもあったけど、別にそれで下痢したりもしなかった。手を洗わないことで、何か、病気になったりしなかった。
手を洗わないことで病気にならなかったけど、首が腫れて、中咽頭がんの頸部リンパ節転移で亡くなった。再度言うけど、手を洗わなかったから死んだわけじゃなかった。今生きていたら、なんと言うかなあ。今の新型コロナパンデミック。手を洗わないといけないんだよ、と言ったら洗うかなあ。俺は洗わなくても大丈夫だ、とか、うそぶきそうだなあ。でも今、そう言ったら、きっとケンカになるよなあ……などと、どうでもいいことを考えるけど、もう、彼はいない。死んでしまったのだ。このパンデミックを一緒に生きることがなかった。
リビングに介護ベッドを置いて、毎朝、おはよう、うん、おはよう、と言いながら、薬飲もうか、気分どう、何か食べられそう? みたいなことを聞きながら、毎日暮らしていた頃は、あれが、毎日続くような気がしていたのだ。具合はよくないけど、一人でいられて、一人でいることを愛でて、最後まで自分でトイレに行けた人だったから、私は普通に仕事に出かけていた。帰ってきたら、ただいま、と言って、おかえり、と言う言葉が返ってきて、私は介護ベッドの傍らで眠り、それは、いつまでも続く時間に見えた。
その時だって、すでに知っていた。それなりに落ち着いた、その暮らしには、終わりがあることが。実際、そんな暮らしはいつまでも、は、続かず、それは、ある日突然終わった。介護、と言うのは終わりがあることを知り、その終わりには、なんだかあっけないくらいの時間が広がっていた。本人がそこにもういないだけで、まだ、本人と生きているかのような、あっけないけど確かな時間があって、なんだかどうしたらいいのかよくわからず、「これで終わりなら、人生あっけないなあ」と最後につぶやいていた彼のことを思い出すのだった。
夫を亡くしてから、新型コロナパンデミックが始まるまで、私はとにかく家を空けていた。国際保健と母子保健の研究者で、国際協力の仕事もしていたから、外に出る仕事はいくらでもあったのだ。2カ月に一度熊本に通い、3カ月に一度旭川に通い、ほぼ毎月京都に通い、さらに頻繁に沖縄に出かけ、大学が休みになれば、このスーツケースはキューバ、このケースはコンゴD R C、こちらは、エルサルバドル、と三つスーツケースを並べて、荷物を作り、一つを持って出かけては帰ってきて、次の荷物を持って出かけた。空港はお馴染みの場所で、飛行機に乗ることも日常だった。
そんなふうにして、ずっと、出かけていて、それもいつまでも続くように見えていたのだが、いつか終わりが来る、出かけられなくなる時が来るのではないか、と、それもまた、いつも、思っていた。その終わりがどんなふうに来るのか、その時はやっぱり想像できなかったが、そんな日々は、2020年3月末、やはり、突然に終わった。2020年になってからもカンボジアや、石垣島や、京都に出かけていたが、突然、時間と資金さえあればどこにでも行ける、そのフェーズは、終わったのである。私だけにでなく、世界中の人に。
どんなフェーズも終わり、どんな生活も変わり、どんな関係性にも終わりがある。それはわかっているのに、いつも、この生活とこの関係性は、永遠に続く、と思える。それを繰り返し、繰り返し、行けるところまで行くのか。すべてには終わりがあり、すべてには変化がある。あなたが今、不本意な生活をしているとしても、それは、いつか終わる。自分を生きられていない、と思っても、それもいつか変わる。なんと不思議で、切なく、寂しく、また、甘やかなことであろうか。この瞬間が永遠であることと、終わりがあることは、実は表裏の同じことであるらしい。
瞬間を永遠とするこころざし無月の夜も月明かき夜も (岡井隆)
三砂ちづる (みさご・ちづる) 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。