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「北の野火」に『わかな十五歳』編集者が寄稿しました

前回ブログで、わかなさんの「自作を語る」をご紹介しました(前回のブログはこちら

今回は、「北海道子どもの本連絡会」の会誌『北の野火』に、編集者が「自作を語る」として寄稿した原稿を紹介します。

書く力

 3・11当時十五歳で、福島県から北海道へ移住してきたわかなさんの手記『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』を今年の三月十一日に出版しました。

 わかなさんには数年前、福島の母子の保養を手伝っていた時に、お会いしていました。その時に書きためているブログ原稿があることはうかがったのですが、「うちで出版しませんか」とお伝えすることにはためらいがありました。編集者は著者の伴走者と言われますが、つらい体験を振り返って書くという重たい作業を、強いることになるのではないかという思いがあったからです。

 時は過ぎて二〇二〇年の夏、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補地として、寿都町と神恵内村が名乗りをあげました。すかさず多くの反対の声があがり、私もSNSで情報を追っているうち、わかなさんの体験記が印刷されて、寿都町や札幌市内で頒布されていることを知りました。早速取り寄せて読み、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。「被ばくさせてごめんね」と教師に泣いて謝られたこと。高い放射線量だと子どもたち自身も知っている中、せーの、でグラウンドへ出て受ける体育の授業。「私たち子ども産めるのかね」という同級生との会話……。

 これは、もっと多くの人に読んでもらわなければならない、と腹が決まりました。幸い、わかなさんは快諾してくださり、出版が決まりました。加筆作業が始まったのは秋の終わりでしたが、もうこれは一〇年目のあの日に出すしかない、ということで超過密スケジュールの中、わかなさんには思いの丈を書き綴っていただきました。

 先に、「つらい体験を書くのは重たい作業」だと書きました。確かに執筆の途上では、苦しい局面もありました。しかしわかなさん自身も「『苦しい』『つらい』『助けて』……とたくさんの気持ちをノートにつづって、人に伝えて、ようやくここまでよく生きのびてきた」と述べているように、書くという行為がレジリエンス(精神的回復力)につながる、ということを、改めておしえてくれた一冊でもありました。

 ご承知のように原発事故は今も収束しておらず、甲状腺がんと診断された福島県の子どもは二八三名にのぼっています(注)。核のゴミ問題に於いては十万年先まで影響を及ぼす環境汚染を、私たちは子どもたちに残すというのが現実です。

私たちが抱えた問題はあまりにも大きく、「なんで日本は地震国なのにこんなにたくさん原発があるの?」などとある日子どもに問われて、困らない大人はいないのではないかと思います。そんな機会がもしありましたら、この『わかな十五歳』をスッと差し出して、対話を始めるきっかけにしていただければ、著者も編集者もたいへん喜びます。(中野葉子・編集者)

 

注 「小児甲状腺がん全数ようやく把握〜2017年末までの6年分」OurPlanetTVウェブサイト、二〇二一年六月二一日。http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/2574

『北の野火』35号(北海道子どもの本連絡会、2021.11.30)より転載

北海道子どもの本の連絡会
https://hkodomonohon.wixsite.com/renraku
北の野火表紙

『北の野火』の表紙絵は絵本作家の堀川真さん。特集の「私のすきな日本の絵本作家」も読み応えありです。

 

【3月11日発売】わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11 特設ページ

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