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パラピンピック開催にあたって、安積遊歩さんの各紙への投稿をご紹介

安積遊歩さんが、各新聞社に投稿された文章を紹介させていただきます。(原稿は未掲載のようです)

24日からパラリンピックが開催されますが、報道各社からの発信と見比べて、オリンピック・パラリンピックについて、今一度深く考えていただくきっかけとしていただければ幸いです。

【T新聞】

私は2011年の東日本大震災と原発事故の後、ニュージーランドに避難して3年を過ごした。40歳で命懸けで易骨折性の身体を持つ娘を産んだので、その子の命を助けたかった。彼女は、その後すっかりニュージーランドに馴染み、今はそこで働いている。私はビザが取得できず、日本に帰国。この国の表面的には豊かだが、あまりにも生きにくい現実に、ときに呻きながら生きている。最近一番の生きにくさの原因は、このコロナ禍でオリンピックを開催するらしい政治の有り様だ。戦後、あまりにも自民党政権が長く続き、人々はどんな不公正にも慣らされてしまったかのようだ。特に、最近までの安倍政権と現在の菅政権の無責任、無反省ぶりには、私たち皆が慣らされ、諦めさせられているかのようだ。ニュージーランドの緑の党の若い議員は、「政治家の役目は、良い社会を作るために良い法律を作ることだと思って議員になったが、現実は悪い法律の立法化をどれだけ防げるかに力が割かれてしまう」と語っている。その言葉を聞いて、私はまさに日本の現実だと思ったものだった。しかし、今回のオリンピックの開催は立法ですらない。法律としても通っていないものに声をあげることは、次の世代に対する大いなる責任でもある。このコロナ禍で、明確に命を危うくするだろうオリパラをなぜ止められないと諦めているのだろう。私は車椅子を使いながらもニュージーランドに避難した。その力をもって、このオリパラの開催についても、開会式の当日まで反対の声を挙げ続けていきたい。
【M新聞】

私の娘はニュージーランドに住んでいる。そこにはコロナ感染者が今、全くいないからコロナの前と同じように暮らしている。日本に暮らす私たちは毎日マスクや、距離をとって暮らさなければならないと言われ続けたので、コロナの前どんな暮らしがあったかさえ思い出しにくい。それでも命を守るために人々は必死に頑張っている。その頑張りを尻目に、緊急事態宣言を出しながらオリンピックを止めようとしない政府がある。これは一体どういうことなのか。私たちはオリンピックという名のアクセルとブレーキを全開にした車に乗って、コロナ地獄に突き進もうとしている。しかしこの暴走を止めることができるのは私たち一人一人だ。なぜなら私たちは次に来る国政選挙の時に良心と知性を持った議員を選ぶことができるのだから。日本のオリンピックを止めることは世界の多くの人々の命を守ることと真っ直ぐ繋がっているのだ。
【A新聞】

私は1994年、エジプトの国際会議で旧優生保護法の差別性を、20数ヵ国のジャーナリストを含む2000人くらいの聴衆に訴えた。中学生の頃から産婦人科に掛かっていた、優生保護法指定医の看板が嫌だった。その法律を止められるチャンスが来たのかもしれないと、仲間達と共にその会議に参加したのだ。優生思想、これは生きて良い人と生きていて良くない、あるいは生きるに値しない人を分断するもの。まず最初にターゲットにされたのが障害を持つ私達、次に人種や生まれた場所やちょっとした違いで隔離されたり、時にはガス室で大量死を強いられもした。優生思想を条文化したあの優生保護法でさえ、努力し反対を訴え止めることができた。だから、今回のオリパラも優生思想とも言えるコロナ禍なのだから、止まるだろうと思っていた。しかし、あと50日に迫りながら止めろの声はともすると小さいままだ。私は開会式が来たとしても決して諦めない。なぜなら、私達の大切な未来は今この瞬間の積み重なりの中にあるのだから。オリンピックの開催は未来に対する冒涜ともいえるもの。即刻の中止を心から求める。正しい判断に立って勇気を持って、オリンピックの開催を止めていきましょう。
【Y新聞】
去年、オリンピックの延期を決定したのは多分今の時期よりずっと早かったと思う。その頃の感染者と今の状況を比べるに、今の方が深刻化しているのは誰の身にも明らかだ。だから、世論調査で80%以上の人がオリパラの開催に反対しているという。みんな生きていきたいのだから、あまりに当然である。にもかかわらず、開催を止めないという政府や組織委員会の有り様。あまりの暴挙と愚策に、若い人たちや女性は混乱させられ、追い詰められ、自ら死んでいる人も多い。人の心と良識に基づけば、どんな状況にあっても正しい選択はできる。「今だけ金だけ自分だけ」の世界から飛翔し、このパンデミックが伝えようとしている事に学び、勇気を持ってオリパラの開催を止めていこう。
【H新聞】

私は放射能避難で札幌に来た。大震災で原発が爆発したのだからこれだけ地震の多い国なら、そこから学んで原発は止まっていくのではないかと思っていた。しかしそれどころか、このコロナ禍なのに、オリンピックを止めようとしない政治がある。命は大切ではない、という政治に慣らされ、危機感知能力さえ麻痺させられている。それで、これもまたそんなものかと、やり過ごそうと私たちはしているのだろうか。しかし世論調査によれば、80%の人々は反対していると聞く。これは一大チャンスでもある。オリンピックの開催は法律でもないのだから、私たちが止めろということが、もっとも大事なのだ。命を守るために、オリンピックを止めなければならないという重大な岐路。あきらめずに、徹底的に声をあげていこう。特に、自分がどんな暮らしを望み、どんな未来を生きたいか。そのために、コロナ禍がやってきたとさえ私は考えている。禍転じて福となす、というべき今、禍をさらに地獄にもっていこうとする政治の暴走を止めていこう、私たち。

【K新報】

オリンピックの開催が、まるで暴走列車のように止まらない。莫大な税金を使うことには法律が重要な役割を持っているのに、オリンピックの開催は治外法権で決められた。世論調査によれば80%の人々が反対しているにも関わらず、政府は命の大切さには全く関心がないかようだ。このコロナ禍にありながら再検討の声が上がらない。いつの間にこのようにも横暴な政治に慣らされてしまったのだろうか。放射能と同じでコロナも発症するまでは姿形も見えないから、またまた我慢強い私たちは大人しくその暴走を見送ってしまうのか。私は絶対に嫌だ。私の身体は遺伝子のレベルで人と違い、脆い骨を持って生まれてきた。何度も骨折しているし、医療からはその治療という事で虐待に等しい扱いを受けてきた。だから対等感の微塵もない酷い対応には敏感に「ノー」と言うことを辞さない。オリンピックが開かれればコロナの拡大は火を見るよりも明らかだ。それを完全に知りながら開催を許すということは、日本の人々のみならず世界の人々を巻き込んでの無理心中とも言える暴挙だ。まだ50日はある。絶対に止めていこう。

【N新聞】

オリパラはまさに裸の王様だ。人々の心の中にオリパラでやってくる選手団やその関係者に対する警戒感が満載なのにも関わらず、みんなの目に自分はきちんと服を着て写っているということを疑っていない。オリパラは平和なスポーツの祭典ではなく、危険なウイルスの感染拡大イベントだ。放射能の被害は原爆が落ちた日々は遠い昔ということで政府は福島の人々の土地に対する愛情を利用して逃げ切った。しかしオリパラの影響を受けるのは東京だけではなく、日本全国に直ちにばら撒かれるウイルスによってなのだ。それは日本全国だけでなくオリパラ後は世界にも拡大し得る。私は骨の脆い身体を持ち、この世界の優生思想と戦ってきた。優生思想は生きて良い命と生きてはいけない命とを分断・選別する。このオリパラで分断・選別された命は世界中の人を巻き込んで命の危険に晒していく。このゲームから逃れる道はない。いや、たった一つある。今すぐにこのゲームの終了を告げること。そしてそれができるのは一人ひとりであり、その総意が政府を動かすに違いない。

【CN新聞】

2011年の原発事故の時、私は東京に住んでいた。フランス人の夫を持つ友人が第2原発が爆発した後に、早く逃げたほうがいいよと電話をくれた。あまりの恐怖でテレビの前に釘付けになっていた私がその一言で目が覚めた。それからまず名古屋に向けて甥っ子家族や友人、計12名の放射能からの逃避行を始めた。今回のオリパラの開催についても何をどうしていいかわからないと思っていた私に、妹の一言が行動を促してくれた。妹は数人の小さな孫たちをオリパラの後に来る、凄まじいコロナ感染の拡大にみすみす晒すわけにはいかない、と言って菅さんに手紙を書いたと言うのだ。普段はよくよく考えているが行動化はしないでいる妹が手紙を書いたのだ。私も重い障害を持つ仲間も友人知人も全国に大勢いる。ここで黙っていたら人としての知性と良識が問われる。おかしいことにはおかしいと声を上げ続けるのがこの国に住む大人の責務だ。オリパラ開催という暴挙を絶対に止めよう。

【CG新聞】

私の父は中国で二年半、天皇の軍隊で加害者となり、その後シベリアで抑留され、天皇制についてさまざまに学ぶ機会を得たらしい。残念ながら詳しくは聞けなかったが、NHKの7時のニュースに昭和天皇や自民党の首相が出ると、権力者は常に嘘ばかりを言うから気をつけろと時に絶叫しながら、時にうめくように言っていた。その様子があまりにもつらそうだったので、幼い私はわざわざニュースばかり見なければいいのにと思っていたものだった。2011年の原発事故以来、彼の忠言の真実を日々感じるようになった。とにかく嘘と妄想が跋扈する政治のありよう、特にオリパラの開催についてはあまりの暴挙に言葉を失っていた。しかし父の絶叫とうめきを一緒に聞いていた妹が、子どもと孫の命を守りたいから、菅首相に手紙を書いたと聞いて呪縛が解けた。このコロナ禍での開催を、平和とスポーツの祭典と言いくるめようとしている権力と政治に対して、80%の人が反対を突きつけているという。開催式まで五〇日をきった今、嘘と妄想と暴挙に対してとにかく声をあげることが必要だ。

【SM新聞】

私は骨がもろい体を持って生まれた。一般的な親とは違って私の両親、特に母親は生きて生まれてくれただけで100点満点というようにかわいがり、愛してくれた。何度も骨折し手術され、痛い思いをしてきたし、学校からも車椅子を使っては来るなと言われた。結婚したいと思った相手の家族にも、そんな体で妻にも嫁にもなれるわけはないのだと罵られ、凄まじい差別に何度か自殺未遂も企てた。障がい者運動に出会い、仲間たちと共に、この優生思想社会を変えようと、活動してきた。ピアカウンセリングを海外で学び、それを日本に持ち込みながら、つらい時には泣いてもいいのだという真実を広げてきた。そんな中でのコロナ禍。それだけを見れば、人間の肥大化する欲望に自然からのブレーキがかかったのかとも考えた。行動半径を縮小し、自然の声に耳を傾ける暮らしを始めた。そこに、最悪の冗談としか思えなかったオリパラ開催がごり押しされようとしている。開会式まで50日をきった。私からすればオリパラは優生思想、つまり生きていい命と生きるに値しない命を分けるための競争の祭典である。これを止められのるかどうか、私たちの知性と未来社会に対する愛情が問われている。

【KN新聞】

オリパラの即時中止

若い人達が、畑をしたいということを聞いて、嬉しくなって、畑の購入にいくらか出資した。私は1956年生まれ、戦後高度経済成長に突入する頃に生まれ、小学校前に覚えている田園風景は、水も田んぼも、本当にきれいだった。春にはレンゲ草が咲き乱れ、夏には蛍が飛び、秋には赤トンボが空の青と美しいコントラストをなした。それらの風景が瞬く間に住宅街に変わり、小川がドブ川になるまでに、10年もかからなかった気がする。1970年に出たローマ環境白書の予言のとおり、21世紀の自然破壊は想像を超えるスピードで進んで来た。地球温暖化や気候変動で、おびただしい命が既に絶滅したり、絶滅の途上にある。そんななか、コロナウイルスは、私達の暮らしと在り方を、見つめ直し、問い直せというような、自然からの警告だともみえる。しかし、その警告を無視して、オリパラを開催しようとする人々や組織が暴走している。これを止める責任は私達一人一人にある。私達全ての人が持っている良識と互いの命に対する愛情を分かち合って、絶対にこの暴走を止めて行こう。畑を嬉しそうに耕している若い人たちとともに、未来に希望を繋いでいきたい。

 

オリンピックを止めよう声明文 – 女性障がい者たちとその自立を応援する人たち一同

 

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