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5.22025
「第18回 スディナ・カカン(後編)」グローバルサウスの片隅で/ 三砂ちづる

祖納岳節は、西表島祖納で唄われ、踊られてきたもので、祖納での座開きの踊りとして踊られるものだという。沖縄の有名な座開きの踊りは、「かぎやで風」、であり「御前風」(グジンフー)とも呼ばれる典雅な踊りである。八重山でも「御前風」は踊られるが、八重山の代表的な座開きの踊りは「赤馬節」である。可愛がっていた赤い名馬が首里王府に召されてしまったが、首里ではパフォーマンスがよろしくなく、元の飼い主が八重山から呼ばれたところ、赤馬はなんでもいうことを聞いた、こんなに馬と人間の絆ができているのは素晴らしいと首里王は持ち主に赤馬を返す。その喜びを唄った、と言われる唄で、石垣島の宮良にその赤馬の碑が建っている。八重山の踊りの基礎が全て入っている、と言われる赤馬節は八重山舞踊初心者がまず習う踊りであるが、全て入っているからこそ、なかなかに難しい。地元の人によると「御前風」の方がむしろややシンプルなので覚えやすいし踊りやすい、というふうに言われている。つまり赤馬節が踊れれば、他の踊りも踊っていけるだろう、と思われている。「赤馬節」は、しかし、「馬の出戻り」の唄であるから、結婚式の座開きには唄われないのだそうである。
西表島の祖納と干立は古い集落である。約500年前から伝承されたといわれる節祭は、毎年旧暦の10月前後の己亥に行われ、豊作の感謝、五穀豊饒、健康と繁栄を祈願する。祭り2日目には多くの芸能が披露され、神様に捧げられる。白いカカンに赤い襟のついた黒いスディナに水色の鉢巻、白いカカンに浅地の着物に赤い鉢巻、白いカカンに水色の着物に水色の鉢巻、などが着られている。
西表祖納を拠点とする世界的な染織家、石垣昭子氏の紅露工房では、芭蕉や苧麻、絹などを使った織物でスディナを作っておられる。軽やかな上着として、とても汎用性が高いものに思われる。もともと帯をする着物は、琉球弧では、暑い。うしんちーという帯をつけないきものもあるが、スディナは、もっとシンプルで、パンツと合わせたり、ロングスカートと合わせたり、チュニックやワンピースとして現代にも取り入れられるような衣服であると思う。
八重芸時代から経つこと、40年近くの時間が流れた。私はもう、60代半ばである。一昔前では、もう人生終盤もいいところ、おばあちゃんとして静かに生きていく時代だと思うが、現代の60代半ばの女は、まだまだ、やりたいことをやってもいい、と周囲も思ってくれて、自分もまだまだ元気であれもやりたいこれもやりたいと思う。60代半ばで、20代の憧れの八重山に移住した私はとうとうスディナを着ることになった。
突然、石垣市民会館中ホールの「郷土芸能の夕べ」に出演することになった。それも、スディナ・カカンに四つ竹で小浜節を踊る。先輩の姿に憧れた祖納岳節とは違うが、小浜節のスディナ・カカン姿も本当に美しいのである。とにかく、スディナ・カカンで小浜節を踊りましょう、ということになって、毎日必死のお稽古を3週間弱、やることになってしまった。これを喜びと呼ばずしてなんと呼ぼう。八重山の神様はこの歳になっても、まだ、スディナ・カカンで踊っていい、と思ってくださったのか、と、ただ、嬉しかったが、この年で初舞台なんて、ただ、図々しいとしか言いようのないものでも、ある。
なぜこんなことになったのかというと、まさに偶然だった。2025年2月23日、黒島牛祭りが行われた。30年ちょっと続いた祭りといい、これは伝統的な祭りではないが、人口より牛の数の多い黒島での地域おこしの一環として、自治体主導で始めた祭りなのだそうである。舞台でパフォーマンスが行われ、牛汁、牛そばをはじめ、あれこれの黒島の牛を使った店が出たり、牛にまつわる遊びがあり、くじ引きで牛が一頭当たったりするのである。牛、当ててこい、と、ご近所の皆様に言われて参加した。石垣島在住、友人の道子さんと出かけたが、黒島は大雨、イベント会場は芝生にシートを敷いて座る形式で、参加者用のテントなどは一切ない。おいしくてあたたかい八重山名物料理、牛汁もいただけるが、テントがないものだから、「傘をさす」か、「牛汁を食べる」の二択となる。どういうことかというと、雨に濡れないように傘をさしているか、あるいは、雨に濡れて牛汁を食べるか、のどちらかしかない、ということ。道子さんと私は、一つだけあった木のベンチに、せめてお尻だけは濡れないようにシートを敷いて、雨に濡れながら、牛汁を食べたのであった。
午後まで黒島にいる予定だったが、雨でとにかく寒いので午前中で退散、石垣島に戻ることにした。途中で道子さんは、今日は一日黒島だから、行けないと思っていたけれど本当は午後2時から石垣島平得の公民館で、島ムニ(石垣島方言)カルタづくりのためのチャリティー芸能公演があるので、顔を出したい、という。その芸能公演を担当しているのは荻堂久子さんという舞踊研究所を率いる方で、私は新型コロナパンデミックの前にご紹介いただき、頭上運搬の聞き取りや彼女の神司としての仕事などについて聞き取りをしてきた方で、その流れで2019年ごろ、彼女の舞踊研究所にも入門してお稽古着をいただいたりしていたのであった。竹富島に引っ越してから約1年が経とうとしていたが、ご挨拶に伺う機会を逸していた。ぜひこの時にご挨拶させてもらえれば、と思ったのだ。
平得公民館の楽屋から出てきてくださった荻堂さんは私の顔を見て、「あっ!」とおっしゃる、挨拶もそこそこに「21日の踊りに出てね」と言われたのであった。突然のことでよくわからなかったが、その1週間後くらいに電話がかかってきて、実は当てにしていた踊り手が一人出られなくなり、困っていた、ついては、小浜節と赤馬節の女踊りの手を踊ってほしい、ということなのだった。つまり、先生が当てにしていた一人が出られなくなって、どうしようか、と考えていたところ、私が先生の目の前に現れたわけで、これはもう、「神様が連れてきてくださったに違いない」と信仰心深い荻堂さんはおっしゃる。踊りたいのは私の方で、そろそろ荻堂さんの門を再度叩かなければならないと思っていたから、お互い渡りに船のような状況だったのだ。
とはいえ、きちんと踊りを習うのは久しぶり、それからもう毎日必死の踊りの猛特訓、今日はいけるな、と思ったり、次の日はいや、全然ダメだ、と落ち込んだり。それでも憧れのスディナ・カカンの四つ竹の3人で踊る小浜節、やるしかないのだ。3月17日は三線との音合わせ、もう逃げも隠れもできないのである。当日まで、あと4日、なんとか3人で揃えていかなければならない。小浜節の唄を頭にしっかり刻みつけて、踊りは基本に戻って、一つずつ丁寧に仕上げて、スディナ・カカンを身に付けたい。
三砂ちづる (みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学名誉教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『ケアリング・ストーリー』『六〇代は、きものに誘われて』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。