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「第24回 サンポット、シン」グローバルサウスの片隅で/ 三砂ちづる

 1990年代を知る人にはカンボジアはずいぶん変わったのだという。「国際保健」は、世界の健康格差を、なんとか容認できるようなレベルにまでなくしていきたい、というまことに実践的な目標を持つアカデミアの分野であり、ここに関わる人は研究と実践を重ねながら、端的にいえば、健康格差をなくすための研究と、現場の医療状況を改善するための実践を繰り返していた。
 1970年代から1993年まで続いたカンボジア内戦は、2万人近い死傷者を出し、極端な共産主義化を進めたポル・ポト政権下で多くの知識人、技術者層が虐殺された。医療従事者もそこから免れることはできなかったから、内戦が終わる頃のカンボジアでは国を建て直していくための知識人・技術者は決定的に足りなかった。
 私は1958年生まれであり、日本の国際保健研究者の第二世代くらいに属する。第一世代は個人的に世界のあちこちで活躍していた人がいた頃、とすれば第二世代は、1986年の日本国際保健医療学会を設立した世代であり、私にとってはお兄さんくらいの年代の人たちが中心になっており、私自身、琉球大学保健学研究科に進んで国際保健研究の一歩を踏み出したのが1986年、ロンドン大学衛生熱帯医学校に留学するのが1987年だから、つまりはこの国際保健医療活動に関わり始めていた時期に、この学会の創立を経験していた。
 それは私だけではなく、日本の少なからぬ医療関係者がこの分野を中心に活動し始めていて、その少なからぬ人たちは、この混乱したカンボジアに向かった。だから国際保健の親しい同志たちの多くは、この90年代のカンボジアの混乱と、まさにゼロから、マイナスからの出発をカンボジアの人たちと共にしている。現在の国立国際医療研究センターの国際医療協力局の前身にあたる国立病院医療センター内に国際医療協力部ができたのも、1986年であり、そこを通じて、医療センターは一貫してカンボジアへの支援の中心の一つとなってきた。
 日本の無償協力で建設されたプノンペン中心部にある国立母子保健センターは、行政・臨床・研修のそれぞれの役割を担う産婦人科・新生児科のトップリファラル病院であり、地元でも「日本病院」という言い方をされているし、国立国際医療研究センターをはじめとする、多くの日本人国際医療関係者が関わってきたところである。
 2000年以降、私自身も何度かこの病院を仕事で訪れたことがあるが、当時私と同じくらいの年齢、あるいはもう少し上の50代、60代のドクターや他の医療技術者たちは、総じて、ポルポト政権時代の知識人抑圧から、なんとかして生き延びてきたストーリーを持つ人たちである。
 私とほぼ同世代、助産婦であり、ずっと日本の協力活動の傍で、秘書役を務め、通訳を務めてきたナリさんも、そういう方の一人だった。
 プノンペンの裕福な家で育ち、ゆとりのある学生生活をしていたナリさんだったが、ポルポト政権成立後の1975年、プノンペンからの市民全員退去を経験することになる。急速で極端な共産主義化をおし進めるために市民は男性と女性に分けられ、農村に追いやられ、共同生活を強いられる。教育を受けてきた人は命を奪われることが多かったから、ナリさんも、名前をかえ、父親はシクロ(自転車タクシー)の運転手だった、と言い、自分も教育を受けていないと言って生き延びてきた。強制収容所を経て、ヘン・サムリン政権発足後プノンペンに戻ってくる彼女の物語は、それだけでカンボジアの厳しい歴史を物語る。
 お嬢さん育ちだった彼女は、頭の上に物を乗せて運んだことなどなかったが、強制収容所で炊き出しをして、畑で働いている同僚たちのために重たい炊き上がったご飯を運ばなければならないことになり、夢中で頭の上に載せて運んだ、仲間のための貴重なご飯を落とすわけにはいかない、失敗したら殺される、という思いでやったら、そういうことも初めてでもできたのだ、という話もしてくれた。こんな思いをもう二度と誰にもさせたくないが、こういう時の人間の能力の発揮の仕方、というのは、ちょっと想像もつかない。彼女自身の話をゆっくり聞いたのは、2019年、新型コロナパンデミックが始まる直前のことだった。

 この連載の初回でも少し書いたが、カンボジアの伝統衣装である女性のサンポットは、筒状にした布を腰に巻いていく、いわば、筒状スカートである。正式な場ではその真ん中をつまんで上げて、ズボンというかサルエルパンツというか、そういうスタイルにするようだが、一般の人たちは、みな、サンポットをいわゆる大きなプリーツの入ったロングスカートのような形で着ていた。丈はくるぶしから10センチくらい上、という感じの丈である。
 長い一枚布を腰巻きにして女性がスカートとして履くスタイルは、東南アジアからアフリカにかけて広く行き渡っている。大きく分けてそのスタイルは、一枚の布のままで、くるくると巻いていってウェストでとめるタイプと、布の端を縫い、筒状にして、足を入れて履いて、ウェストのところで、ひだを作ってとめるタイプと二種類がある。
 作業をすることを考えると、筒状にする方が、ずっと動きやすい。しゃがみやすいし、足が割れるからである。一枚布をきちっと巻き付けるタイプでは、しゃがむときには足を割らないようにしなければならないところは、和服と同じである。昭和30年代生まれの私からふた世代前までは、着物が日常着であり、しゃがんで洗濯、炊事をしていたが、膝を割らずにしゃがんでいたので、その感じである。個人的には、着物生活もすでに20年を越えたので、膝が割れないことや着物でなんでも作業をすることに体が慣れているので、とりわけ活動的でないとも不便だとも思わないが、いわゆる「スカート」としては、もちろん、ひだのあるタイプの方がずっと活動的である。
 実際にやっていただくとわかるのだが、この筒状の布をきっちりと腰で巻き付けて落ちないようにするのは、一枚布を巻き付けていくよりスキルが必要である。一枚布を巻き付けるときは巻き付けて1周目のところできゅっとしめるようにし、2回目を巻いていって最後をきっちりと挟み込むか、あるいは結ぶと着崩れすることはまずなく、身体の線もきれいに出るし1日快適に過ごせる。しかし筒状の布の場合、まずひだを取った後を合わせてきっちりとウェストに挟み込むことが難しいし、最後のプリーツ部分の上を挟み込むことも力の入れ具合が今ひとつ得心できないので安定せず、ひもかベルトが欲しくなってしまう。おそらくこれは現地の方も同じように感じておられるのだろう。ミャンマーのロンジーは元々一枚布だったと思われるが(男性がそうなので)、女性用は今では筒状に縫われていて、一番上に黒い紐がついていてそれを引っ張って固定するようになっているようだ。
 カンボジアのサンポットも普段着用のものは、みんなすでに大きいひだのついたスカートのように仕立ててあり、最初に着付けた時の側と、プリーツのはしのところの二箇所にホックをつけてある。
 ナリさんをはじめとするカンボジア女性のサンポット姿があまりに素敵なので、初めてカンボジアに仕事に行った時、マーケットに行って、サンポットにする布地を何枚か購入した。購入はしたものの、短期出張でしか行っていなかったこともあり、仕立ててもらうところまで進んでいなかった。頼めばマーケットで一日で仕立ててくれるようだったが、なんとなく仕立てないまま、着物の帯にしたり、羽織にしたりしてみようかという思いもちょっとあって、布のまま持っていたのだが、上記のナリさんの話をゆっくり聞く時の渡航では、もう、これはサンポットを仕立てるしかない、と思って布を全部プノンペンに持ってきていた。
 ナリさんと話すと、あら、サンポット作りたいなら、病院の同僚で仕立ててくれる人がいるわよ、数日でできると思う、と言うので、さっそくその人に頼むことにした。サイズを測ってもらい、右前か左前かを決める。和服の場合、男女を問わず「右前」、すなわち右側を先に合わせ、その上から左を重ねる着方をするが、サンポットのプリーツは右前でも左前でも構わず、その人の好みだそうだ。なんとなく着物とは反対の左前で仕立てた。つまりは、プリーツのひだが左前に来るように仕立てた。
 布はどれも絣のような趣のある柄だったが、絹ではなく、普段着づかいの化繊である。藍染を思わせるような紺色の柄物、茶とオレンジの間くらいの明るい色に青いドットのついているもの、全体的に緑っぽい織物風のもの、紺地に緑の地柄のついているものの4枚で、緑っぽいものは2枚分あったので、ナリさんとお揃いで作ってプレゼントした。丈は上述したようにくるぶしの上から 10センチくらい、決して短くはないが、ロングスカートではない。これがミャンマーのロンジーとかブータンのキラだと、裾が床につくぎりぎりくらいのロングスカート仕立てになるが、普段着サンポットの場合、ロングスカートというよりは、日本でいうミディ丈より少し長め、といった感じだろうか。今思っても、この長さが一番活動的で動きやすいと思う。
 これ以上短いと、しゃがんだ時にスカートの中が見えやすくなってしまうから、逆に活動的でなくなる。この長さがベストだな、と思っていたが、隣の国、ラオスに出かけると、そちらの民族衣装シンは、ぐっと丈が短くなっていた。シンは素材も巻き方もサンポットと同じで、今はスカートに仕立てられてホックで止める大きなひだのスカート、なのであるが、丈がサンポットより10センチ以上短い。いわゆる膝下スカート、という趣である。首都ビエンチャンではとりわけ丈が短めになっているのだとか。民族衣装は、結果としてスタイルにかかわらず動きやすく作業しやすいものが多いのだがこのシンの丈になると、洋装の膝下タイトスカートと似たような装いになり、この丈では、しゃがんで洗濯しにくい。
 八重山竹富島での日々にも、普段着サンポットの長さとスタイルが一番使いやすい。サンポットにTシャツを着ているとなぜだか「島っぽい」と言われるのが不思議である。

 
 

三砂ちづる三砂ちづる (みさご・ちづる)  
1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学名誉教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『ケアリング・ストーリー』『六〇代は、きものに誘われて』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

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