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1.172025
「第10回 荷物の多さについて(後編)」グローバルサウスの片隅で/ 三砂ちづる

西アフリカのコートジボアールのワークショップに出張したことがある。コートジボアールも、すてきな布地を作っているファッショナブルなところとして知られていたが、西アフリカ全般、フランス植民地だった影響もあるのか、とにかくおしゃれがすごい。
コンゴの男性たちのブランドものをものすごくかっこよくきこなすサプール、というグループのことを聞いたことがあるかもしれない。決してお金がたくさんある人たち、というわけではないのだが、稼ぐお金のかなりのパーセンテージを着るものに使う。原色のスーツなどを着たりしているが、使う色は3色以内、と決まっているようだし、ブランドのタグもわざと見せるようにきたりするようだ。人を敬い、人に敬われ、平和を語り、紳士のあり方を問い続けるサプールは本当にかっこいいのである。
そんな西アフリカを代表するセネガルは、これまた、男性も女性もものすごくおしゃれで知られている。コートジボアールの最大都市アビジャンで、出産に関するワークショップを行った。アビジャン自体、西アフリカで最もおしゃれな布地を生産するところで知られている街で、いわゆるアフリカンプリントのたいへん洗練された柄の布地を売る店があり、コートジボアール外の国から来た人たちは、休み時間、休みの日になると、アビジャンの布、買いに行かなくちゃね、と張り切っていた。
アフリカが最後の経済発展のフロンティアと呼ばれ、街も活性化していることは知られているが、まだ、日本で、アビジャンが……と言ってもイメージが湧かない方も多いかもしれない。アビジャンで素敵な布を売っている、と言っても、オープンマーケットの屋台のような店で売るところを想像している方もあるかもしれないが、全く違う。アビジャンには、東京でもなかなか見ないような巨大なフランス資本のスーパーマーケットがあり、そこではフランスで売っているようなものがなんでも売っていて、高級店やおしゃれなカフェのあるショッピングセンターでみんなアイスクリーム食べたりしていて、くだんの布の店も、洗練されたショッピングモールにあったりする。実に近代的な街である。
で、アビジャンでのワークショップに、セネガルの男性産科教授が来ていた。細身で、理論家で、私たちの話し合っている「出産のヒューマニゼーション」について、見事な持論を展開する論客であった。彼の服装を毎日見ているだけでうっとりした。昼間のワークショップの間は、ものすごく身にあった、明らかにテーラーメイドのぴったりしたスーツを身につけており、夜の気軽な飲み会になると一転して、ラフなスポーツウェアのような服装で現れた。もちろん、ホテルに戻って、シャワーを浴びて、夜のお出かけに向けて入念に準備されたに違いない。翌日の金曜日。ムスリムにとって金曜日は大切な日だから、と、真っ白のアフリカムスリム男性の民族衣装である長いローブを着て、頭にはレースのキャップをかぶっていた。また、それがかっこいいのである。それぞれ足元は違うものを履かなければならないから、何着かのスーツに、カジュアルウエアに伝統衣装に……彼の荷物を見ていないが、相当な量を移動していたのではないか。奥さんにアビジャンの布地も何枚も買っていたし。
彼の同僚のセネガルの女性医師の荷物は、実際に見たので、すごかった。スーツケース二つに、手提げ、お土産……。これ、飛行機で本当に運んでくれるのだろうか、と思うくらいの大荷物。彼女も毎日、毎夜、違う衣装を身につけていた。セネガルの女性の民族衣装は、たっぷりと布を使ったドレスに、頭にも素晴らしい布の飾りをつけている。セネガルはイスラム教の国なので、女性たちは、頭に何か巻かなければならない、ということになっている。髪の毛はやや見えていても良いようだったが、頭には、布を巻く。
これは、いわゆるムスリム女性が頭に巻くヒジャブのようなものなのだが、セネガルではムソールと呼ばれているようだ。ドレスと同じ布地で作られていることが多く、本当にかっこよく巻いていて、とても真似できそうにない洗練さである。セネガルの女性医師も見事に頭の何倍もあるような高さと大きさに巻き上げていた。
この、ムスリム女性のヒジャブとかショールとか、ムソールとか……洗練された感じでぴったりと頭につけて、髪の毛が出ないように(セネガルでは出ても良いようだった)巻きつけるためには、かなりのテクニックが必要である。テクニックだけではなく、器具も必要で、タンザニアのザンジバル島で見せてもらったが、いわゆるヘアピンだけではなく、まち針のような、小さなピンも使っていた。自分でもあれこれヒジャブのつけ方を工夫したことがあるのだが、確かに、安全なヘアピンのみではしっかり止まらない。このまち針みたいな小さなピンは、はっきり言って、危険なものだ。一歩、いや、一手間違うと、頭を刺してしまう。これを頭にピンの先が向かないようにしながら、布をぴったりと頭に沿うように止めていくのである。
ムソールも、このまち針様ピンを使うと聞いていたので、このセネガル人女性医師の見事な頭飾りの中に、何個のまち針が隠れているのかな、とか、思ったものである。ムソールの巻き方は、あまりにも見事で、素人目には、どうやって巻いているのかさっぱりわからなかった。で、毎日毎晩、違う衣装とムソールをつけているから、荷物が多くなるのは誠に仕方のないことなのである。
ということで、ブラジルの人たちや西アフリカの人たちの姿を見て、私は旅に出る時に「荷物はできるだけ身軽に少なくしよう」というアングロサクソン的というか、日本的というか、そういうエトスを捨てることにした。大体私は公的な場では着物を着ている。着物だけのセットアップの場合、荷物はそんなに増えない。着物や帯は平面に折りたたまれているので、それをそのままスーツケースに入れれば良いし、草履もカバンも帯枕も帯板もそれらの着物周辺のものも着ていけば、運べているので、そんな大荷物にはならない。荷物が増えるのは、着物と洋服のダブルセットアップの時だ。どうしても着物だけでは済まないようなケースもままある時、洋服と着物、両方持たねばならないから、靴からバッグから下着から、寒いときには防寒用具まで、全てダブルで持たねばならないので、かなりの荷物になる。
でも、だから、なんだというのだ。運んでやろうではないか。今は四輪のついたスーツケースがいくら大きな荷物でもスイスイと運んでくれる。四輪のついた小さな機内持ち込みスーツキャリーだって、大きなスーツケースの上につけて運べたりするのである。ポーターなしで運べる四輪キャリーなので、これで、どこまでも欲しいものを運ぶことにしよう。たった一泊なのに、何?その荷物?とかいうような冷ややかな目はもう、60を過ぎると気にしなくて良いのだ。旅先で着たい服を着て、楽しむのが良い。Life is short、人生って短いんだから、という言い方は、周囲の知り合いが次々と死に始める年代になると、切実である。荷物の多さは気にしないことにしよう、とはいえ、持てる荷物はやはり限られており、体力と力は歳と共に減るのであるから、山ほど荷物を持って周囲の迷惑になるようなことはやってはいけないかなあ、と、最後は、ちょっとだけ弱気になってしまうのであった。
三砂ちづる (みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学名誉教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『ケアリング・ストーリー』『六〇代は、きものに誘われて』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。