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「第14回 妊娠中絶について 後編」ケアリング・ストーリー

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 前回、妊娠中絶が違法である国における「違法な妊娠中絶」は、イコール、「危険な妊娠中絶」となり、世界の妊産婦死亡の重要な原因の一つである、と書いた。違法であろうが合法であろうが、女性が妊娠中絶をしなければならない、という必要性は、必ずあるので、違法であっても妊娠中絶をしようとする女性はいるから、合法的な方法がなければ、危険な方法をとるしかないのである。

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 日本は妊娠中絶が合法な国なのか、と言われると、違法ではない。母体保護法、という法律があって、母体保護法に定められた適応条件があれば、母体保護法指定医師が行うことができることになっている。その適応条件には「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」と記されているから、つまりは「経済的理由」によって妊娠中絶を行うことができる、ということで、人工妊娠中絶はこの国では合法的に行える、ということになる。本人と配偶者の同意を得て、人口妊娠中絶を行うことができる、となっているものの、配偶者が誰かわからないときや、配偶者がその意思を表示することができないとき(連絡が取れないなど)は、本人の同意のみで人工妊娠中絶が行えることになっている。

 一言で言えば、日本は、違法ではなく、妊娠中絶を行ってくれる合法的なクリニックを探すことができる国である、ということは、間違いはない。妊娠中絶をしようと思っても、違法で危険な妊娠中絶するしかない、という国では、少なくとも、ないのである。

 なんとなくこういう奥歯に物の挟まったような言い方をするのには理由があって、日本では人工妊娠中絶は違法とは言えないが、とにかくお金がかかる。クリニックによって値段は違うが、現在は7万から15万くらい、ではないだろうか。大金である。“経済的理由”によって妊娠の継続ができない、と思って妊娠中絶をしたい、という人(が、妊娠中絶ができる、と考えていいのだから)にとっては、とりわけこのお金は厳しいと思う。

 例えば、イギリスでは、妊娠中絶はNHS(National Health Service)という公的医療システムのもとで、無料である。本当の意味で、妊娠中絶が合法である、という国は、そのように公的医療システムのもとで、無料で行える国のことを言うのではないか、と思いはするが、少なくとも日本は違法ではない。

 そもそも日本の医療は無料ではなく、国民皆保険制度によって運営されており、さらに、妊娠出産に関することは、この日本の皆保険制度の外にあるので、そもそも実費なのである。こういう複雑さを公的医療システムと呼んでよいのかどうかすら、わからないが、今は、そのことについては深入りしない。

 とにかく、日本において妊娠中絶は、違法ではない、ということだけ強調しておこう。妊娠中絶の必要があれば、そして、お金があれば、妊娠中絶の手術を安全に受けることができる。安全な環境で行われる妊娠中絶は、最も安全な外科手術の一つであると言われているからである。

 妊娠中絶は妊娠初期(12週未満)とそれ以降では大きく異なるので、さしあたりは妊娠初期の話をする。妊娠初期、12週未満の妊娠中絶の手術、というのは、具体的に言うと、掻爬(そうは)法か吸引法のどちらかで行われる。掻爬法というのはcurette(キュレット)と呼ばれる縁の鋭いスプーン様の術具を用いて、子宮内容物をかき出す方法であり、英語では文字通りcurettageという。最もクラシックな方法であり、昭和10年生まれの私の母の世代では、中絶することを「掻爬する」と言っていて、女同士の会話で使われていた。私の世代は、叔母や母など一世代上の女性たちが、「そうは」のことを話題に出していたことを覚えているくらい、普通に使われていたものだ。

 吸引法とは、機械で吸い出す方法であり、モーターを使う吸引と、MVA(Manual Vacuum Aspiration)という電気を使わない手動吸引の方法がある。日本の多くのクリニックはモーターを使っているところが多いようだが、MVAを使っているところも検索すると出てくる。電気の使用に不安のある開発途上国と呼ばれる国々では、MVAはよく使われてきた。前回書いたように、ブラジルでは妊娠中絶はご法度であったから、掻爬法はあっても吸引法は導入されていなかった。一年間セアラ州で4500名の「不完全な流産」で来院した女性を調査したデータをもとに、アメリカのIPASというNGO(現在検索してもまだ活動中のようである)に資金と技術援助を受けてブラジルにMVAを導入することができた。セアラ州立病院のスタッフにトレーニングを受けてもらって、その後、ブラジル全土に、「不完全な流産」治療にMVAが使われるようになっていく。掻爬法よりMVAの方が、負担が少ないと言われていたので、MVAのブラジルへの導入はよきことであったと今も信じている。

 日本では、技術の高いドクターたちが行っているので掻爬法でも吸引法でも同様に安全であり、体への負担も最低限であろうと思う。また、日本ではこれらの手術の多くは、静脈麻酔と呼ばれる全身麻酔のもとで行われることが多い。静脈麻酔は、呼吸作用の残る短時間用の“軽い”タイプの全身麻酔、と言われており、短時間で終わる妊娠中絶手術にはふさわしいとされている。結果として、日本で妊娠中絶を行う場合は、多くの場合、手術を受ける側にとっては「眠っている間に終わる」という感じで行われていることが多い。15〜20分の手術で終わり、当日に帰宅できるクリニックが多い。個人的には、これは、女性にとって大変負担の少ないやり方ではないか、と考える。

 現在日本では、飲み薬による妊娠中絶は認められていない。飲み薬の方が手術より簡単だから、とか言われたりするし、ネットでそのような薬を入手したり(危険だから絶対やらないで欲しい)することがあるようだ。この薬、というのが、前回言及した、フランスでは1980年代後半から使われ始めたミフェプリストンという妊娠を維持する黄体ホルモンを抑える働きのある薬と、ブラジルの薬局で売られていた経口プロスタグランジン製剤、ミソプロストロールである。これら二つの薬を一緒に服用すると、初期の妊娠中絶が可能であり、WHO(World Health Organization: 世界保健機構)も認める妊娠中絶の方法である。飲み薬なら楽だろう、と思うかもしれないが、前回も書いたが、これは妊娠している女性に流産を起こさせることである。流産には、痛みも出血も伴う。薬を飲んで中絶をする、とは、そういうことである。薬を飲んで、お腹が痛くなって(いわゆる“陣痛”である)、出血する。それらを意識のある中で、自分で痛みも感じ、出血も観察することになる。

 妊娠中絶はそもそも、心身ともに大きな痛みを残す。最初から、妊娠中絶をしたい女性などいない。どうしても妊娠を継続できない理由があるから妊娠中絶をする。どこまでいっても女性にしかわからない、女性が負うしかない、心と体の痛みである。

 そのようにつらいことなのだから、あえて薬を飲んで、その身体的つらさをつぶさに経験するよりは、日本で行われている全身麻酔のもとで、目が覚めたら手術が終わっている、というやり方の方が、より女性に負担が少ないのではないか、と考えてしまったりする。前述のイギリスでは、手術による方法も薬剤による方法も選ぶことができるようだ。日本でも、時間はかかっても薬剤による妊娠中絶も認可されるようになるだろうと思うが、それが女性にとって、手術と比べて心身ともに楽なのかどうか、には、個人的には疑問が残るのである。

 妊娠中絶はつらいことだ。女性は死ぬまで、忘れない。そのようなつらいことが、世界中の多くの女性にとって、必要不可欠なことである、ということを忘れないでいたい。

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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第3回  生活という永遠』はこちら

「第13回 妊娠中絶について 前編」ケアリング・ストーリー

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