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「第7回 望む未来」ケアリング・ストーリー

 

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 あれは、一度大学を卒業したあと、昼間、百貨店で働いて、夜、学士入学した別の大学の夜間部に通っていたころのことだった。最初に卒業した大学のおかげで薬剤師免許を取ることができて、百貨店の人事部医務室に薬剤師として働いて、週に一回、薬品売り場にも出ていた。
 百貨店は、毎日行っていたわけではなかったが、とにかく、大学に通う平日が休みの方がありがたいから、なるべく土日に好んで仕事を入れていた。大学は夜間部だから、講義があるのは夕方以降である。結果として、平日の昼間、けっこう外をうろうろすることになった。そして当時、つまりは1980年代だが、20代の若いものが、平日の昼間に外をうろうろしているとなんだかそれだけで、悪いことをしているような気がしていたのだ。そう思っていたのは自分だけなのかもしれないけれど。もともと自己肯定感が低めで人の顔色を見るという自らの性格には、20代ですでに自覚があったから、そういうめんどうくさい性格のせいだっただけかもしれないんだけど。
 錯覚であろうが、思い過ごしであろうが、思い込みの強すぎであろうが、性格のせいであろうが、少なくともそういう感じがあった、ということをよく覚えているのだ。同年代の自己肯定感が高そうだった当時の知り合いに聞いても、そんなに印象は違わない。確かになんとなくそういう雰囲気だったと思われる。当時、現実に、あんた、こんな平日の昼間にいい若いものがふらふらと何をやっているんだ、と言われたことはなかったのだが、それも女性だったからかもしれない、とか思う。男性だったらもっと強く感じたかもしれない。「いい若いものが」ふらふらしてちゃいけない、平日の昼間は働いてなくちゃいけない、みたいな……少なくともそういう空気を感じていたことを思い起こす。そしてそこには明らかに男女のバイアスがあり、男の方がより強いプレッシャーを感じたのではないか、とは思う。
 思えば、みんな「寅さん」の映画が大好きだったころだ。まともな仕事をしてなくて、もちろん平日の昼間うろうろしていて、何やってるんだかわからないフーテンの寅さんの映画がみんな大好きだった。自分はやらない、やりたくないまでも、そういう風来坊的な生き方には、高度成長期の日本人は、明らかに憧れていたのである。
 ちなみに、「寅さん」の映画、地球の裏のブラジルでは一貫して共感が得られなかったと聞く。平日の昼間にうろうろしていた20代ののち、日系人が人口1%を占めるブラジルに、30代の10年間、住んだのだが、「寅さん」の映画は一貫して人気がなく、「あんないい加減な男の映画の、どこがおもしろいのか」と言われていた。
 まわりをみてみれば、ブラジルでは「寅さん」みたいな、働いていなくて、昼間からうろうろしている人は別に珍しくなくて、働かざるもの食うべからずみたいな感じは日本よりずっと少なくて、当時のわたしのブラジル人家族のあいだでも、「家族のうち、誰かは働かなきゃね」と言われていて、「そうか、みんなが働かなくても、誰かが働いてくれればいいんだ」と思えるようになり、働いていたわたしは働いていない家族にお金を回すのであったが、それもそんなにエラいことしているとは思われておらず、おそらくわたしがお金に困るようになったらだれかが助けてくれるんだな、というマインドセッティングに自然に変わって行ったものである。骨身にしみる相互扶助の精神。たいしたものだな。文化の違い。人間、簡単にマインドセッティングって、変わるんだ。地球の裏に住んでみるのも、よい。
 ともあれ、2021年の今は、平日の昼間にうろうろすることになんとなくの罪悪感が漂っていたことなんか、誰も覚えていないんじゃないか。男も、女も、平日の昼間、うろうろしている。平日の昼間にうろうろしていることは、ちっとも変なことでも珍しいことでもなくなった。昨年来の新型コロナパンデミックで、オンラインワークも進み、結構な人が家で仕事をし、家の周りくらいしかうろうろできないから、平日の昼間、うろうろしている人はけっこういるのだ。同時に、ずっと家に引きこもっていて時折しか外に出ない人も少なくなくて、そういうことに居心地の悪さを感じていた人も、あんまり目立たなくなった。けっこうな人が、パンデミックの中、オンラインワーク、オンライン授業の進展で家に引きこもらざるを得ないことになったのである。
 みよ、30年か40年か前には、なんだか居心地が悪かったことが、別になんでもなくなっている。それについてだけいえば、それなりに、結構なことなのではあるまいか。望むようになっているのだ。バブルも終わった2000年代から、わたしたちは駆り立てられている、なにかわからないけど、駆り立てられている、と言ってきた。賃金労働しなければならない、という強迫観念からか、産業消費主義にあおられて際限なくものを欲しがっているからか、人と比べて先に行きたいのか、なんだかわからないけど、毎日駆り立てられていて、もう、つらくて、みんなもっとスローダウンしようとか、駆り立てられない生き方ってどういうのがあるのか、スローライフ、田舎暮らし、とかいろいろなことを考えたと思うけど、そうはいくものか、とでも言わんばかりに、しぶとい新自由主義とグローバリズムの世界はわたしたちを一層駆り立ててゆき、わたしたちは駆り立てられ続けた。止まることなんか、できない、と思っていて、みんな仕方なく駆り立てられ続けた。
 でも、あれ……。2020年の新型コロナパンデミックにより、世界中の人がスローダウンせざるを得なくなった。それで犠牲になってしまった人、生活に不安が出ている人、苦しい思いをしている人はもちろん少なくない。しかし、大方の人は、なんだか、このスローダウンぶりに、いや、ほんとうは生活は、こんなふうなほうがよかったのかもしれない、と、ふと思ったりしていないだろうか。こんなに犠牲になる人が多い形でしか、変われなかったことをもちろん喜んでいるわけではないし、今もオンゴーイングのパンデミックを楽観視することなど、さらにできはしないのであるが。
 つまり何が言いたいのかというと、望む未来は、ある意味、望む方向で訪れがちなものだ、ということである。
 女性を家事にしばりつけないでほしい、男性が男、男、と威張らないでほしい、姑なんかと暮らしたくない、一人一人がもっと自由に生きられるようになりたい、あそこも行きたい、ここも行きたい、海外旅行もしたい、お友達とホテルでお茶したい、道なかばとはいえ、かなりできる方向に世の中は動いてきた。今のわたしたちの暮らしは、50年前の人の夢である。

 1970年代にローマクラブが出していた「成長の限界」などの報告書のことを思い出す。世界の人口増は深刻な課題で、地球が危ない、と言われはじめた。日本も人口が増え続けることは戦後一貫して懸念事項だった。そう思えば、今の少子化は、70年代に望んだ未来だったとしか言いようがない。今、少子化をどう解決するのか、少子高齢化にどう対応するのか、話を聞かない日はないのであるが、それって望んだ未来でしたよね。望んだ通りになったじゃないですか。
 はい、それでは次は? わたしたちは何を望むのか。


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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第4回  最後まで自分の意思で過ごすには』はこちら

「第3回 生活という永遠」ケアリング・ストーリー

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