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5.102020
「第14回 学生会への立候補」
立候補してみない?
ニュージーランドはどの大学にも、Student Association (学生団体)というものがある。活動内容としては、大学が始まるオリエンテーションウィークにあるパーティの企画や、年中なにかしらイベントを企画しているので、多くの学生からは「イベント屋さん」として認識されているだろう。だけど、それだけではなく、大学側と学生のために交渉したり、大学の運営委員に学生の代表として参加することなどが、メインの活動だ。
私の通っていたオタゴ大学の学生団体は、Otago University Students’ Association(以下、OUSA)といった。OUSAは学生が予約制で使える部室棟を持っており、同じ建物にはサウナ室があったり、毎日三ドル(約二三〇円)のランチが買えたりする。私は特にイベントに参加することもなかったので、サウナとランチを通して、なんとなく知っていた程度だった。ただ、一年生の時に授業中、生徒会の選挙に出ているという人がやってきて、「自分が当選したらこんなことをします!」とスピーチをしていったのはなんとなく覚えていた。
二年生の七月ごろ、ボランティア活動を通して会ったことがあった一学年先輩のフィンに、話があるから会えないかと声をかけられた。なんだろうと思って一緒にカフェに行ったら、「今度ある学生団体の選挙に『党』を結成して、立候補しようと思っている。一〇個ある役職全てを埋めた党を作りたくて、留学生代表のポジションだけが埋まっていないから、留学生代表役員として私の党に参加して立候補してくれないか」という内容だった。
突然のことに、ポカンとしていたら、「君が留学生の代表だったらどんなことをしてみたい?」と聞かれ、「うーん、どんな留学生にもサポートがあって、置いてきぼりな気持ちにならないような環境作りをしたい」っていったら、「それいいね!やっていこうよ!」と言われて、少し乗り気になった。それでも、知らないことばかりなので、もう少し考えさせてほしいと伝えて、フィンとはそこでお別れをした。
数日後、ある大きなイベントで、ルーシー財団(前回参照)がブースをもつということで、そのお手伝いに参加していた。そしたら、そのイベントにフィンも参加していた。そして、私が休憩を取っている時に、「それで、この前話したこと考えてみた?」と聞かれた。イベントはいろんな未来の可能性について語るイベントで、たくさんわくわくする話を聞いていたところだったから、私も何かがしたい! という思いが高まっていたこともあってか、正直あまり考えられていなかったけれど、「うん、やってみる!」と返事をしてしまったのだ。
怒濤の日々
学生団体の役員会の選挙は、本当の選挙と同じくらい気合が入っていて、学生団体から選挙資金として一人五〇ドル、またはグループ全体で二〇〇ドルの支給がある。それに加えて、選挙法のようなルールもあり、選挙活動の方法や場所や期間が決められている。違反した場合には罰則もある。冒頭にも書いた通り、一般の学生は、こんなことも全く知らないことがほとんどだが、一度足を踏み入れたが最後、頭の中の八〇パーセント、そして日々の八〇パーセントくらいOUSAによって支配されていく。
私たちのように、一〇個ある役職全部の候補者を立てて立候補している党は、OUSA史上、初めてのことだったらしくて、良くも悪くも注目を集めた。選挙活動をしていいのは、投票日の二週間前から。私が立候補すると決めたのは、投票日の一カ月くらい前だったのだけれど、そこからほぼ毎日、数時間のミーティングが続いた。公約の内容について語り合い、ポスターのデザインを考え、スピーチをお互いに練習しあい、チラシをひたすら作っていく。
私たちが立候補した時、大学は、予算の問題によってたくさんの職員のクビが切られている時で、また、防犯カメラの数を増やすか増やさないかということを議論している時だった。それに対して、一人一人がどんな意見を持っているか話し合い、公の場でどんな回答をしていくかを詰めていった。私はこの党に一番最後に参加したということもあり、ミーティングに参加し始めた頃は、みんなが話していることすべてちんぷんかんぷんで、ただただ聞くことに徹していた。一〇人中二人は、すでに現役の役員で、彼らの経験談は、いろいろと参考になった。
話し合いの中で、あまり自分が貢献できることが少ないことに、負い目を感じていた。なので、実際に選挙活動が始まったら、私は車イスに乗ったアジアの女の子ということで目立つので、ビラを早く捌くことができたり、いろんな授業に率先して出向いて、自分たちの党に一票を!と話して回って役に立とうとしていた。
投票日の一週間前には公開討論会もあり、他に立候補している人たちとみんなで壇に上がり、司会者から投げかけられる質問に答えていく。中には一人で立候補している人たちもいて、そういう人たちがどういう風に練習していたかは知らないけれど、私たちはお互い質問し合ってたくさん練習していたので、緊張することはなかった。声をかけられなければ、立候補するなんてありえなかったけれど、一人で立候補するより、こういうサポートがある中の方が、絶対に心強いなと感じた。連日、目が回るほどの忙しさだったけれど、ワクワク感も多かった。
流される言葉
ちょうど同じ頃、国政選挙の選挙活動も始まった頃で、学食エリアなどに、オレンジの着ぐるみを着た人が、投票のための住所登録を学生に呼びかける姿をよく目にした。なんだか大きな流れの中の、一部になったような感覚があった。
ただ、選挙活動中に、言葉にできない違和感を感じることがよくあった。ミーティング中など、そこにいるはずなのに私はいないかのような勢いで、話がどんどん進んでいく。予備知識が少ないからしょうがないと、受け身の姿勢に徹底していたけれど、私の質問はさらっと流されることもあったりして、真剣に向き合ってもらえてないように感じることがあった。それでも、目的としていることは似ているし、あまり物事を荒立てるようなことはしたくないと、特に自分の思っていることを伝えようとは思わなかった。
ただ、ミーティング以外の公の場にいる時、私がいることで、私たちのグループは「多様性があります」といういいイメージを作り出せる。でも、グループの中であまり居心地よく感じていないという私の思いは、そのイメージを傷つけてしまうような気がして、周りをがっかりさせたくないという思いもあって、居心地が悪いと思っていることにすら、蓋をしてしまった。
実際の学生会の活動が始まってからも、この蓋はなかなか開けられずに、ここからもどかしい思いが続くことになる。
投票最終日、立候補していた学生たちみんなで、大きなスクリーンのある学食の反対側にある部屋に集まって、開票結果を聞いた。結果から言うと、私たちの政党は私を含め一〇人中七人が当選した。この活動に、渾身の力を込めて役員会長に立候補していたフィンは、残念ながら落選してしまった。その代わり受かったのは、ケイトリンという学生だった。私は、自分の政党の人達としか、選挙期間中関わってこなかったので、他の人たちがどんな人かまったく知識がなかったけれど、開票後、当選した人たちで写真を撮って、お互いに挨拶をし合った。
当選後はいろんな下準備をしつつも、自分の任期が始まるのは来年から、ということだった。選挙活動中のグループ内では、少し行き詰まりを感じていたから、実際の役員会はメンバー構成が変わることで、やりやすくなるかもしれない、と希望を感じた。
次回は、実際の留学生代表としての活動について話していこうと思う。
安積宇宙(あさか・うみ) 1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。 Twitter: @asakaocean
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