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8.102019
「第5回 一年目は寮生活」
寮を選ぶ
前回は大学の選び方について、私の経験をもとに書いてみた。そして進路が決まったら、次は住むところを探さなくてはいけない。
ニュージーランドでは大学のある地域によって、学生の暮らし方に特徴がある。オークランド大学では、実家暮らしの学生が多かったり、ワイカト大学では、最初からシェアハウスで住む学生が多いと聞く。
私の通っているオタゴ大学は、一年生の大多数はまず寮暮らしを選ぶ。オタゴ大学でも、初めからシェアハウスを選ぶ人、実家暮らしの人、ホームステイを選ぶ人もいるけれど、寮に入る人が圧倒的に多いのは、出会いを求めてのことだ。
オタゴ大学のあるダニーデンは大学を中心とした街なので、ほとんどの学生が、この地にほぼ誰も知りあいがいない中で、大学生活を始める。最初から大勢の学生たちと一緒に住めば、自分のネットワークを築きやすいのだ。一年の時に寮で出会った友達と、その後もずっと交友が続くのはよくあることで、寮生活は、オタゴ大学の大きな特徴の一つと言える。
オタゴ大学には、全部で一五の寮がある。初めて大学を訪れた時、ビクトリアさん(第4回参照)が、そのうちの一番大きな寮であるユニバーシティーカレッジ(ユニコル)に連れて行ってくれた。外見はマンションのようで、全寮生は約五〇〇人。どの部屋にもシングルベッド一つとクローゼット、机と椅子が備え付けてある。一つの部屋を覗かせてもらったら、服と書類が床も見えなくなるほど散乱していた。その衝撃の散らかりようは、親元を離れ自由を満喫している学生の姿と、大学生活の忙しさを物語っていた。
多くの学生と同じように、私も一年目は寮を選んだ。車椅子でも入れる寮は、見学した寮を含めて四つだけ。他の寮は立地が悪かったり、エレベーターがなかったりするのだ。
大学からの合格通知とともに、寮への入居を申し込むためのウェブサイトのリンクが送られてくる。そこに登録すると、希望する寮を三つまで選べる。私は結局、見学した寮以外の三つのバリアフリーの寮に、申し込みをした。この三つの寮はユニコルと比べると寮生は四分の一くらいで、落ち着いている雰囲気に惹かれたのだ。
オタゴ大学は古い大学なので、どの寮も比較的古く、それぞれの寮に伝統がある。寮の特質もあって、住む学生さんたちの雰囲気も違う。一番大きいユニコルは人数が多いこともあって、やんちゃでパーティが好きな学生が多く集まる。セイントマーガレット寮は、煉瓦造りの上品な建物で勉強熱心なアジア系の学生が多い。決められた自習時間もあって、この寮から医学部への進学率は一番だ。アラナ寮は、部活の部長や、高校で生徒会だったような、リーダー気質の学生が多く集まる。
私の入った寮は、一番新しくて伝統もまだない寮だった。名称は、ニュージーランドの先住民族、マオリとして初めてオタゴ大学医学部を卒業したテランギヒロアさんにちなんで、テランギヒロア寮といった。私はその寮の三期生で、全寮生は約一二五人。全部の寮の中で唯一、お部屋にシャワーとトイレがあることで知られていて、住んでいる学生に共通する特徴はなく、多様な学生がいた。
バリアフリーの部屋
ニュージーランド初日のできごとについては第1回で書いたけれど、その二日後、私たちは泊まっていたバックパッカーから寮へと移動した。ゲストも追加料金を払えば寮で泊まることができたので、手伝いに来てくれた友人が、生活が落ち着くまで寮生活の初めを一緒に過ごしてくれた。
私の部屋はバリアフリー用の部屋で、横幅はクイーンサイズのベットが二個置けるくらい。電動車椅子でもゆうゆう移動できるスペースがあった。部屋の横幅いっぱいの窓からは、毎朝朝日が見えて、それを見るのが私のお気に入りの時間になった。
ダニーデンは冬が長く、冬の間は朝日は七時半を過ぎないと昇ってこない。だから、早起きしなくても、毎日のように朝日が見えた。
ニュージーランドの空は、今まで訪れた国の中でも、特に光が綺麗だと思う。この年に出会った朝日は毎日違う表情を見せてくれた。新しく始まった生活の中、慣れないことも多くて、いつになったらこの生活に慣れるのだろうと不安に思うこともあった。でも、一日一日が違うのは、自然のことだから大丈夫だよと、朝日が教えてくれているように思えた。
初めて寮に足を踏み入れた時、消毒されたような無機質さを感じさせる白とグレーのロビーに、ここに馴染めるかどうか、少し心許なさを感じた。けれど、同じく着いたばかりの寮生達と、「どこから来たの?」「何を専攻するの?」など、決まり切った初対面の挨拶をなんども繰り返すうちに、だんだんその空間に慣れていった。会話した寮生の約七〇パーセントは、医療系の基礎演習コースを専攻し、その次の年から医学部、歯科学部などの専門コースに進もうとしていた。
NZの大学生は昼寝をする
大学の寮はどこも、三食昼寝付き。昼寝付きというのは冗談ではなく、私の知るここの学生は、ほとんどみんな昼寝をしている。私もそれまでは、昼寝するくらいなら他のことをしたいと思っていたのに、大学生になってから、昼寝が欠かせなくなってしまった。
寮では、週に一回、掃除の人が来てくれるし、新しいシーツも配られる。自分でしなくてはいけないことは、洗濯くらい。それすらも乾燥機まであるので、家事はほぼ全部お任せなのだ。
そして、よくドラマで見るアメリカの寮と違って、部屋はすべて個室。でも、人と一緒にいる方が好きな私は、最初それを知って正直とてもがっかりした。全く知らない人と、同じ部屋で暮らすのを楽しみにしていたからだ。結局、寮に引っ越して一カ月もしない内に、仲良くなった友だちと、ほぼ毎日どちらかの部屋で泊まっていたので、念願のルームメイトがいたようなものだったけれど。
寮の中で、よかったことと大変だったことで思い出すのは、両方ともごはんのこと。海外に行ったことがある人は、きっと誰もが感じる食生活の違い。寮では、日本食はもちろん出ないし、お米が出てもぽろぽろのお米。毎日サラダは食べられるけれど、味は単調で、物足りなさを感じてしまうこともあった。
そして、毎日たくさんの残飯が出るのを見るのも、辛かった。残飯をホームレスの人たちとか、ご飯が食べられない状況にある人に配ることはできないのだろうかと、料理長さんと相談したこともあったけれど、結局衛生面の問題で、それはできないという結論だった。
よかったことは、私はベジタリアンなので、それに合わせた料理も作ってくれたこと。私以外にも、十人以上の子達がベジタリアンメニューを選択していたので、同じメニューを共有できる人たちがいたのが嬉しかった。
そして、寮に入って二カ月ほど経ってから、ビーガンメニューに切り替えることができると友達が教えてくれて、試してみることにした。ビーガンを選んでいる学生は、四人くらいはいた。寮を出てからも、私はビーガンで通している。
ベジタリアンは、肉類魚類を取らない食生活のことであり、ビーガンはそれに加えて乳製品と卵や海鮮類など、すべての動物性の食品を口にせず、動物性の製品を使わない生活習慣のことだ。
人それぞれ、ベジタリアンやビーガンになる理由は様々だけれど、大きな理由の二つは、動物性の摂取は、環境へのダメージの大きな原因であることと、動物を搾取したくないという思いだ。動物は自然の一部みたいに見えるから、環境へダメージがあると聞くと、驚く人も多いだろうけれど、牛や羊の屎尿が、草原の土にしみて、それが雨で川に流されて、ニュージーランドの川はほぼ全て汚染されている。
また、動物を育成するためには、植物やお米を育てるよりも断然に多くの資源が必要で、世界全体で人口がとても増えている今、みんなが動物性を食べる生活をしてしまうと、資源も足りないし、地球がもたないと言われている。
寮の料理長さんがメニューを考えてくれるおかげで、私の場合、ベジタリアンからビーガンへの移行が簡単だったことは、とてもありがたかった。
昼食と夕食の食事の時間は決まっていて、十二時半と五時半。食事の時間が近づくと食堂の前にみんなで列になって待つ。
毎日大勢の寮生たちとともにとるごはんは、その日一日みんながどう過ごしていたのかを聞き合ったり、話したことがなかった寮生と話すチャンスでもあって楽しかった。それでも、毎日となるとたまには静かに食べたいと思う時や、誰と座ろうかなんて考えてしまって、疲れることもあったし、寮生活の最後のころは、寮から出て自分たちでご飯を作れる日を、よく友達と夢見ていた。
寮生活から離れて三年経つ今は、毎日誰かがご飯を作ってくれて、たくさんの友達と食事を囲んで楽しかった時間を、なつかしく思い出す。今でも一番仲良く過ごしているのは、寮で出会った友達だ。かけがえのない出会いをもたらしてくれた寮生活に感謝している。
安積宇宙(あさか・うみ) 1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。 Twitter: @asakaocean