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「こわい」と言えなかった。あの日から15年——ノーマ・フィールド×わかな 3.11特別対談(前編)
2011年3月11日、あなたはどこにいましたか。
わかなは15歳でした。その出来事について書いた『わかな十五歳』を出版したのは、10年後の2021年。
そして今年、3.11から15年を迎えます。
「生きてきてくれてありがとう」
わかなは15歳の自分に向けて、そう書きました。
日本研究者であり日米の核問題をも長年見つめてきたノーマ・フィールドとの対談は、その言葉から始まりました。
「生きてきてくれてありがとう」と過去の自分に言える
ノーマ 50代半ばを過ぎた友人の話をさせてください。日本の社会にも文学にも詳しい「Aちゃん」には弟がいて、「死にたいくらい苦しい時は、必ずお互いに最初に伝えようね」と約束していました。それでもある時、弟さんは逝ってしまった。そのAちゃんに、来週、わかなさんとまたお話することになっていて、わかなさんは15歳の自分に「生きてきてくれてありがとう」って書いているんだよ、と伝えました。するとAちゃんは、「過去の自分に『ありがとう』と言えるということに、すごく感動する」と言ってきました。わかなさんの言葉は、このように響くものがあるんですよね。
わかな ありがとうございます。
ノーマ Aちゃんは、大学院時代から少年院に送られる子どもが出廷する時の付き添いなど、若い人支援をやっていて、最近では特にガザの大学生とインターネットでつながり、爆撃に晒される日常に「付き添って」きました。そいう彼女が、わかなさんの言葉をすごく喜んだのです。わかなさんは15年前、「死にたい」とノートに書くほど追いつめられて、それから生きようと前を向くようになりました。つまり人生の意味を、10代にしてつかんでしまった。大人の欺瞞も理解してしまった。それはたいへんな、壮絶な体験だったと思います。
あの日は卒業式だった。優等生だった私の日常は原発によって一変した。「安全」「危険」どちらが正しいのか、大人もわからない非常事態下で子どもが見た光景とは。現実から目をそらさなかった著者は暗いトンネルをくぐりぬけ、生きる覚悟を決めて今、語り出す。重いバトンを渡された世代が語る希望の物語。(『わかな十五歳』内容紹介より)
わかな 15歳だったから、まっすぐ理解できたのかもしれません。もしも、18歳や20歳で体験していたら、本に書いたこととはまた違ったことを感じたのだろうかと、思うこともあります。
ノーマ 確かに年を重ねると、いろんなカラクリを知って、言い訳を身につけますよね。日本語では「仕方ない」で片づけてしまう。大人に近づけば近づくほど、心の抵抗のエネルギーもすり減っていくのかもしれません。
わかな そう思います。
母の言葉、先生の言葉
ノーマ 被ばくの影響について、早い時点でつかんでいたのは、お母さんがきっかけでしたね。
わかな ラジオで原発爆発のニュースを聞いた母が真っ先に、「チェルノブイリみたいになる」と言いました。本にも書きましたが、その時の私はチェルノブイリ原発事故(1986年)のことも知らなかった。「ちぇるのぶいり」とひらがなが頭に浮かびました。母はその事故を覚えていたので、家族で山形に避難しました。母はクリスチャンだったので三浦綾子さんの本を読んだり、戦争や人権についての本や、平和を考えさせる絵本をたくさん私に勧めました。だから福島の原発事故が起きた時、敏感に何かを感じて、避難を考えたのではないかと思います。
我が家には手まわしラジオがあり、十一日の夜からそれを使いながら情報を得ていました。地震の翌日、東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が起こりました。ラジオで爆発のニュースを聞いて、真っ先に母が「このままだとチェルノブイリみたいになる」と言いました。私の脳内でチェルノブイリという言葉が「ちぇるのぶいり」とひらがなで表示されました。「ちぇるのぶいりって何?」と聞くと、母は「昔ソ連で大きな原発事故があってね。とても大変な被害が出て、健康被害で苦しんだ人もたくさんいたんだよ」と教えてくれました。(『わかな十五歳』より)
ノーマ 福島から山形へ移ってから、身を寄せた先のお祖母さまとは事故の受け止め方が一致しなくて、うまくいかなかったと本で書いていますね。お母さんは、ご自身のお母さんと、娘さん——わかなさん——との間で、かなり悩んだ方ね、きっと。苦しまれた方ですよね。
わかな はい、そうだと思います。祖母は、テレビや、政府の言う「安全」を信じているようでした。母の方が、最悪の可能性まで考えているように見えました。
ノーマ もう一つ、教師たちのエピソードも忘れられません。事故直後、わかなさん一家は一時避難しますが、一度、福島へ戻って高校に通い出します。そこで自主避難することを話した先生に、「行くな」「おまえが行くと風評被害が広まる」と言われます。人として、教師として、不甲斐ない大人だと思いますけれども、彼らの振る舞いにもそれなりの背景があったわけです。また次々と原発が爆発した直後の3月16日に、屋外で高校の合格発表を行うことに反対した先生が、校長から「中止したら自分の首が飛ぶ」と言われた、という話も書いています。その時のことは、今大人になって、どう思っていますか?
わかな 当時は、親も先生も「大人」というカテゴリで見ていました。そして、なぜ大人はこんな風に嘘をつくのだろう、「それを言っちゃダメでしょう」ということを、どうして子どもに言うんだろう、と思っていました。わからないものはわからないと言ってくれればいいのに、と。実際、どれだけ被ばくしているのかなんて、当時わかりませんでしたし。
ただ大人たちもきっと、事実を見るのがこわかったのでしょう。事実を直視することで、自分の立場が危うくなるという事情も、今なら想像できます。大人の苦しみもつらさも、当時以上に身をもってわかるようにもなりました。
弱さを見せることのできない大人たち
ノーマ 大人として、教員として、あるいは日本社会における男性として、泣いてはいけない、弱さを見せてはならない、と言われて育ってきた経験から、「行くな」という台詞が出てくるのでしょう。「おまえが避難すると風評被害になる」と言った先生は、結局、風評被害という解釈を受け入れているわけです。避難は風評被害を招くと片付けて、被ばくという現実から自分を遠ざけて生きていこうとしている。大人が子どもたちを守れないのは、大人が、自分自身も守らなければならないという意識を全く持てない、ということではないですか。
わかな はい。
ノーマ 自分を守ろうとする意識を抑え込んで生きてきたところに、福島の原発事故が起きた。そして「風評被害」という便利な言葉が広まり、その言葉によって子どもたちも統治され、誰もが自分の感情を抑えながら、いわば表面だけを取りつくろって生きていかなければならない状況が生まれたのだと思います。
ただ、原発事故がなかったとしても、わかなさんはどこかで同じような悩みを抱えたのではないでしょうか。原発事故という大きな出来事があったから、日本社会の特徴がはっきり見える形になった。しかし、わかなさんの問いの本質は、「どうすれば、自分が大切だと思うことを大事にしながら生きていけるのか」ということではないですか。
原発事故に出会ったことで、その問いに真正面から向き合うことになったのだと思います。
この本にはA先生、B先生、C先生など、さまざまな大人が登場しますし、ご両親もそうです。読んでいると、大人たちの中にも葛藤があることが伝わってきます。それを隠さずに見せてくれていることは、とても大事なことです。
一方で、多くの人は「人は何のために生まれてきたのか」という問いを、早い段階で手放してしまう。そうした社会の息苦しさが、この本から強く伝わってきます。だからこそ、時には死にたいと思うほど苦しくなる瞬間もある。
本当に大変な時期があったと思います。でも、妥協はしたくない。けれど、その先の道が見えない――その時がいちばんつらかったのではないでしょうか。
妥協してしまえば、周りの人たちと同じように生きることもできたはずです。しかし、それは選ばなかった。そこに、この本の大切な意味があると思います。
わかな そういう意味では、いざ原発事故のような大事故が起きて、危険なのか安全なのか、誰の言うことを信じればよいのか、判断を迫られた時に、自分の弱さを直視できるかというと、男性のほうがおそらく難しいのだろうと思います。幸か不幸か、まだ女性のほうが、あなたたちは弱いということを刷り込まれているし、自分と向き合いやすい性別なのかなと。自分を大事にしなきゃとか、命を守らなきゃみたいな基本に立ち返ることが、男性のほうがものすごく難しい。その結論にたどり着くまでの道のりが長いというのかな。
「命を守る」って本当はとてもシンプルなことなのに、難しいことのように考えざるを得ない。仕事やお金、立場、そして、男として。「命を守る」=弱さを認める(プライドを捨てる)と解釈している方もいらっしゃるように思います。当然男性に限ったことではないですが。比率として男性の方が多い印象を受けます。それってものすごく苦しいだろうなって思います。
そして、自分の弱さと対峙できない人が、社会の中で苦しんでいる人へ想像が及ぶのかということに、私はすごく疑問を持っています。もっと自分を大事にできる人が増えたら、変わってくるんだろうなとも思います。
ノーマ 歴史的な波もあると思います。フェミニズムも第一波、二波、三波が語られますが、フェミニズムが浸透した時代には、たとえば職場の女性に対する言葉遣いとか、言っていいことといけないことに変化が起きるものです。意識するかしないかにかかわらず、マナーが変わる時期があります。ポップカルチャーの中でも、vulnerability、自分の弱さ、傷つきやすさを見せることが流行ったことがありました。
わかな そうなんですか。
ノーマ 男性の立場でも、あえて弱さを表現する。流行りに過ぎないとも言えるけれど、流行りは、大事なことです。
わかな そう思います。
(後編に続く)
ノーマ・フィールド
1947年東京生まれ。シカゴ大学名誉教授。日本文学・近代日本文化論を専門とし、夏目漱石『それから』の英訳も手がける。著書に『天皇の逝く国で』、『祖母のくに』(以上、みすず書房)、『小林多喜二 21世紀にどう読むか』(岩波新書)他。
わかな
1995年、福島県生まれ。2011年5月、福島県伊達市から山形県に避難。2015年より北海道在住。現在は北海道各地で経験を伝える講演活動を行う。
わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11/ わかな









