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安積宇宙さんインタビュー「自分だけがラッキーだってことにしたくない」

生まれた環境がラッキーだった

 1996年5月9日、東京の国立市近くの府中病院で生まれました。母の遊歩も私も、生まれつき骨が弱くて、骨折をしやすい体質を持っています。

 そんな私の誕生は、全く計画されたものではありませんでした。けれど、とてもラッキーなことに、予想していなかった妊娠だったのにもかかわらず、すごい行動力とともに、私の両親と、その友人たちは私が生まれ育つための環境を、生まれる前から準備してくれました。

 さらにラッキーなことに、いちばん近所にあった総合病院の産婦人科の医師が桑江千津子先生というすばらしい方でした。なぜラッキーかというと、障がいを持って妊娠すると、出産を反対する医者も多くいるからです。でも、桑江先生は、遊歩が最初に診察を受けに訪れた時に、「生むんでしょう」とためらわず声をかけてくれました。その言葉に、ずいぶん支えられたと、遊歩は言います。

安積遊歩さん、安積宇宙さん

生まれて間もなく。すでに、あちこちおでかけに連れて行ってもらった。

小学校は不登校

 骨が弱いからということで保育園や幼稚園には行きませんでしたが、小学校は地域の学校に通いました。最初は入学拒否をされたのですが、両親が、教育委員会と学校と交渉したうえで、私と学校に行く介助員さんを自分たちで見つけるという条件で、通うことになりました。

 初めて同世代の子たちに囲まれた生活は、いろんな楽しさと、チャレンジであふれていました。みんなから「なんで車椅子に乗っているの?」と聞かれることで、自分がみんなと違う体を持っていることを知りました。

 放課後、お互いのお家に遊びに行ったりと、いろんな楽しい思い出もあるけれど、骨が弱いから体育は限定的な参加だったり、休み時間に追いかけっこに混ざれなかったことで、寂しさを覚えることもありました。

 また、家では自分のペースが尊重される環境だったのに比べ、学校では、自分の意見は聞かれず、早く正しい答えが書ける子が、優秀な子とされる競争に、とまどいを覚えました。そうしたいろいろなことが重なって学校へ行くのがいやになり、小学校2年生の6月で、学校に行くのをやめました。

 これまたラッキーなことに、自宅で父親が他の学校に行かない子たちのためのフリースクールをしていたので、そこへ週2回くらい通いました。学校に行かなくても勉強できる場所があって、年齢の近い友達たちのつながりもありました。

集合写真

父とフリースクルールの仲間たち。写真提供:伊是名夏子

 毎日いろんな人が家に訪ねてきたり、月に数回は遊歩の出張について県外に行ったり、年に1、2回は海外にも行っていました。時間があったら本やマンガを読んだり、パソコンが普及してきていたので、オンラインで友達とゲームをしたり。12歳までに15回くらい骨折しているから、年に2カ月ちょっとは寝たきりでもあったけれど、暇をした記憶はあまりありません。

海外の学校で学ぶ

 好きだった少女マンガの影響で、制服を着て学校へ通うことへの憧れが生まれ、中学校には戻ろうと決めました。そして、少し通った小学校の隣にあった地域の中学へ入学をしました。

 仲のいい友だちもできて、楽しい学校生活を送っていた矢先に、東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故が起きました。放射線の影響を避けるため、遊歩と一緒にニュージーランドへ避難しました。日本と行ったり来たりの生活の始まりでした。

 ニュージーランドの高校を卒業後、大学への入学を延期しました。ニュージーランドでは大学への合格を一度もらえば、その年に入学しなくても合格は有効です。

 卒業後1年目の4カ月間は、デンマークのフォルケホイスコーレに行きました。フォルケフォイスコーレは北欧にしかない教育機関で、18歳以上であれば誰でも入学できます。人生のことや、自分がなにをしたいかなどを探れる面白い学校です。

 私が行ったのはInternational People’s College(IPC)と言って、第一次世界大戦後に敵国同士の若者がお互い共に学び合えば戦争がなくなるのではないかという思いの元、創立された学校でした。平和のことを中心にいろんな教科が学べて、名前の通り、世界中から生徒が来るので、主な言語は英語でした。

 全寮制で、生徒も先生もともに暮らしました。両親と離れて生活する初めての機会でもあり、一人で、全く新しい環境でも生きていける! という自信がつきました。

2年目は、日本のことをもう少し学びたいと思い、塾でバイトしたりインターンシップをしながら、時間があれば、日本各地の知り合いの家にお邪魔したりして過ごしました。

修学旅行の友人たちとの集合写真

IPCの修学旅行で行ったベルリンの壁の前で。右から4番目が私。私の車椅子には友人が座っている。

自分の障がいに向き合う

 2年間のギャップイヤーを経て、2016年からニュージーランドの南島のオタゴ大学へ入学しました。

 2年生の中ごろ、友だちから「生徒会の選挙に一緒に出ない?」と誘われて、3年時は留学生代表としての仕事をさせていただきました。

 また義足を使っている先輩に誘われて、障がいをもつ家族がいるメキシコのコーヒー農家をサポートをする団体にも、関わるようになりました。

 そういう仕事やボランティア活動を通して、昨年(2018年)、ニュージーランド政府の若者省が選ぶ「多様性と共生」という賞をいただきました。

 私は、大学にとっても初の車椅子に乗った正規の留学生で、障がい学生サポートセンターと留学生サポートセンターからのサポートを受けることができます。車椅子であることのチャレンジは今も続いていますが、車椅子ユーザーであることで、いろんな人と知り合い、たくさんの機会をいただきました。

若者賞授賞式

若者省による若者賞の授賞式にて。若者省大臣と、同席してくれた友人と。

 今は社会福祉専攻の4年生で、ソーシャルワーカーをめざしています。

 大学3年生の時、知的障がいを持った人たちが、地域でもっとつながりを持って生活するためのサポートをする団体で研修をしました。

 私は、障がいを持ちながら、地域で自立生活を実現させるため最前線で闘う母の元に生まれました。でも実は、自分の中で障がいをもつことを受け止められずにいました。他の障がいをもつ人とかかわりたくない、という思いがずっとあったんです。

 中学3年生のころ、「宇宙は障がい者だから、一緒にいたら差別される」と上級生が言っていた、と知りました。その言葉に傷つきましたが、同時に「障がいを持った人たちと関わりたくない」という自分の思いは、彼女と同じであることに気づきました。だからまずは、自分で自分の障がいを受けとめたい、と思うようになりました。
 そして、義足の先輩や知的障がいをもつ人たちとつながる中で、障がいを持つ人たちの世界や感覚って楽しいな、と心から思えるようになっていきました。

ソーシャルワーカーをめざして

 これから、やりたいことはたくさんあります。

 私の育った環境や、桑江医師との出会いを、「ラッキーなこと」と言いました。世の中には、本当につらい環境で育っている子どもがたくさんいます。

 でも私は、自分の環境が特別ラッキーだった、ということにしたくない。誰もが誕生を喜んで迎えてもらって、その後も必要なサポートを受けられる環境が、当たり前の社会になってほしいのです。

 ただそれは、一人でできることではありません。まずはソーシャルワーカーになって、いろんな方法を学んでいきたいと思っています。

 そして今は、地球の環境もこれからどうなるかわからない状態です。だから、なるべく地球に負担をかけない生活を心がけています。ゆくゆくは、大切な人たちと自給自足に近い生活をしたいなと思っています。

 もう一つ必ずやってみたいことがあって。金滿里さんの劇団態変(障害をもった人たちだけの劇団)の舞台に立ってみたい。舞台に立つことはこわい気持ちもあるのですが、すごくいい学びになるだろうから、なるべく早く実現したいなと思っています。

自然の中にいる安積宇宙さん

大切な人と自然の中にいる時間が一番好き

安積宇宙プロフィール画像_ニット帽
安積宇宙(あさか・うみ)
1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
Twitter: @asakaocean

 

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