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あの日から13年が過ぎようとしている。わかな

あの日から13年が過ぎようとしている。

15歳だった私は28歳になり、今年で29歳になる。

今朝の夢はまた、

福島の夢だ。

避難先の山形の家ではなく、

今住んでいる北海道の夢でもなく、

福島の家の夢だ。

学校に行かねばと思っているのに午後5時で遅刻だと思っている夢だ。わけがわからない。

山形に自主避難してから

福島の夢を見て起きる度に、

あぁ東日本大地震も原発事故も現実だったと最悪な気持ちだった。夢の中に帰りたい。福島に帰りたい、と。

当時の睡眠時間は1日およそ3時間ほど。夜中の3時から朝方に寝ついて朝6時には起きていた。あの暗黒の高校3年間を思うと本当に辛い気持ちになる。

あれから13年が経ち、

夢見も変われば、

私の生き方も考え方も変わる。

今朝の夢見から起きた私の気持ちは、

あぁ夢でよかった、という安堵である。

福島の夢はいつもなぜかセピア色で、

焦燥感と不安感を感じる。

中学までの友人達と家族が出てくる。

遊んで楽しく過ごす夢もたまに見るが、

なぜかいつも不安なのだ。

そして、夢の中ですら思う。

放射能が、と。

今朝、

目が覚めて、あぁ、よかった。

不安な気持ちだったけど、

何だ夢だったか、と思って、

ハッとした。

福島に帰りたい、夢の中にいたい

という気持ちよりも、

福島の家で過ごすこと、

古い友達と会うこと、

当時の不安感を思い出すことのほうが辛くて、

現実世界の方が幸いだと思っていることに。

2021年3月11日に

本を出版した。

おかげさまで

『わかな15歳』はひとりで私が知らないところで静かにいろんな人の手に渡っている。本当に嬉しい。

本が出てから私はしばらく、言葉にし難い葛藤と向き合ってきた。

なんとなく、

講演会をすることに違和感を感じることも増え、

話したいが、話したくない、という矛盾を感じるようになった。講演やインタビューの日が近づくにつれ、精神的苦痛が極まった。しかし、なんとなく、当日講演やインタビューが終わると「やってよかった」と感じた。やらなきゃよかった、と思うことは一度もなかった。そのため、なんとなく、続けてきた。

この、なんとなく、というのは人によってはなんていい加減なと思うかもしれないが、あくまでこれは私が大切にしている「感覚的な生き物としての直感」である。物はいいよう、と言われるような気もするが。

そして、去年の夏。私は1ヶ月に四つほどの原発関係の予定を何故か詰め込んでしまい、その後、大きく体調を崩した。ここ数年、ほとんど風邪などひかなかったのに風邪を短期間で2回もひいて寝込んだ。

 

活動をやめる、やすむ。

私はそれをこの約3年選べず、なんとなく、やれるところまでやろう、と折り合いをつけながら続けてきた。しかし、体調を崩し、しばらく布団に横になる時間を過ごして、私はようやく、しばらく無期限休止しよう、と思った。もうやらない、と思うとまた面倒な性格の私はあれやこれやと真面目すぎるぐらいに色々悩むだろうとおもい、いい加減な都合の良い塩梅の「無期限休止」という道を選ぶことにした。

とはいえ、、、

その道を選ぶのにも、布団の上の私はまた「面倒なこと」を考えていたのは言うまでもない。

私が講演会を続けることになんの意味があるのか、と布団の上で悔しくて泣いた。そんなことがあったなんて知りませんでした、という言葉を聞くたびに「私が伝えることで誰か1人でも多くに伝わる」と前向きに思えたことが、もう、13年も経ってこれだけ私なりに頑張ってきたけども、それでもまだ「知りませんでした」と言われることにだんだんと耐えられなくなってきたのだ。知らなくてごめんなさい、と言われることも、知らせられなくてごめんなさい、と自分を責めるようにもなった。もう13年という月日が経っても原発はなくならないどころか、またいつ原発事故が起こるかもわからないような危うい日々が続いている。

若い人には希望を感じて生きてほしいと思いながら、私自身がこの世界で生きることに希望を感じていくのに苦労している。日々諦めたくなるような出来事が起こる。

ある人が、「私が伝えていかなきゃならないと思って」と話しているのを聞いて、私は「これを伝えていかなきゃと思わねばならない世界で生きている」んだということに気がついた。私が「それを言わなきゃならない世界」を探して講演会をしている、ということに気がついてしまって、とうとう足が止まってしまった。そして、その世界であの日あの時あの場所で、あの時から何があったのかを話す私と、それを聞く誰かは本当に幸せなんだろうか、と考えてしまった。

いつのまにか、どこかで、私がやれば、誰かを変えられる、世界を変えられる、とすら思っていたのかもしれない。もともとは、講演会などは自分自身のためにやっていた。ただ私が話したくて講演会をして、その延長で聴いた人たちが何か感じてくれればいいなと。でもいつしかそれは、「言わなきゃならない世界」の人達のために話さなければ、という義務感に変わっていたのだと思う。

風化させないために、誰かのために、という気持ちすら、何だかとってつけたような、やるための大義名分のようにしか思えずにいた。私は自分の気持ちを無視してまでやる必要があるのか? 風化させたくない、福島や震災を忘れないでほしい、と取り上げるメディアもそれを見る国民も、結局この13年間一体どれだけ現実を動かしてこれたのか。これ以上なんのために話せばいいのか。私は何をしたくて、何のために話すのか、見えない。13年間、あの日から変わってない、と思う虚無感は毎年大きくなる。何かをやらねば、とも思う。でも、私は何かをしたいのではなく、何かをやらねばと思っているのだ。なにかが、違う。

そして、本を出して、私はある意味、自分がやりたかったことはやり遂げたのだと悟った。第何章だかわからないし、これが最終章なのかすらもわからないけれども、ひとまず、どうやら、私はやりたいようにもうやり切った、らしい。もう少し、頑張ってみようかな、とは思えない。もう、頑張らなくていい。それが私が2023年の末に出したアンサーだった。

 

そんなアンサーを出した矢先で1月1日、能登の地震が起こった。皆さんもご存知の通り、原発も大変危険な状況になり、いまだに復旧作業中だと言う。ここ最近では千葉県あたりで地震が頻発し、関東大震災、南海トラフまで秒読みかとも言われている。

勘違いしてほしくないのは、昨年末でもう原発のことも地震のこともどうでも良くなった、もう何もやらない、ということではない、ということ。むしろ、相変わらず、ましてやこれまでに増して気にしている今日この頃である。

そして私はまたしても先日、ストレス風邪を再び再発してしまい、治りかけ。本当に心と身体は密接な関係を持つ、と私は身をもって勉強させられていると思う。学べ。本当の意味で「幸せ」であれ、と。こんな世の中であろうと、生きる、のだ、と。生き延びろ。大地に足をつけ、こんな世の中だったから幸せになれなかったとお前は叫ぶのか、そんな悲しくて辛くて悔しい言い訳があるものか、と。己の幸せくらい己で責任とってみろ。健康であれ、と。まるで自分の身体と心と、目に見えぬ存在から叱咤激励でもされているかのようにも思える。生きてみろ、この世界を、と。

私は今とても悔しい。

歯を食いしばって、何くそ、もっと幸せ感じて生きてやろうじゃねぇか、と。

「生きる覚悟を持つこと」

という信念は相変わらず健在である。

ここ数年で自分が変わったと特に思うのは、

悔しくて泣きながらも

「クソッタレー!」と悪態を大胆につけるようになり、

人を頼れるようになり、愚痴(周りの人はそれは愚痴じゃないから大丈夫、真っ当な意見だと言ってくれるが!)をはけるようになり、

「人生面白くなってきやがった」

と思えるようになったことだ。

高校時代のあのドン底の黒春を知ってる私は、次に来るであろうドン底(できればきてほしくないが)に向けて日々へっぴりごしで訓練中である。

私はヘタレで情けない。

傲慢である。

でも、わたしはそれでも、

仕事も恵まれ、人に恵まれている。

本当にありがたい。

そんな自分を今本当に好きだと言える。

これは私が13年ぶりに感じる感覚である。

周りの大人とそして自分自身に絶望し、

愛することと向き合った一つの大きな章(13年ものページが!!)がようやく幕を閉じ、そしてまた新しい章が始まっていく、そんな気がしている。

15の頃の私は今の私を好きだと言ってくれるだろうか。活動しないお前は嫌いだ、そんな大人になりたくなかった、と言われるか、、、それとも、、、そんなアンタもいいんじゃない? と笑われるのか、、、。きっと後者だろう(と、思いたい)。

次は講演会という場ではないところで私の名前を見たり聞いたりするかもしれないし、もう名前すら見なくなるかもしれない。でも、私はこの世界にいる。それでいい。私は私の人生を歩んでいる。いつ死んでも悔いはない。

それでも、、、やっぱり、原発も核もいらない。私が生きてる間に魚が食えなくなって、野菜も生き物も草も花も木も土も水も空気も今よりも汚れてしまうのは嫌だ。だから私は目指す楽園のために地に足をつけて自分の健康に留意して幸せに生きていこうと思う。命を1番大切にして生きていくひとりであるために。

私1人が自分自身のこともままならないまま、誰かの命を守ることなど実現しようがないのだから。

私は今日もまた生きていきます。

一緒に生きていきましょう。

こんな世の中ですが。

新しい一年が幸せを感じられる一年でありますように。

最後に、

1つ欲張りなお願いをすれば、

あなたの大切な人にこれからも『わかな15歳』をプレゼントしてください。あの日を知っている子どもたち、わかもの、大人たちへ。そして、あの日を知らない、子どもたち、大人たちへ、、、。

生きててくれて、出逢ってくれて、

ありがとう。

読んでくださってありがとうございました。

 

(わかなのFacebookページ https://www.facebook.com/wakana.official/posts/800483168799048 より転載)

わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11

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