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核を自分事として考える わかな

わかなさんが「ハイロニュース」37号に寄稿したエッセイをご紹介します。

あの日から10年

 今年で東日本大震災・原発事故から10年経ちました。当時私は福島県伊達市というところに住んでいました。3月11日の午前中は中学校の卒業式で、私は卒業生として証書を手にして家族と帰宅してから、午後に震度6の地震を経験しました。私は15歳でした。同年5月に放射能から逃れるために山形県に家族で移住し、その後2015年に北海道に一人で移住しました。今思いかえせば、15歳で被災するということがいかに大変なことだったか客観的に思い出されます。

「核」を自分事として考えるきっかけに

 私は一昨年から自分の経験を話す講演会活動をしています。昨年末から北海道で「核のゴミ」問題が大きく取り上げられるようになりました。そのため、今回の核ゴミ問題について多くの人に「自分事」として関心を持ってもらうためにある方から「講演会内容を文字起こししてほしい」という依頼をうけました。そのあと、出版社の方から連絡があり、「加筆して本にしませんか」という提案をしていただき、本の出版が決まりました。
 もし、明日、原発が爆発したら、あなたはどうしますか。もし、明日、核のゴミが地元に運ばれてくるとしたら、どうしますか。その日は突然やってきます。と講演会で話していましたが、どうしても他人事にしか考えられないのかもしれない、と講演会中も虚しさにかられることは少なくありませんでした。昨年末、とうとう、この北海道という地にも核ゴミが運ばれてくるかもしれないと身をもって危機感をおぼえた人がたくさんいます。しかし、一方で、目先の利益にとらわれてしまい、未来のことまで考えられていないという人も少なくないようです。いつか自分の経験を本にしたい、核を自分事として考えてもらうにはどうしたらいいだろうか、と悩んでいた私にとって今回の本の出版は願ってもない出来事でした。

15歳の私がみた原発事故と大人たち

 15歳という多感な時期に私が原発事故を通してみてきたものは、「命」を優先にしない大人たちの姿でした。私は一か月だけ福島の高校に通いました。その時に放射能から逃げるために、学校の先生に「自主避難することになりました」ということを伝えた時、「行くな。お前が行くと風評被害が広まる。」と言われた経験があります。放射能被害は実害なのにもかかわらず、風評被害が広まる、という表現はおかしいのです。命を優先しようとすれば、それは過剰な反応だ、と言われ、当時は「放射脳」などという言葉も生まれた程でしたが、内部被ばくのことを考えれば「逃げる」「心配する」ということは過剰反応でもなく、むしろ当然のことだったと今では思っています。
 原発は「安心安全」「明るい未来のエネルギー」などと言われていました。しかし、原発は、核のゴミの問題、事故が起きたときのことを考えれば、何世代にも渡る管理が必要な「負の遺産」なのです。未来のために、次世代のために、子どもたちのために、地元経済のために、と声高にいう人もいますが、果たして、その負の遺産についての責任は誰がとるというのでしょうか。高校生の時、「後のことはよろしく」と言って無責任に次世代に丸投げしようとする人たちをたくさんみてきました。「私たちは何も悪いことはしていないのにどうして」と悔しい気持ちでいっぱいでした。

一人の「大人」として「生きる」

 あれから10年経ち私もこれからの未来を担う一人の大人になりました。私一人が出来ることは確かに限られています。しかし、今私は高校生の時に感じた絶望感を超えて、今を精一杯生きています。それは、ただ「生きている」のではなく、常に「命」のことを考えて生きているのです。高校生の時に私が大人に「どうしてこうしないのだろう」と思っていたことを私は今ひとつずつ「一人の大人として」実践しています。それが絶対にこれからの未来(次世代)に繋がると私は確信しているからです。今回出版した『わかな15歳 中学生の瞳に映った3・11』は2011年から絶望感にさいなまれ、死の淵を歩いた15歳が北海道に来るまでの生きる希望をつづった渾身の一冊です。一人でも多くの方に読んでいたただければ幸いです。
(「ハイロニュース」37号、2021年4月より転載)

「ハイロニュース」は、泊原発の廃炉を目指す会(ハイロの会)が発行するニュースレターです。
泊原発の廃炉を目指す会ウェブサイト https://tomari816.com/home/

【3月11日発売】わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11 特設ページ

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