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「こわい」と言えなかった。あの日から15年——ノーマ・フィールド×わかな 3.11特別対談(後編)

アメリカ人の父と日本人の母のもと、アメリカ軍占領下の東京に生まれたノーマ・フィールド。『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』を読み、子ども時代の生きづらさを思い出したと言います。

3.11から15年の節目に交わした対話の後編です。

前編はこちら

子ども時代の生き苦しさを思い出す

ノーマ わかなさんの本に私が強烈な印象を受けたのは、日本で育った自分の子ども時代を、もう一度生き直しているような気がしたからです。母も祖母も大好きでした。でも、アメリカンスクールから家に帰って、あぐらをかいて座っていると、「何、そのお行儀は」と小言が飛んでくる。ご近所の目も気にしなければならない。そういうことが、とても息苦しかった。わかなさんは『若草物語』を読みましたか?

わかな 読みました。

ノーマ 『若草物語』の中で、お母さんが次女に謝る場面があります。あの頃の私にとって、日本の日常生活の本当に些細なこと一つ一つが、理不尽に思えました。自分の大事なところを見てもらえていない、学年が上がるほど成績しか見てもらえない。そんな思いが積み重なって、小学生のころ、母に「いつか私に謝ってほしい」と言ったことがあります。

母も祖母も、戦後とても苦労を重ね、他人の苦しみにも心を寄せ、平和を守りたい、と思う気持ちが強い人たちでした。当時言葉にはできませんでしたが、本質的ではないことに従い、「言うことを聞く子」であることを求められるのが、私には理不尽に感じられた。日本社会そのものに反発していたのでしょうが、母に謝ってほしかったのです。でも今から思えば当然ですが、娘から「謝って」と言われても、母にはピンとこなかった。そんな当時の記憶が、よみがえりました。

福島の原発事故が起きてからは、お互いに相手の顔色をうかがい、自分の悩みを訴えることができない時期が続き、福島の人々が自らを苦しめているように見えました。そうした光景が、私の幼いころの記憶と重なって、自然と心に入ってきた。『わかな十五歳』は、私にとってそんなふうに読める本でした。いまは、もっと意識的に読み返していますが、それでもあまりにも多くの共通点を感じます。

資本主義社会、とりわけ新自由主義が広がり、市場経済がすべてを牛耳っているような時代です。AIの台頭もその象徴の一つで、人の存在感がどんどん薄くなっていく。そして、日本社会の権力構造が生み出す、窒息しそうな生きづらさ。そうしたものが、原発事故によって一気に噴き出したように、私には思えたのです。

わかな 原発が爆発しても、「こわい」「苦しい」「つらい」と言えない空気がありました。内部被ばくを防ぐためにマスクをすると、「危険をあおるな」と責められる。子どもたちも、不安な気持ちにふたをさせられていました。

新型コロナウイルスの時は、逆に「マスクをはずすな」と言われました。いずれにしても福島で起きたことは、そうした社会のあり方を映し出す縮図のようだったと思います。

学校でマスクをしていれば「どうしてマスクをしているんだ」と先生から注意されました。私は当時花粉症だったので、「花粉症なので」と言って乗り切っていましたが、同級生たちも互いを観察しあい、「いやだ」「こわい」というようなことは口に出さないほうがいいのだろう、と「空気を読んで」生活していました。(『わかな十五歳』より)

ノーマ そうだと思います。

苦しんできた人を引きつける本

ノーマ 原発事故は、日本社会の不自由さを体現し、さらに補強した。だけど、わかなさんの本につらい話しか書かれていなかったら、若者は手に取りたくないかもしれない。でも、若い人にも読まれているのですよね。

わかな 同世代の読者には、いたく共感した、とまず言われます。

ノーマ 共感されるのですね。

わかな 私と同じように、福島に住んでいて避難した友達で、本を買って読んでくれた方からは、「当時同じようなことを思っていたから、よく書いてくれた」と言われました。今ノーマさんがまさにおっしゃったような、あ、自分もそう思っていたとか、そういうことあったよねって思い起こす本として、同世代には届いているんだと思います。

ノーマ それはすごく大事なことですね。

わかな 共感してくれたことに、ありがとう、そうだよねって思いながら、そこに共感があるということは、同じように傷ついてきた同年代がたくさんいるということでもあるので。

ノーマ その通りです。

わかな 私の本に共感するのは、同じ痛みを感じたことがある人だということですよね。私よりもっと上の世代の方たちは、読んでいて胸が痛みましたとは言われるけれども、自分の子どもがそんな体験をしたらどうしようとか、本に出てくる大人と自身を重ねて、その場にいたらどうするだろうか、という感想を多くいただきます。その胸の痛みはたぶん、客観的に私を見た立場での痛みだろうと思うんです。

ノーマ 自分の痛みとはまた違うのかな。

わかな はい。おそらくそうだと思います。

ノーマ 同世代の痛みとは違いますよね。

わかな はい。この対談の冒頭で、十五歳の当時の私に「生きてきてくれてありがとう」と書いたことにふれていただきましたが、そこに共感してくださる方も一定数いらっしゃいます。それもうれしいような、また切ないような気持ちになることもあったりするんですけど。

ノーマ 日本の社会でいろいろ苦しんできた人たちを引き寄せる本ということですよね。そうした苦しみを言語化できなかった場合も多いでしょうし、自分たちの苦しい思いが活字になって初めて正当化されたという思いもあるかもしれません。活字になると、正当化されることがありますから。そういう意味で、『わかな十五歳』は命の書でもある。

わかな なんてうれしい言葉なんでしょう。ありがとうございます。

希望を見つけることが難しい社会で

わかな 今の社会って、希望を見つけることが難しいと思うんです。本の中にもパンドラの箱の話を書きましたが、キラキラした理想像がどこかにあって、そこに向かっていくことが希望だという話ではなくて。理想を達成しなくても、あなたが今生きていること自体が希望なんだと思っています。

スマホもAIもあって、現実を見ないようにしながら、ごまかして生きていくこともできる。現実からどんどん遠ざかっていくような若い世代が増えていると感じています。私より上の世代もそうかもしれませんが、今の若い世代は特にそうです。
映画「マトリックス」の世界みたいだと思うことがあります。主人公が、赤いカプセルを飲むのか、青いカプセルを飲むか、選択を迫られる場面がありますよね。まさにあの状況のよう。でもあれは、すごく酷な選択だなと思うんです。

自分より若い人たち、希望を抱いていていい年代の子たちに自分の体験をお話しする時、その選択を突きつけなければなりません。この現実の差し迫った雰囲気が、私にとってはものすごく苦しいものです。

ノーマ でも、どうなんでしょう。この本は、わかなさんが「生きることを選ぶ」本ですよね。ただ、それは、わかなさんがひとりで選択しているわけでもない。もちろん最終的に選ぶのはわかなさんご自身ですけれども。

たとえば本の中で、誰にも話せない思いをSNSに投稿したところ、北海道から共感してくれる人たちが現れましたね。そこから情報を調べて、北海道への移住を決断した。
希望を語らないのは、一見無責任に思えるかもしれませんが、自分が感じていないのに偽って語ることはできません。

もしかしたら、希望の中身の問題なのかもしれない。希望と全く同じではないけれど、私に喜びを届けてくれるのは、人の言葉が多いです。直接語られたり、そうでなかったり。先人の言葉も。かつて誰かが考えて残してくれた言葉に支えられることがよくあります。その人たちの行動や想いに触れると、自分はひとりぼっちではないと実感できて、生きていく力が伝わってくる。それが真実を求め続けること、ときには小さな勇気につながるかもしれない。私が正直に語れる希望はこれかもしれない。

もちろん、悩みます。15歳の孫がいるし、その上の17歳の孫はもっと大変な時期を迎えている。その下の子どもたち、次の世代、そのまた次の世代のことを思うと、とても不安です。じいちゃんばあちゃんにできることは、ありったけの愛を注ぎ込むこと。願いは、いつか周りに優しさや信頼を示すことができるようになること。それが巡り巡ってくれること。

私は、自分が生きている間に、トランプ政権が量産する傷の修復を見届けることは無理だと考えています。社会の仕組みも心も、あまりにも乱暴に壊されてしまっています。戦争も始まっている。これは、到底一、二世代で回復できるものではありません。でも、トランプ以前よりまともな社会を目指す兆しを垣間見たいものです。だからこそ、「今、どう生きるか」が問われます。
わかなさんも、出会った人たちから心の栄養を得てきたからこそ、今があると思うんです。だから、わかなさんが体験したこと、そこから見えてくることを若い人に話すとき、そこまで厳しいイメージを持たなくてもいいのではないかと思いました。

私が『わかな十五歳』から受け取ったメッセージは、そういう意味で、決してシビアなものではありません。むしろ、本当のことを語ってくれたことに、真実に出会った時の解放感を感じ、また勇気も受け取りました。

みんな嘘だとわかっていても、それで社会が動いている中、誰かが本当のことを言ってくれた時、格別な気持ちよさが湧き上がってくるではないですか。「ああ、自由になった」と感じる瞬間。そういうものを求めている人に、この本が届くといいですね。

わかな ありがとうございます。福島の苦しさに向き合ううえで、私にとって大きな支えになったのが、蟻塚亮二先生の著書『悲しむことは生きること――原発事故とPTSD』(風媒社、2023年)でした。

「悲しんでいい」「怒っていい」と言える場があることで、人は前に進めるのだと思います。もし私の本が、そうした一歩のきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。 改めて、今日はどうもありがとうございました。

 ノーマ・フィールド
1947年東京生まれ。シカゴ大学名誉教授。日本文学・近代日本文化論を専門とし、夏目漱石『それから』の英訳も手がける。著書に『天皇の逝く国で』、『祖母のくに』(以上、みすず書房)、『小林多喜二 21世紀にどう読むか』(岩波新書)他。

わかな
1995年、福島県生まれ。2011年5月、福島県伊達市から山形県に避難。2015年より北海道在住。現在は北海道各地で経験を伝える講演活動を行う。

わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11/ わかな

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