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12.62024
「第8回 アオザイ」グローバルサウスの片隅で/ 三砂ちづる
世界で最もエレガントでセンシュアルな民族衣装、として名高い、アオザイ。ベトナムの民族衣装である。スタイルとしては長いチュニックにパンツ、とも言えるスタイルであり東南アジアに広がる巻きスカート系の伝統衣装とはかなり違う。スタイルとしてはパキスタン、バングラデシュなどで着られているシャルワール・カミーズ(第1回参照)に近いが、ゆったりとしたシャルワール・カミーズとはちがい、からだにぴったりとしている。
上半身は、スタンドカラー、長袖で、胸などの体の線ははっきりとあらわれるようなチャイナドレス風のシルエットとなる。私たちの感覚ではチュニックというよりロングワンピースの丈があり、ウエストのところから両側にスリットが入っている。パンツは逆にゆったりしたものだ。近年日本の中高年が(体型を隠すために)よく着ているチュニックはゆったりとしていて、ぴっちりしたスパッツを合わせる、というのとは逆で、体の線はあらわになりやすいので、スタイルに自信がないとちょっと着られないな、と思うような伝統衣装である。
そういう意味では世界の伝統衣装は、妊娠しても、年齢を重ねても、着こなせるような、体型フリーな衣装が多い。きものもそうで、一度大人になって仕立てた着物は、柄行や色を選べば死ぬまで着られる。きものは丈は長く、腰紐でたくしあげて、おはしょりを作って着る。このおはしょりは、もともと、妊娠しても着られるように考えられている、と聞いたが、実際、そうで、お腹が大きくなっても同じきものを着続けることができる。その後、少々体型が崩れて、太っても、大丈夫である。裄とよばれる袖の長ささえ自分の寸法にしておけば、あとは体型が変わってもずっと着ることができる。巻きスカート系の伝統衣装は、巻き方を変えればいいだけだし、インドのサリーなどは下着さえ変えれば、そのものはどんなふうにでも巻くことができる。おおよその伝統衣装は人生のフェーズ・フリーであり、そこがいいのだ、と思ってきたし、言ってきた。
アオザイはそういう方向性の衣装ではなく、女性らしい体の線を強調する。これは若い女性ほど美しいのだと思っていたが、ベトナムの方の書いておられるものを読むとそういうものでもないようで、人生のどのようなフェーズでも着られる、と書いてあるからスタイルを変えながら着られるものなのだろう。それにしても、若い女性が着ているアオザイの美しさには魅せられた。ベトナムには仕事で行ったことはなかったから、写真で見ただけだが、真っ白いアオザイに身を包み、上着の裾をひらひらさせながら長い髪をなびかせて笠をかぶっている姿は、本当に素敵だった。
体にぴったりするスタイルが他の東南アジアと異なることのほかに、この髪型もベトナム独特だと感じた。アジアの女性の髪は、結い上げられるものである。幼い女の子は髪をおろしていてもいいが、思春期以降になると、女は髪をあげる。その結い方自体も興味深く、琉球孤から東南アジアにかけてひろがる、長い髪をくるくるとまるめて一本のかんざしでとめるスタイルは結い方自体も色っぽく、一本の棒でとめられることも機能的で美しい。この結いあげ方は日本本土にはないので、いつかそのルーツと分布を探ってみたいものだと思っている。いまでこそアジアンビューティーというのは、黒い長い髪を下ろしていること、になって、シャンプーの宣伝でもドライヤーの宣伝でも、黒くてサラサラの髪が強調され、少々年齢を重ねても髪を下ろしている女性が増えた。60代半ばである私の同年代の友人でも髪を下ろしている人がいるが、別に変でもない。しかし、元々アジアの女の髪は結い上げられるものであったのだ。
そんななかで、ベトナムの若い女性だけが髪を下ろして、黒髪をなびかせていて、本当に素敵だなあ、と思ったのを覚えている。真っ白い衣装というのは、いかなる意味でも機能的ではない。すぐ汚れるからである。だから、真っ白い衣装は結婚式とか、葬式などにだけ使われてきた。日本の葬儀では今は黒を着ることがおおいが、ついふた世代くらい前まで葬儀は白いきものであったことは、よく知られている。要するに真っ白を日常着にするにはなかなかの勇気と手間が必要なのだが、ベトナムでは若い女性にこそ真っ白いアオザイが似合う、と言われているのが、なんとも素敵なことに思われた。
現代ベトナムの建国の父であるホー・チ・ミンは歴史上の人物ではあるが、私の世代にとっては同時代を生きてきた活動家、大物政治家の一人である。外交などに実際に関わった方の話を聞いても、戦後の世界的な政治家のうち、ホー・チ・ミンと周恩来は本当に色気があって、魅力的な人物だった、と言われていたようだ。毛沢東が中国女性に人民服を着せたのとは違って、ホー・チ・ミンは「女性はアオザイを箪笥にしまっていないで、着なさい」と言ったことで知られている。社会主義体制をとったベトナムだが、女性の美しさやおしゃれを抑圧する方向には、行かなかったのである。優れた政治家が理念を持ってリードしてきた国は、少なくとも三世代くらいは、国民は幸せに暮らせるのではないか、と思っているが、ベトナムはその代表的な国の一つではないか、と思う。ハノイにはホー・チ・ミンの住んでいた家が残されていたが、びっくりするくらいシンプルで簡素な家だった。中国と4000年国境を接して、いかなる意味でも覇権的な影響を及ぼされ続けながら、したたかに生き抜き、世界で唯一アメリカ合衆国に屈しなかったベトナム。国民のホー・チ・ミンへの敬意と、ベトナムを生きる誇りは揺るぎないものである、と短い滞在でも感じさせる国だ。
ずっとアオザイに憧れていたから、ロンドンに住んでいた30代の頃、ロンドン大学の同僚がベトナムに仕事に行く、というので、アオザイをお土産にねだった。真っ白なポリエステルの上下を買ってきてくれて、しばらくロンドンで人を招く時などに使っていたが、既製品(おそらくお土産ものとしての)であることもあり、身にあまりぴたりと合っておらず、身にあわないアオザイ、というのは、ペットボトルのあわない蓋みたいなところがあって、長く使ったが、手放した。いつかベトナムに行くことがあれば、自分で気にいるものを探そう、と思っていた。
国際保健を仕事にしている人にとって、ベトナムは働く機会が立ち現れやすい国である。バックマイ病院などは日本の国際協力機構(JICA)が長く支援してきた病院で、私の顔の見える国際保健の同僚たちもよく行っていた。カンボジアにもラオスにも仕事で行ったがベトナムには行く機会がなかった。仕事では行かなかったが、那覇住まいの親友と一緒に3年続けて観光で訪れることになった。大学職員として、研究者が海外渡航するお世話をずっとしてきた友人だが、自分は海外にでかけたことがない、というので、それでは私がお連れしましょう、とベトナムに行くことにしたのだ。当時まだ観光で海外を訪れる、ということをほとんどしたことがなかった私にとって、親友とのベトナム旅行は実に新鮮で楽しいものだった。
最初の年に訪れたホーチミン、今どき、ベトナムだけではないが東南アジアや台湾などに出かけていくと、ドレスアップして写真を撮ってくれる写真スタジオが観光の目玉の一つになっていたりする。自国の普通の暮らしでは、まず着ることができないようなドレスや民族衣装を着付けてくれて、メイク、ヘアもばっちりやってくれて、記念写真を撮るのである。ホーチミンの、アオザイやドレスを用意したスタジオに還暦間際の二人で乗り込んで、写真を撮ってもらった。似合わない年齢のはずの真っ白なアオザイだが、そこは、プロ、似合うように化粧して、体に沿うように後ろはピンで調節して着付けてくれて、ばっちりメイクして別人のようににっこり笑った写真が残っており、私のアオザイ熱はこの辺りでおさまってもよかったのだが、業の深い私はその後もマイ・アオザイを探し続けた。
ベトナム航空のキャビンアテンダントの着ているアオザイは、それはそれは美しい。空の色のようなブルーで、ぴったりと体に沿って体の線をきれいに生かしながら、CAの仕事も闊達にできるように活動的に作られている制服で、おお、これこそが私の欲しいアオザイである、と思って、二度目のベトナム行きでハノイに出向いた時、あちこちの店で「ベトナム航空みたいなアオザイ」というのを探してみたが、なかなか見つからない。ある店で、薄い緑のシルクに竹の模様が入ったアオザイを見つけ、試着してみたところ、あつらえたようにぴったりだったので、シルクだからちょっと高いお土産になったのだが、一期一会と思い、購入した。ベトナム航空CAさんのような機能的なアオザイではないが、柄行も色も60歳を出てもまだまだ着られるようなものなので、65歳で移住した竹富島にも持ち込んで、モスグリーンのパンツと合わせて、時々、幸せに着用している。
三度目に友人と旅行したのは、古都ホイヤンだった。ホイヤンは、テーラー、いわゆる仕立て屋さんがたくさん立ち並ぶ街として知られている。聞くところによると、ヨーロッパのハイブランドのものなども、ここで作られているものが多いらしい。スーツなどとても良いものができますよ、とホテルの方に紹介されて行ってみた。スタイルブック、あるいは自分でこんなふうなものを作ってもらいたい、という写真を持っていく。採寸してもらう。山のようにある生地の中からこれがいい、というのを自分で選ぶ。それだけである。30分もかからない。それでスーツができたりワンピースができたりする。私はリトルブラックドレスを一枚と、カシュクール風のブルーのジャージーのワンピースを注文してみた。それぞれ一万円くらい。思いつきで買うには、高いが、オーダーメードとしては、格安である。翌日にはできます、というので、一体どの程度のレベルのものが出来上がってくるのかと思ったら、もう、サイズはぴったりで身にあい、縫製も完璧である。なんという高いレベルの技術であろう。これは縫製の腕だけの問題ではない。客の求めているところを瞬時に理解して、相手の望むものを作り上げる、というとんでもない共感能力の高さを示している。ベトナム、恐るべし。
はい、私の欲しかったアオザイは、本当はホイヤンで仕立てるとよかったのです。私はハノイの緑のアオザイが気に入っているので、ホイヤンでは仕立てませんでした。でも、あのホイヤンの仕立て屋の皆さんの機嫌の良さと、魔法のような技術の高さにもう一度出会いたいので、死ぬまでにもう一度行ってみたい、と思っている。70近くなってベトナム航空CAみたいな空色ブルーのアオザイをきた私を見かけたら、人間って可愛いものだ、と笑ってやってください。
三砂ちづる (みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学名誉教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『ケアリング・ストーリー』『六〇代は、きものに誘われて』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。