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「第20回 家で死ぬ」ケアリング・ストーリー

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 訪問診療の現場にいるドクターが、先日、「自分でこういう仕事をしているわけですから、自分も家で死にたいと思う。でもそれにはいろいろ覚悟とか、準備とかが必要ですよね。でも、必要な覚悟も持って、準備もして、家で死にたい。せっかくこういう仕事をしているんだし……」とおっしゃっていた。現場の最前線にいる人がそういうのだから、やっぱり、そうなのであろうか。なんと大変な。ただ家で死ぬというだけなのに。覚悟と準備って……そんな大層なものなのか。おそらく、今は、そんな大層なものである。死ぬことなど誰にもわからないし、死はいつ突然訪れるかわからないものだ。そうではあるけれども、老いて「家で死ぬ」ということは、要するに、いのちの終わる最後の最後まで、今自分の住んでいる家に「いる」ということで、最後の最後まで、自分のいたいと思う家にいようとするには、覚悟と準備がいる、というのだ。
 なぜ覚悟と準備がいるのか、というと、今では、放っておくと、高齢者も家では死ねないことになっているからである。戦後、1950年ごろ(私自身が生まれるちょっと前である)には8割を越える人が家で死んでいた。というか、家で死ぬしかなかった。病院はお金がかかり誰でも行けるところではなかったから、具合が悪くなったからといって医者にかかるという習慣が誰にでもあったわけではなかったのだ。ましてや死にそうな人、とりわけ年老いて死にそうな人は、だいたい家にいて、死んでいったのだ。
 おおよそは静かに世を去っていたわけだが、中には、事故とか病気とか、周囲としてはなんとかしてやりたいと思うような苦痛に満ちた死もあった。そういう人は、なんとかしたいものだというのが誰でも望んだことだったから、日本ではそれは1961年の国民皆保険の制度的な達成をもって、一つの結果を出すことになる。現実に日本中の僻地や離島で医療が受けられるようになるまでにはそこから時間がかかったのではあるが、ともあれ、健康保険制度でもって、日本では誰でも医療を受けられるような体制を整えて行ったのである。
 さらに、1973年に老人医療が無料となりそれが10年ほど続いたことをきっかけに、「死ぬ前に医療にかかる」、つまりは高齢者が「病院で死ぬ」ことが普通になってゆく。それはおそらく、前の世代が「手の施しようがなくて死んでいく」人を見ていた悲しみから考えれば、進歩した社会のありようであった、と言わねばなるまい。
 現在では7割くらいの人が家で死にたいと思っているようだが、7割がたは病院で死んでいる。それはある意味、前の世代の祈りの実現だったのだ。今は、人生最後の時は、病院で管につながれて死ぬのではなく、自分の家で枯れるように死にたい、と願う人が増えているのであるが、それは、誰もが医療の場で治療を受けられるようにはなったものの、最後は病院で延命治療をされ、かなりしんどい思いをしているのではないかと思えるような死に方をする人たちを、ひと世代分、見てきたからであろうか。
 とはいえ、厚生労働省の人口動態統計の「死亡場所×年次」を見てみると、実は病院での死亡は2005年の79.8%を頭打ちとして、その後はわずかずつではあるが徐々に減ってきている。2019年では、71.3%まで下がる。その分、増えている死亡場所は、自宅というより、老人ホームなどの施設である。これは、2006年の介護報酬改定の際、看取り介護加算という制度が開始されたことにより、老人のいる施設で、最後に病院に送ったりせず、施設の中での看取りが積極的に行われるようになったことを意味する。自宅で死ぬ人はほとんど変わらず12~13% で推移している。すでに、死ぬ場所として「病院よりも、施設から自宅」という流れは、政策的には、実は方向ができてきているので、今後、自宅で死ぬことは少しずつだが増えてくることだろう。今は、まさにその転換期にあたるので、まだ家で死ぬことが「おおごと」で、大層なことで、直近の前の世代がやってきたこと(具合の悪い死にそうな人は病院に送る)と異なるので、これから老いて死ぬ世代は、覚悟と準備が必要なのである。
 おそらく私たちの次の世代くらいには、そんなに大層なことでなくなっていることを期待するが、今は、過渡期における、覚悟と準備、なのである。エンディングノートとか、人生会議とか、死の準備、ということ自体、死は自分に属していない、誰かの手に委ねられるものだ、と思っているから、そんなに積極的に取り組めない気持ちもあるのだが、この「家で死ぬ」と「病院で死ぬ」の過渡期にあっては、やはり覚悟と準備なしには、家で死ねそうにない、というのが現実なのであろう。
 まずは、家で死にたいなら、「家で死ぬぞ」と決める、ということ。それこそ、そんな大層な……であるが、もう、決める。将来どうなるかわからないとはいえ、今、自分がいて、自分が住んでいる家で死ぬ、と決める。引っ越した場合は、また、それ。その時考えることにして、今いるところで死ぬぞ、と決める。要するに、最後までここにいる、と決める。決めたことから逆算して、やるべき準備が見えてくる。そんなこと言ったってどうなるかわからないだろう、で思考をとめない。もちろん、覚悟しても、できないことは山ほどあるし、このことも、最終的にはそうかもしれないが、できないかもしれないからと言って、覚悟を決めないのなら、何も進まない。だから、覚悟は、決める。自分で。
 で、覚悟はともかく、具体的に準備することの第一は、自分が自宅で死んだら死亡診断書を書いてくれる訪問診療のクリニックとドクターを探すことである。こういうかかりつけの医者がいない場合、自宅で死ぬと、事件性を疑われたりいろいろと面倒くさいことになりがちだからである。持病があれば、その持病で、なければ、何かの折に、そのクリニックに行って診察券を作り、診察を受けるときに、自分のかかりつけ医になってもらいたい、自分は具合が悪くなったら家で死ぬことを希望しているので家で死んだとき死亡診断書を書いてほしい、とはっきり言っておく。ほぼ元気な人にそう言われても医者も困るかもしれないが、どう言うか、反応を見ることが目的でもいいから、そのように声をかけておく。つまりは死亡診断書の書き手を探す。
 そして、後は、連載第4回でも書いたが、自分が死にそうなときに出てくるであろう家族、親戚に説明しておくこと、つまりは、自分は家で死にたいと思っている、と伝えておくことである。一人で住んでいようが、家族と住んでいようが、自分が具合が悪くなった時、自分が助けが必要な時、自分のことについて決定していくのは、おそらく自分ではない誰か、血縁者である。だから、冷静に考えて、自分の代わりに最後に出てきて、自分の処遇についてあれこれ言いそうな人と、できるだけ、普段からできれば話しておいた方がいい。
 後は、お金のこと、身の回りのことをできるだけすっきりさせておく。思うようにはいかないかもしれないが、家で死ぬことへの覚悟と準備は、そのまま今をよく生きるための方策でもあるから。
 高齢者を抱える家族としては本人が言い出さない限り、特に「家で死ぬ」ことを薦めない方がいいだろうと思うのは、現在高齢にある人たちの少なからぬ人たちが「家にいること」は「十分な治療を受けられなかったこと」である、と思う傾向もあるからだ。家族としては、家庭にいる高齢者たちがどのように死んでいくのかを、言い方はドライにすぎるが、観察させてもらう、というような気持ちで自らの準備をする、ということであろうか。それにしてもCOVID-19によるパンデミックの中、医療体制が逼迫し、入院できず家にいなければならない人が多く出てきて、在宅死は、また、あまり良いイメージを持たれなくなっていることは、この死亡場所の推移にまた、影響を与えていくのかもしれないのだが。

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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第16回  出生地主義』はこちら

「第16回 出生地主義」ケアリング・ストーリー

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