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「第4回 大学の選び方」

なつかしい未来の国からバナー_青空と一本の木

入試がないニュージーランド

「留学したい」「大学はどう選んだの?」

 最近、高校三年生になる友人や、知り合いのお子さんから、そんな質問を受けることが多い。高三だと、誰もが進路について考えなくてはならない。私も大学の最終学年で、来年からのことを考えている真っ最中だから、その気持ちはよくわかる。

 そこで今回は、私が進路をどう決めて行ったか、振り返ってみようと思う。

 私は高校三年になった時には、ニュージーランドの大学へ進学する、と心に決めていた。ニュージーランドが好きになっていたのはもちろんだけれど、日本の大学入学試験に合格するのもむずかしいだろうって判断もあった。

 ニュージーランドの大学には入試はない。その代わり、高校三年間に提出した課題と、全国統一の期末テストの成績で、University Entrance (UE)という大学入学資格が得られる。

 そのうち数学と英語は、高二の時の単位だけでよい。さらに進みたい学部に認められている三つの教科で高三の時の成績があれば、その資格を得ることができる。私は、現地の高校に二年間しか在籍していなかったけれど、ぎりぎりで大学入学資格を取れるという計算だった。


 心理学を学びたいという思いはあったけれど、実際に心理学がどんなものかを知らなかったし、どの大学に行きたいかもわからなかった。

 なお日本からの留学の場合は、大抵の場合、高校卒業資格と、その大学が設定する英語のテスト(TOEIC・TOFELかIELTS)の合格点を持っていれば、入学申請をすることができる。

海岸線

道なきところにも、道筋あり。

 ニュージーランドには、大きく分けて四つの高等教育機関がある。国立大学、国立専門学校、私立専門学校とワナンガ(マオリが運営する学校)だ。

 私は、自分が通う大学以外の教育機関についてはほとんど知らないけれど、国立または私立の専門学校に留学する人も多いようだ。その中には、卒業後に就職しやすいことを売りに、留学生を募集する私立の専門学校ビジネスもある。実際はなかなか仕事に就けない人もいるし、高額の学費に見合わない授業内容だったとかの問題が多発しているので、私立の専門学校に留学しようとしている人は、十分注意したほうがいい。

 信頼のおける専門学校は、大学よりも手厚いサポートを受けられるという話も聞くので、専門学校だからダメというわけでは全くない。

 大学はすべて国立で、全国に八つある。どの大学にも、理系から文系までほぼすべての学部が揃っている。ただ、大学によって少しずつ違いがあって、私が通うオタゴ大学には、工学部はないけれど唯一の歯科学部があったり、北島のパーマストンノースにあるマッシー大学には、唯一の獣医学部があったりする。

 ニュージーランドの大学はすべて世界の大学ランキングのTOP500に入る(QS世界大学ランキングによる)。世界のランキングよりも、学びたい先生や、自分に合った環境があるかどうかが大切だと個人的には思うけれど、選ぶ時の参考になるとは思う。ちなみにオタゴ大学の世界ランキングは一七五位だ。

決め手は直感

 高校三年の六月、大学が冬休みの時期に、卒業生が自分の進学した大学についてプレゼンテーションをしてくれる機会があった。ちなみに進学率はどれくらいかと言うと、私の高校の場合、一学年六〇人中、大学進学を考えているのはその半数以下という割合だった。

 最初に来てくれたのは、北島のハミルトンにあるワイカト大学の学生さんだった。

 昼休みに、コンピューター室の一角の丸いテーブルで、六人くらいの同級生たちと彼を囲むように座って、話を聞いた。二歳くらいしか年は離れていないのに、大学生というだけでキラキラして、すごく大人に見えた。

 友達たちと家を借りて暮らして、自分の学びたいことを学んでいる、と生き生き話す彼の姿はとても素敵で、小さなビーチの町、フィティアンガしか知らなかった私には、別の国の話のように聞こえた。

 ワイカト大学はフィティアンガからも近いし、私は自分が文系であることだけは分かっていたので、文系が有名なその大学には、自然と興味がわいた。

 翌七月には、高校がバンを出して、ワイカト大学見学を希望する生徒たちを連れて行ってくれるということで、私もそれに参加した。
文化人類学の授業を見学させてもらうことができて、南国の島の先住民の人たちと共に生活しながら、彼らの文化を研究していた教授の話を聞いた。

 半円型の教室は高校の何倍もの広さで、教授が一番下にいて、だんだんと坂になっている椅子に座って聞く授業は、新しい世界に足を踏み入れたような気分になった。文化人類学は、研究だけれど、自分の思いや考えも含めることができると、情熱の込もった教授の話にも吸い込まれた。だけど、なんだか大学自体には、ピンと来なかった。

 オタゴ大学からの卒業生が高校にきた覚えはないのだけれど、仲のよかった友達のお兄さんがオタゴ大学に通っていて、彼女の家に泊りに行った時、お兄さんからオタゴ大学の様子を聞く機会があった。


 オタゴ大学があるダニーデンは大学生の町で、大学を囲むように学生たちの住む家がたくさんあって、さながら大学生の村のよう。その上、自然が豊かで、彼はよくダイビングに行き、魚を銛で採ったりするという話だった。

友人が飼っていた牛

お泊りに行った友人は、牛と一緒に暮らしてた

 すべてが大学の周りを囲むようにあるという話が頭に残り、一度見に行きたいと思って、当時一緒に住んでいた友達のゆきちゃんとダニーデンを初めて訪れたのは、高校三年の九月下旬、冬が終わりに近づいてきた頃だった。

 いつも宿泊先は安宿なので、この時も一番安いバックパッカー(日本のユースホステルみたいなもの)を予約したら、中心部からかなり外れた、とても急な坂の上だった。

 着いた翌日、歩いて大学まで行く途中、廃れたシャッター街のような一角があり、昼間から少しハイになっちゃっているような人たちもいて、ちょっと不安になった。
でも大学ヘ近づくにつれて、おしゃれなカフェやアジア系のレストランが立ち並び、街の中心は活気づいていた。

 留学生のオフィスに見学に行きたいと事前に連絡していたので、大学に着くと、留学生のサポートスタッフであるビクトリアさんが、温かく迎えてくれた。

 彼女とは、今は一緒に仕事をすることもある。そんなことは当時は想像もしなかったけれど、オタゴ大学に一歩足を踏み入れた時(より正確には、車椅子が敷地に入った時)、私はここに来るだろう、と直感で思ったのだ。

専攻と就職

 オタゴ大学は、ニュージーランドで一番歴史が長く、今年(二〇一九年)で創立一五〇周年になる。アジア・オセアニア周辺の大学で一番早く女性が医学部に入学した大学でもある。

 それだけの歴史を感じさせる時計台が、キャンパスの間を流れる川の横に建っている。当初は、大学の建物はその煉瓦造りの時計台だけだったのだけれど、建物がたくさん増えて、今、そこでは授業は行われていない。

 この時計台は、奴隷にされたマオリの人びとによって建てられた。北島のタラナキというところで、土地の侵略に非暴力抵抗をして捕らわれたマオリの人たちが、この南島の下のダニーデンまで連れてこられ、労働させられたのだ。とても綺麗な建物だけれど、この歴史もまた、語り継がれなければいけないと思う。

大学の時計台

初めて大学を訪れた時に撮影した時計台

 大学を決める時はキャンパスの見た目よりも、もちろん、何を専攻するかが大切だ。

 私は当時から、子どもと関わる仕事がしたいと思っていたから、心理学的な側面から子どもについて学びたいと考えていた。運良く、オタゴ大学の心理学部はニュージーランドで最高レベルと言われていた。ますますこの大学に来ようという決意が固まって、それからはUEを取るために、高校の勉強を頑張った。

 学部選びと卒業後の進路についても、日本と海外の大学ではずいぶん違う。

 とくに学部卒の場合、日本では、卒業した学部とは全く関係のない仕事に就職することが少なくないけれど、ニュージーランドを含む海外では多くの場合、自分が学んだフィールドの仕事に就く。

 と言っても、大学に入った時点で就職先が明確になっているわけではない。入学後に興味の対象が変わったり、自分の得意不得意がさらに明らかになることはよくあるので、転部・転科がとても簡単なのだ。


 ニュージーランドの大学に入るには、学費はかかるけど、日本の国立大学より安い(地元学生の場合)。政府からの利子がない学費ローンを使って大学に通っている学生がほとんどで、自分に合わないと思ったら、すぐに転科・転部して、大学に四年以上通うというのも、よく耳にする。けれど留学生の学費は、地元の学生より約四倍も高い。だから、留学生には転科や転部がなかなか難しいのも現実だ。

大学外の時間も大切

 大学の外の時間もすごく大切だと思う。私は自然が大好きで、ダニーデンには自然がたくさんあるから、ビーチや緑の中へよく遊びに行く。またダニーデン・ミュージックと言われるほど、いろんなバンドの発祥地としても有名な街で、あちこちのバーでよくライブが開かれる。ボランティアの機会もたくさんあり、地域の活動と関わることもすぐできる。

ライブの様子

地元の公民館みたいなところで開かれたライブ

 そういう大学以外の場所のことは、その場に行ってみないとわからないことがほとんどだろう。でも、事前に大学のある街のこと、そこでどんなことが盛んなのかを調べることはできるから、自分が住む街について調べておくことも、とても有効だと思う。

 でも、私が大学選びでいちばん大事にしたのは、自分の直感だ。「この大学の卒業生になってみたい」と見学に行ったその場で、強く感じたのだった。

 その直感は間違っていなかったと、この四年間、何度も思った。留学先では、自分の想像通りにいかないことだってある。だからこそ「自分で決めてここに来たんだ」という思いは、うまくいかない時を乗り越える力の源になった。

 入学前に大学を見学しに行くことができない時も、可能な限りネットで調べたり、在学生や卒業生から話を聞く機会を見つけることは、できるかもしれない。

 今、これからの進路を迷っている人たちが、自分の勘を信じつつ、たくさん調べて、自分にとって本当によい道が開けますように。

 

安積宇宙プロフィール画像_ニット帽
安積宇宙(あさか・うみ)
1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
Twitter: @asakaocean

 

多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A

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