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「第10回 二年目はルームシェア」

なつかしい未来の国からバナー_青空と一本の木

ルームメイトは見つかる?

 大学に入学して三カ月ちょっと経つ五月ごろから、その次の年に住む場所探しが始まる。
 なんでそんなに早く家探しを始めるのかというと、八月くらいまでには、いい部屋は全部なくなってしまうという噂があったからだ。
 ニュージーランドでは、ほとんどの家が退去する四週間前に知らせれば、引越しをしていいというシステムになっている。ところが、ダニーデンの学生向けの家には、一年契約というものが存在していて、一月一日から一二月三一日まで、その部屋に住んでいようがいまいが、家賃を払わなければいけないのだ。そうして契約期間が決まっているため、引っ越す半年前くらいから、家の予約をしておくことが主流になっている。

 第五回でも書いたように、一年生の頃はほとんどの学生が寮生活を選ぶ。そして、そこで出会った友達たちと家を探して、二年生からはシェアハウスに移ることが多い。
 ニュージーランドでは、一軒家をシェアすることを「フラッティング(Flatting)」と呼ぶ。

 私自身、生まれた時から国立のシェアハウスに住んでいたので、人との共同生活には慣れっこだった。だけど、自分で一緒に住む人を探して、家を探すのは初めての体験だった。
 家探しを始めた頃、私は不安だった。車椅子の私と一緒に住むと負担になることがあるというイメージから、「私と住みたいと言ってくれる人はいないのではないか」という思いがよぎっていたからだ。

 でも、その不安は数日で吹き飛んだ。周りの学生達がだんだん来年の住む場所について話し始めた頃、寮に入ってから一番仲良くしていたもーちゃんが「来年一緒に住もう」と声をかけてくれたのだった。
 私も心密かに一緒に住めたらいいなと思っていたので、その思いが伝わったのかなと、うれしかった。

 一緒に住む人が決まったら、家探しだ。
 大学の寮までわざわざ不動産会社の人がきて、物件探しのコツや、フラッティングのコツなどを教えてくれた。
 ダニーデンは、冬は氷点下一度くらいまで冷え込むのにもかかわらず、断熱材が入っていない家も当時はあった(二〇一九年の六月から、法律で断熱材を入れなければいけないことになった)。
 だから家を探す時のポイントは、断熱材がちゃんと入っているか、窓が二重になっているか、カビているところはないかなどをちゃんと確認すること。
 フラッティングを始める時には、一緒に住むフラットメイトたちと、家事の当番や、光熱費や家賃を払う当番、友達を家に招く時のルールなどを決めること。
 話の途中にクイズがあって、正解を答えられたら、キッチン用具などをくれた。

 私ともーちゃんは最初から、私たち以外の人たちに声をかける気はなくて、フラット(一軒家)を探すのではなく、スタジオというスタイルの部屋を探そうと決めていた。
 フラットは日本の一軒家と同じように、全部を同居人同士でやりくりするけれど、スタジオは家賃に光熱費とインターネット料金が含まれていて、週に一回お掃除の人も来てくれる。同居人と家事や支払いの分担をしなくて済むので、多くのトラブルを避けられるのだ。その代わり、家賃はフラットを借りるよりも割高だったり、一緒に住んでいる人との交流は少ないことが多い。
 私ともーちゃんは、寮でもお互いの部屋を行ったり来たりして、一緒に住んでいるようなものだったから、広ければ一つの部屋で暮らそうと話していた。その方が、一人当たりの家賃も安く抑えられるのだ。

いざ、部屋探し

 不動産会社の人が教えてくれたおうち探しのコツを頭に置いて、まずはネットで探してみることにした。
 ダニーデンには学生の家探しをサポートするサイトがいくつもある。スタジオ専門のページもあって、そこからいくつか興味を持ったスタジオの大家さんに連絡をして、見学に行った。

 私たちが見学したスタジオは、結局三つだった。最後に見学した部屋は、モーテルを改造した物件で、一八人も暮らしているスタジオだった。
 木造の大きな玄関を入ると、右手には大きな応接間があった。家に足を踏み入れた瞬間から、私ももーちゃんも、ワクワクしていたと思う。廊下を進むと、私たちが見学しに行った部屋は、右手にあった。そこには二人でルームシェアをしている女の子たちが住んでいた。二十畳くらいある部屋で、二人別々のタンスとベットと勉強机があった。奥にある広い窓からは裏庭の緑が見えた。シャワーとトイレの部屋には、ニュージーランドでは珍しい湯船までついていた。寮のモダンな雰囲気とは全く違って、家全体がアンティーク調だったので、アットホームな気分になることができた。電動車椅子で、家の隅々どこでもゆうゆう移動できる広さもあった。そして、大学からも徒歩四分という近さだった。

外の光が差して明るくなったおしゃれなガラス窓のある玄関

おしゃれな玄関

  家をすべて見て回った後、二人とも「ここに住みたい!」と思った。家賃に光熱費も含まれているから、電気代を心配せずにストーブもつけられるし、お風呂だって入れる。こんな理想的な家があるのかと思うくらいに、私たちの希望にぴったりな条件の家だった。
 見学を終えてから、大家さんに連絡を取り、その一カ月後には契約をした。

 引っ越すのはまだ半年以上先のことだったけれど、二年生から住む場所が決まったことで、肩の荷が軽くなった。

 オタゴ大学は一一月の中旬くらいから次の年の二月下旬まで夏休みだ。
 夏休みが始まると寮を出なくてはならないけれど、新しい部屋にもまだ入れないという期間が三カ月くらいできてしまう。その間、どこに荷物を置くかが問題になる。
 新しく住む部屋に住んでいる人たちと交渉して、荷物を置かせてもらうこともできると聞いて、私たちもそうすることにした。

 新しい家の空いているスペースに荷物を置かせてほしいと大家さんと話して、交渉が無事に成立。大学が終わる直前、私ともーちゃん、二人ぶんの荷物を段ボールに詰めて、運んだ。住んでいた寮から新しい家までは、歩いて一〇分ちょっと。手伝ってくれた友達の車に乗り切らなかった荷物は、荷車みたいなのに乗せて、街の中をゴロゴロと歩いて運んだ。一年いただけで、荷物がだいぶ増えたなあ、と思った。

 私ともーちゃんの同居のルールは、何回か決めようと考え合ったけれど、結局作ることなく時間が過ぎていった。お客さんが来た場合、夜一〇時までと決めたこともあったけれど、結局それも守らない時だってあった。私たちの間では、それでも大きな問題になることはなかった。

夢の広いキッチン

 スタジオでは、住民同士あまり関わりがないと聞いていたし、一八人暮らしと言っても寮生活から比べると全然少ないので、寂しいかなと思っていた。

 でもそんな予想も、全然当たらなかった。
 引っ越してから数日間は、毎日キッチンや廊下で、「九番の部屋に引っ越してきたウミというの、よろしくね!」と挨拶を交わした。みんな「こっちこそよろしく!」と感じのいい人たちばかりだった。
 三日目、私が洗濯機の前にいたら、廊下の向こうから明るい声で「やっほーーーっ」と言いながらこっちに向かってくる女の子がいた。そして「私、ジャンというの、あなたがウミね! 私はこっちの部屋に住んでいるの。なにかあったら、なんでも聞いてね。よろしくね!」と話しかけてくれた。その時点で家の中で会ってなかったのはジャンくらいで、他の住人から私の話を聞いていたみたいだった。
 小柄でハツラツとしたジャンは台湾出身で、同じオタゴ大学で動物学を専攻していた。お互い人懐っこい性格だったり、環境について関心があることも、すぐに仲良くなれそうと感じた。

 寮のご飯は、まずかったわけではないけれど、自分でメニューも決められないし、繰り返し同じものが出てくるしで、飽きを感じていた。だから、もーちゃんも私も、スタジオに引っ越して自分たちで料理できることが、なによりもの楽しみだった。

 スタジオのキッチンは三面で、とても広かった。
 夕飯を作っていると、よく他の住人も料理を始めたりして、ご飯を作りながら、お互いどんな一日だったかとかを話し合った。

 寮では自分で料理もできなかったし、部屋には六人までしか人を入れてはいけないというルールがあって、友達と一緒にご飯を作って食べることはできなかった。だから、いつでも誰でも人を呼べる新しいスタジオの環境が嬉しくて、引っ越したばかりの頃は、毎日のようにいろんな人を呼んで、一緒にご飯を作って食べたりした。

シェアハウスの白基調のキッチンで友達と料理をする宇宙さん

広いキッチンで友人と料理をしているところ。普段は車椅子に乗って料理をすることも多かった

友人たちとすき焼きを取り囲む様子

近所に住む日本の人たちと一緒にすき焼きパーティ

 引っ越してから二カ月ほど経った頃、大家さんから「あなたたちのキッチンとリビングの使い方について、ほかの住人から苦情が来ている。話し合いをしたい」とメールが来た。
 住人たちとはほとんどみんなと仲良くしていたけれど、キッチンに一番近い部屋に住む女性とは、あまり打ち解けられずにいた。彼女からの苦情だろうとすぐに思い当たった。きっと、いろんな人が行き来する音が、うるさかったのだと思う。

 メールが届いてから一週間後くらいに、大家さんとミーティングをした。大家さんはおおらかな感じの年輩の男性で、「君達が人を呼びたい気持ちもわかるけれど、もう少し控えめにしてくれないか」と優しく伝えてくれた。
 厳しい物言いではなかったのに、話し合いの後、なんだか泣けてきてしまって、もーちゃんと一緒に泣いた。自分たちだけで日々の暮らしを作るという自由を手に入れたところを、邪魔された気がしたのだ。でも泣いた後に、彼女の気持ちも理解できて、これからは人が来た時は、彼女が部屋にいるようであれば、自分たちの部屋で過ごすことにした。それでも、最後まで、彼女とは打ち解けることはできなかった。

 同居人の多い少ないに関わらず、シェアハウスに暮らしていれば、いろんないざこざはつきものだ。たくさんの人と一緒に暮らすということは、お互いのやりたいことを通すだけではむずかしい。どうしたらお互いがどう共に心地よく暮らせるかを、考え続けていかなければならないのだ。
 大学二年目からのルームシェア生活は、難しいこともあったけれど、これからも一生繋がっていける友達を得ることもできた。

 次回は、友達たちとの思い出を、振り返ってみようと思う。

安積宇宙プロフィール画像_ニット帽
安積宇宙(あさか・うみ)
1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
Twitter: @asakaocean
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