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1.102021
「第22回 私がヴィーガンになったわけ」
自分の選択で
私の母は、彼女が二〇歳の頃にベジタリアンの食生活と出会い、それ以降、玄米菜食の生活をしている。そのおかげで、私も生まれた時から、動物製品をほとんど食べずに育ってきた。子どもの頃は、それがあたりまえだったので、珍しいことだという認識はもちろんなかった。
でも、小学校に通うようになって、まわりの子たちがお肉を食べているのを見たりして、動物製品に憧れみたいなものを感じるようになった。十代になった頃、外食をする時は、お肉の入ったメニューをすすんで選んで食べた。お肉のじわっと広がる味をおいしく感じる時もあったけれど、食後に体が重く感じるのがあまり好きではなかった。でも、まわりが食べているものと同じものを食べたいと感じる年頃で、しばらくは機会があればお肉を食べていた。
そんな中、私がベジタリアンに自らなろうと決めたきっかけは、ニュージーランドの高校に入ってすぐ仲良くなった友達だった。
彼女は、週末家族と一緒に猟に行くことがあって、自分で射止めた猪を持っている写真などを見せてくれた。彼女の勇敢さに驚きと敬意を感じつつ、私には絶対できないことだなと痛感した。
もちろん、車イスに乗っているという身体的制限の意味からもできないのだが、精神的に自ら動物の命を奪うという行為をできると思えなかったのだ。そう感じた時、自分がやりたくないと思うことを、他人にやってもらってまで、お肉を食べる必要はないし、食べたくないと思ったのだった。もともとベジタリアンの家で育ったけれど、一六歳のこの時に自分の選択でベジタリアンになることにした。
周りにも数人ベジタリアンの同級生もいたし、理解がある人に囲まれていたけれど、当時気になっていた人が、パソコンの授業中に他の同級生と話す中で、「ベジタリアンって何食べるんだ?」「そこらへんの草でも食べてるんだろ」と笑っているのを聞いてショックを受けたのを覚えている。その人のことはそれ以来、興味が消えていった。
ヴィーガンはハードルが高い?
大学に入学して、寮で出会った友達がヴィーガンで、彼女が寮でヴィーガンの食生活を選べるよと教えてくれた時から、ヴィーガンに転換していくことを決めた。ベジタリアンの食生活は、乳製品や卵を食べることはあるけれど、ヴィーガンは、動物製品を一切口にしない。乳製品も卵も、そんなに多く食べないで育った私は、ベジタリアンのメニューは乳製品が多すぎて、体に合わないと感じていたのだ。
寮で一年間料理をしないで過ごせたのはとても楽だったけれど、おきまりのメニューが続き、自分の味覚とちょっと違うご飯に正直飽きを感じてしまっていた。もともと料理が好きだった私は一年生の終わりには、自分でご飯を作りたくてたまらなくなっていた。
ベジタリアンやヴィーガンになるハードルは、多くの人にとって、高いことだろう。一番の関心は、肉を食べないのなら、では何を食べればいいのか、ということだと思う。動物製品を食べないで、栄養が足りているのかと心配されることもある。それに、ヴィーガンのために作られた食品は、多くの場合、値段が高かったりするから、お金持ちの人が、ファッションでヴィーガンになるイメージを持っている人もいる。
だけど私は、ヴィーガンでも高い食品は滅多に買ったりしない。お米と野菜とお豆で暮らしているので、実際には動物製品を食べる人たちより、食費は安く済んでいると感じている。そして、菜食の家で育ったこともあって、ヴィーガンになってから何を食べたらいいのか、と困ったことはない。
野菜は美味しいだけじゃなくって、色とりどりで楽しいし、お肉のように食中毒に気をつける必要だってない。重ね煮という調理方法を使ったり、いろんなお豆やスパイスを混ぜたり、レシピは無限大だ。作り置きしても、日持ちするし、いいところだらけだと思う。
寮を出てから、この四年間一緒に暮らしてきた同居人は、みんなお肉を食べる人たちだった。一緒に料理をすることも多いけれど、そんな時はみんなヴィーガンのメニューに合わせてくれた。そうすることで、ヴィーガンの食事もおいしく、肉食の人も満足できると言ってもらえて、うれしかった。そして、今までの同居人のうち何人かは、私と暮らした後、お肉を食べる量を減らすようになったと言ってくれた。
スーパーでも、カフェでも
人によってベジタリアンやヴィーガンになる理由は様々だけど、主流なのは、動物の命の倫理的な問題と環境問題についてだ。お肉を食べるということは、動物の命を人間と対等に見ていないということで、動物たちへの感受性が閉ざされてしまうと考える人もいる。
現代の動物製品の大量生産のあり方は、本当に非道なものなのだけど、スーパーに並ぶ、きれいにプラスチック包装されたお肉からはそんな現実を感じさせない。私は、スーパーのお肉売り場に行くと、大量生産型の工場みたいな農場でぎゅうぎゅうづめにされている牛や豚や鶏の姿をつい想像してしまい、その度に悲しくなるので、なるべくそのセクションには近づかないようにしている。
私が近づかないようにしたところで、何が変わるのかという思いもあるけれど、一人一人の行動は大きい。実際に、一人の行動の大切さを広めようと元ビートルズのポール・マッカトニーが、ミート・フリー・マンデーというキャンペーンをしていて、週一回月曜日だけはお肉を食べない人が増えるだけで、環境への負担が減るということで、三六カ国にもその活動は広がっている。
そして、この数年で圧倒的にベジタリアン、ヴィーガンになる人は増えている。そのおかげで、ニュージーランドは、酪農大国でもあるけれど、ベジタリアンやヴィーガンにとって暮らしやすい国になってきた。
大学に通い始めた五年前ほどは、ヴィーガンの食品の選択肢がそこまでなかったけれど、最近はスーパーマーケットの棚一杯にいろんな種類のココナッツヨーグルトや、ヴィーガンの人が食べられる冷凍食品などが並んでいる。
カフェやレストランに行っても、ほとんど必ず、ヴィーガンやベジタリアンのオプションがある。しかも、大体は「ただチーズとハムを取り除きました」みたいな悲しいオプションじゃなくて、きちんと工夫されたおいしいご飯だ。
環境への負担
私がベジタリアンになったのは、私自身が動物を殺したくないという思いが一番だったけれど、ヴィーガンに移行したのは、環境への負担を考えたのが一番だった。
年々、気候変動の影響で自然災害の規模が大きくなっていたり、季節がどんどん変わってきている。気候が変わるのは、地球のサイクルの一部であるのと同時に、このスピードで起きる変化は、確実に人間による環境破壊のせいだ。
一番変わらなくてはいけないのは、環境破壊によって利益を生み出している大企業や国のあり方だけれど、大きな問題の前に無力を感じるのではなく、まずは身近にできることが、私にとってヴィーガンになるということだった。
そんなわけで、食品の選択肢が広がるのは嬉しいけれど、消費を進めるような今のあり方のままでは、環境に負担がかかるのは変わらない。大学で人のダイエットについて研究している人が、一九七〇年代と比べて現代の先進国の人たちは平均的に二倍の大きさのお皿を使って、ごはんを食べていると話していた。(二倍ではないが、日々のカロリー摂取量がこの一〇年で平均二〇〇カロリー増えているというデータがここから見える)
大体食べる量が増えてきているし、日々食べる食品が世界中から輸出入によって賄われているのは、持続可能なあり方ではない。地産地消を中心とした食生活を進めることと同時に、このグローバライゼーションの中で痛手を覆っている世界各地の農家さんへのサポートについて、もっと考えられる必要があると思う。
クリーンでグリーンは本当?
アラスカのイヌイットの人たちなど、野菜や穀物が育ちにくい環境で、動物を食べて生き延びてきた人たちもいるし、それぞれの食文化も否定したくない。ただ、今の大量消費を前提に大量生産して大量に廃棄する、というあり方は、本当に方向転換していかなければいけないと思う。
牛を一キロ太らせるのに、穀物十一キロ、水は、十五・四一五リットル必要だそうだ。その穀物を栽培する面積を、直接人間が食べられる穀物や野菜を育てた方が、水も土地面積も節約できる。これは、環境問題の視点や、食糧の視点からも、大切なことだ。(出典:アニマルライツセンター)
ニュージーランドは、酪農大国だし、肉食文化だからこそ、それが環境にどれほど影響を与えるかが、住んでいてわかりやすいと感じる。ニュージーランドでドライブに行くと、その大部分は広大な農場の横を通ることになる。最初の頃は、「羊さん可愛いなぁ」なんて思って過ごしていたけれど、もともとはネイティブブッシュ(ニュージーランドに元からあった植物たちの森)が広がっていたのだと思うと、農場をつくるためにどれほど大規模な森林伐採が行われたかがわかる。
また、牛や羊の屎尿が丘の上から土の中に浸透し、それがやがて水路へ届いて、ニュージーランドの多くの川を汚している。ニュージーランドは近年、「クリーンでグリーンなニュージーランド」というコピーで環境がきれいなことを売りにしているが、実際は九〇%以上の川が泳げないほど汚れていると、二〇一二年にニューヨークタイムスがスクープした。
ゆるヴィーガン
私はヴィーガンと言っているけれど、たまに友達が作った卵やバターが入っているお菓子を食べることもある。少しでも動物性を口にするのはヴィーガンになった理由と矛盾していることになるけれど、友達が時間と気持ちを込めて作ったものは、食べたいと思ってしまうのだ。でもやっぱり、私がヴィーガンなのを知った友達が、ヴィーガンのお菓子を焼いてくれると、とてもうれしい。
そんなゆるいところもあるけれど、私がヴィーガンであることを公表したり発信するのは、こんな考え方もあって本当は誰でも関係のある話だし、やってみるとそんなに難しくないということを、知ってほしいからだ。
私にとってヴィーガンであることは、自分の生活の中から地球を大切にする方法の一つだし、それによって、自分の体と心も元気でいられる。
日本はもともと精進料理という食文化があったり、動物製品は日々の主要な食べ物ではなかった。だからこそ、もう一度日本でも、食が見直されてほしいと思う。
安積宇宙(あさか・うみ)
1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
Twitter: @asakaocean
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