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「ひなまつり」少女のための性の話

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みんなで祝うことの意味

3月3日は桃の節句。おひなまつりです。女の子の節句ですね。

おうちで何段もあるひな壇におひな様を飾る人もあるでしょう。小さなおひな様とお内裏(だいり)様を飾る人もあるでしょうか。幼稚園などにいたときは、折り紙でおひな様を織ったりしたかもしれない。5月5日が男の子の端午の節句で、3月3日は女の子の桃の節句、ということは、この国の中でよく受け入れられ、みんなでなんとなくお祝いしていると思います。

「なんとなくみんなでお祝いしている」、「みんなでこれは楽しいな」と思っている、これってけっこう、大切なんです。

お正月になるとなんとなくみんな、おめでたい感じがするでしょう。新しい年がきて、きのうまでとちがうな、今年はいい年にしたいな、と新しい気持ちになる。多くの人が新しい気持ちになると、その人たちが集まるところには清々しい気持ちがいっぱいにあふれてくるのです。

神社はもともと清々しいところですが、お正月に初詣に行って、神社に足をふみいれたときの清々しさは、みんなの新しい年に対するみずみずしい思いが集まっているから、でもある。

ディズニーランドに行くと、行っただけで、まだなんにもしていなくても、わくわくどきどきして、とても楽しい気分になるでしょう。もちろんスタッフの皆様がそういう空間をつくっているから、ということも大きいけれど、それだけでは、身を置くだけで楽しい所、にはならない。それはそこに集まってくるみんなの「楽しかった」と感じた思い、「楽しい」といま感じている思いがそういう場をつくっているとも言える。それらの思いはすぐに消えずにその場に残るから、それを「残存思念」と呼んでいる方もあります(注)。ちょっとむずかしい言葉ですけどね。

平等だけど同じじゃない

ひなまつりは長いあいだ、女の子が幸せな一生を送れるように、という願いをこめて毎年行われてきたお祝いごとなのです。たくさんのよき思いが、次の世代へと順々に受け継がれてきました。

いまこの文章を読んでくれている中学生くらいのみなさんのまだ生まれる前のことですが、「ひなまつりは、お人形を飾って女の子に女の役割りを押しつけ、男と女の差別につながるから、よいことではない」なんて言われたこともあったんですよ。ちょっと、いまでは考えられないですけれどね。

男と女はもちろん、平等です。社会的に、男であるというだけで、女であるというだけで、差別されることがあってはならない。機会は平等でなければならない。男も女も同じように、現代のシステムである経済や政治に関わっていけるようにならなければいけないし、教育を受ける機会も、仕事に就く機会も平等であるべきだ。ほんとうにそのとおりです。社会的の中で男女に平等な機会があることはとても大切なことで、それを得るために、わたしたちの先輩たちはすごく努力してきたし、これからもやらなければならないことはたくさんあると思います。

男と女は社会的に平等でなければならないから、では、男と女は、まったく同じなのか、というと、それはちがう。男と女は本質的にはまったく同じじゃない。ものすごくちがう。

だいたい、からだがまったく違っている。女は子どもを産む。男は産まない。それにともなって、世界中のどの文化にも、「男の文化」と「女の文化」という、それぞれに異なりながら、それぞれが補いあうような文化がある。それらの異なるからみあいから、世界中のいろいろな文化のバリエーションが生み出された、とも言えます。ちょっとむずかしい話ですけれど。

男と女はぜんぜんちがうけれど、ちがうからこそおもしろいし、ちがうからこそ、おたがいにちがうところをおぎないあって、よりよく生きることができる。そういうものではないでしょうか。

ひなまつりのヒミツ

ひなまつりは、日本で女の子たちがこれから女としての人生を生きていくための知恵を集めたお祝い事だったようです。ひなまつりのときに飾ったり食べたりするものには、それらの知恵がいろいろつまっているのです。

この連載の「お股を大切に」の回で、女性のお股のことを関西地方では「おひし(菱)」と呼んでいた、と書きました。ちょっとリアルですが、女性の性器は、「お菱」の形をしている、というわけですね。正座をくずしたりすると、関西では「お菱がくずれる」と言われたりしたんですよ、という話を、その回では書きました。「お菱」は、女性のお股のこと。だからもちろん、ひなまつりのときに飾る「菱餅」は、「お菱」をあらわしているのです。

ひなまつりには、はまぐりのお汁をつくります。二枚貝のはまぐりは、決して他の貝殻ではお互いにあわず、対の貝殻しかぴったりあわないことから、夫婦の仲のよさの象徴です、とか言われていますが、実は、はまぐりの身は、これまた、女性の性器のことらしいです。

地方によっては、ひなまつりにしじみやあさりの佃煮をならべたり、赤貝のぬたを食べたりするそうですが、これは、「しじみ」、「あさり」、「赤貝」、「はまぐり」と、だんだん女の子の性器が大きくなっていくことをあらわしているらしい。すごいね、菱餅よりリアル。二枚貝の中身は女の子の性器に似ている、というわけですが、まあ、そう言われたらそういう気もしますよね。

ちらし寿司もひなまつりでよく食べますね。ちらし寿司の「具」は、いろいろなタイプの男の人をあらわしているんですって。高野豆腐のように甘い人、ごぼうのように歯ごたえがある人、ちりめんじゃこのようになんとなく頼りない人、いろいろな男の人がいるけれど、みんな散らして、しっかり噛み分けて、それから自分に会った男の人を選ぶんですよ、という教えだそうです。

「いろいろ噛み分けてから、男の人を選べ」なんて、なんだかちょっと、すごいことを言われているような気がします。「鬼は外、福は内」の節分では、ちらし寿司ではなく、巻寿司を食べます。「鬼」は「巻いてしまう」のがよいけれど、女の子の節句には「いろいろなタイプを、散らす」ほうがよい、ということらしいです。なるほど。

精子と卵子が結合して、赤ちゃんができる、ということをあなたはもう知っていると思います。男の人の精子は、精液とよばれる白い液体の中にふくまれています。ひなまつりの白酒は実は、精液そのものをあらわしているのだそうです。そんなふうに思うと、白酒も飲みにくくなるように思いますが、ほんとうはそういう意味らしいです。お正月にだけ食べる「花びら餅」という和菓子は、ふっくらした半月型のお餅のなかにごぼうがはいっていて、白いどろっとしたあんがかかっていますが、この白いあんも精液をあらわしている、と聞きました。

女子に知恵をさずける場

わたし自身がおさないころ、ひなまつりをしてもらっていたときに、こういうことを知っていたわけではありません。おとなになってから、京都の古い料亭のおかみさんに教えてもらったのです。そこでは、とても伝統のあるおひな様を毎年飾っておられました。ひなまつりは、実は、上の世代の女性たちが結婚前の若い女の子たちに、男の人に関する知恵をさずけたり、性のことを話したりする場だったということを伝えていきたい、とそのおかみさんはおっしゃっていました。

同時にひなまつりは、思春期の女の子が、男の子と出会う場でもあったようです。「わたしにとってあなたは、ひなまつりのときに出会った人だから、特別な人なのよ」という言い方が、古典文学には出てきます。ひなまつりはどうやら、いろいろエロティックな意味のある女の子のおまつりだったようです。

ちょっと恥ずかしいところもあるけど、きっと、どきどき、わくわく楽しいおまつりだったのではないでしょうか。

 

(注)飯田史彦『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』、PHP研究所、2006年。

 

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少女のための性の話

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