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第12回 失恋について

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人生でいちばん悲しいことって?

人生、いろいろなことが起こります。悲しいことは数限りなくある。素晴らしくてうれしいことが数限りなくあるのと同じように。でも何がいちばん悲しいのでしょう。

親しい人の突然の死や病は、とても悲しい。でも何よりあなたを悲しませるのは、「恋」を失うこと。愛し合っていた人の気持ちがはなれていくこと。

まだ恋をしていないかもしれない若いあなたに、恋を失うことを語ることもちょっとさびしいことではありますが、今回は人生の先輩として、人生に起こりうる、もっともきついことのひとつ、を語ろうと思います。

あなたは誰かを好きになる。もちろんあなたのおかあさんやおとうさん、お兄さんや妹、そして友達だって、好きな人はいっぱいいると思います。

でも、誰かに恋をするのは、いままでの「この人が好き」とはまったく違った感情。それは突然訪れる。ああだから、こうだから、などと理由があって人に恋するのではない。あんな人が恋人だったらいいのにな、と想像したり、かっこいいなと思う人があなたにはいるかもしれないけれど、恋は、そういうことではない。

あなたは突然誰かに恋をする。いや、恋に落ちる。

恋と瞑想

それは突然のことです。心の準備もなにもありません。あるとき突然、いままで見えいていた世界とはまったく違うものが見え、いままで感じていたことがまったく変わってしまい、あなたの世界はあなたが恋に落ちた人を中心に回り始める。理不尽で、甘くて、切なくて、苦しくて、どきどきして、あなたはもう朝から晩までその人のことを考えずにはいられない。

意識して「恋をしよう」とするのではない、ただ、恋に、すとんと、落ちるのです。

この意識もせずに「落ちる」という感覚。実は、瞑想(めいそう)、という体験もそれに似ているのだそうです。

瞑想、って聞いたことがありますか。座禅を組んで悟りを開いたお釈迦さまのイメージでしょうか。

ストレスが多い現代社会ですから、心を落ち着けるために、瞑想をするのがよいのだ、とか、自分自身をしっかりともっておくために、瞑想を習慣にしている、とか、そういう大人もけっこうおられます。今はヨガが人気があるから、ヨガをやっているお姉さんに瞑想という言葉を聞いたことがあるかもしれませんね。

詳しい方に聞くと、瞑想とは、瞑想を「する」のではなくて、瞑想に「落ちる」というような経験なのだそうです。

静かで風の通る気持ちのよいところに、心を落ち着けて座り、頭から雑念を払って、何も考えないようにして瞑想を「する」、というイメージを、みんなもっています。もちろん、そうやって心穏やかになれる状態をつくって、ぽかんとしている、ということ自体、とてもよいことだから、やったらいいと思います。

けれど、瞑想、というのは「こうやって座って、こうやって頭から何かを追い出して……」というような、自分から何かを「する」のではなく、突然、自分が世界に開かれ、周囲のことがよく見えているのだけれど気にならなくなり、世界とつながったように思われる、そんな経験なのだそうです。

あるとき、突然、瞑想に「落ちる」らしいのです。恋と同じように。

つまり恋に落ちる、という経験は、どこか瞑想に似ている。こうしよう、ああしよう、こうなってほしいからこう動こう、などという人間の意思とは関係がなくて、なんだかどうしようもなく、突然、そういう状態になる、という経験なのです。

ある日突然…

恋に落ちたあなたは、相手のまなざしを得たいと願う、相手にふれてみたいと願う、そして相手にふれられたいと願います。それがかなったときの喜びは、何にもかえることができないでしょう。

ましてやあなたの恋に落ちた人が、あなたのことを好きになってくれたりしたら、もう、世界中がばら色に輝いてみえます。あなたたちは愛し合う。とてもとても深く愛し合い、心もからだも確かめ合って幸せとはこういうときの言葉なんだな、ってわかります。

このときが永遠に続いて欲しいと願う。あしたもあさっても一緒にいたいと思う。来年の誕生日も再来年の誕生日も一緒にお祝いしたいと思う。

でも、人間ってなんて悲しいんでしょう。そんなに愛し合っていたのに、そしてあなたはまだまだその人のことが大好きなのに、相手があっさりあなたに「もう会いたくない」とか「別れよう」とか、世界が粉々になってしまうような言葉を告げて、あなたはふられてしまうことがある。これが失恋。

それは、死による別れよりつらいのではないかしら。まだ生きて、この世に存在している人なのにもう、あなたはその人に会うことができない。会えたとしてもあなたの恋するまなざしにその人はもうこたえてくれない。あなたにもう、やさしくふれてくれることもない。愛し合っていたはずの人が、あるとき突然、他人になる。

失恋したら

これが一番、きついこと、と書きました。こんなにきつい経験なのに、世界中のすごくたくさんの人が、この失恋というものを経験しているのです。そしてそのきつい経験から生き延びている。その人と愛し合わない日常を生きていく。

ほとんどの人はそんなにひどいことをされたはずの相手を生涯憎んだり、うらんだりせずに、傷つけたり殺してしまったりすることももちろんなく(そんなことしたら立派な犯罪ですから)、その人ともう会うこともなく、ふつうに生きていく。それはおどろくべき人間の回復する力である、と思います。

それでも、自分の気持ちの持って行き場がなくて、ただ涙だけが溢れて、どうしようもなくて、なんで自分は不幸せなんだろう、と思う。

そういうときは、どうやって、回復する力につながったらいいのでしょう。

失恋のときは、ようするに、文学に出会うとき、と思ってほしいな。

十九世紀や二十世紀のヨーロッパの近代文学、あるいはラテンアメリカの現代文学、あるいは、日本文学。たくさんの作家が、恋をしたこと、恋を失ったこと、について詳細に書きつづっています。恋や失恋をテーマにした小説は、時代と場所を問わず、たくさん、たくさん、あるのです。

それらの小説を読むうちに、あなたはきっと、自分はひとりぼっちじゃない、こんなに昔の人も、こんなに遠いところでまったく違う文化背景の元で生きている人も、私と同じように恋に惑い、失恋に苦しんでいるんだ、ってわかります。

若いあなたよ、わたしは、もう、おばあちゃんの年齢です。自分の人生を振り返って、あの時期に何をしていたのかな、と考えると、まず、思い起こすのは、あの人に恋をしていた、ということ。どこでどんな仕事をしていたか、とかはちっとも大事なこととして思い起こされないんです。

誰のことを恋していたのか、誰のことが好きだったのか、そういうことだけが自分の生きてきた年輪に、消えることなくきざみこまれている。幸せな恋も、世界が終わってしまうような失恋も、みな同じように懐かしく思い起こされるのです。

失恋しても、世界はまだまだ続いていく。人間は悲しいけれど、生きることは、どこまでもなつかしく、美しいものです。

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