[Webマガジン]ケアリング・ストーリー

  1. 「第14回 妊娠中絶について 後編」ケアリング・ストーリー

     前回、妊娠中絶が違法である国における「違法な妊娠中絶」は、イコール、「危険な妊娠中絶」となり、世界の妊産婦死亡の重要な原因の一つである、と書いた。

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  2. 「第13回 妊娠中絶について 前編」ケアリング・ストーリー

     ブラジル北東部で長男を出産した直後だったから、2021年現在からすれば、あれは30年も前、ということになる。

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  3. 「第12回 からだにわるい」ケアリング・ストーリー

     認知症になった当初は、わたしのことを、妻だ、と思って人に紹介していた父だが、だんだん、わたしがだれかもわからなくなった。晩年はグループホームのような小さな規模の施設にお世話になっていた。食事の時間に行って食事介助をするのだが、食べようとしない日があった。

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  4. 「第11回 生理学的プロセス」ケアリング・ストーリー

     1990年代半ばごろのことだっただろうか。飛行機に乗っていた。ブラジルからロンドンに向かうフライトだったと思う。 その頃、北東ブラジルの町に住んで、母子保健の調査や国際協力の仕事をしていて、時折、ロンドンの大学に仕事に行っていた。

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  5. 「第10回 七回忌」ケアリング・ストーリー

     仏教の熱心な信徒というわけではないが、家には仏壇があり、お盆にはお上人さまにきていただいてお参りをしてもらっている。 常々、人が亡くなった後の仏教の法要の時期、というのは、よくできているな、と思っていた。

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  6. 「第9回 子どもに選ばせる」ケアリング・ストーリー

     子どもをまもる、ということには、非常に困難な自己決定の場から子どもをまもる、ということもあると思う。

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  7. 「第8回 続・スペイン風邪」ケアリング・ストーリー

     前回の連載「スペイン風邪」の続き、である。 日本最初の女子留学生の一人で、「鹿鳴館の花」とも言われた山川捨松、のちの大山捨松は、1919年、スペイン風邪で亡くなった、ということを前回、書いた。

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  8. 「第7回 望む未来」ケアリング・ストーリー

     あれは、一度大学を卒業したあと、昼間、百貨店で働いて、夜、学士入学した別の大学の夜間部に通っていたころのことだった。最初に卒業した大学のおかげで薬剤師免許を取ることができて、百貨店の人事部医務室に薬剤師として働いて、週に一回、薬品売り場にも出ていた。

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  9. 「第6回 スペイン風邪」ケアリング・ストーリー

     山川捨松(のちの大山捨松)のことが、とても気になっていた。今も気になっていて、彼女に関する資料をあれこれ読んでいる。 1860年に生まれた山川捨松は、1871年、11歳の時、日本初の五名の女子留学生の一人として、幼い津田梅子、永井繁子(のち瓜生繁子)らとともにアメリカに渡った女性である。

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  10. 「第5回 スタイルを作る」ケアリング・ストーリー

     モノは必要ない、身の回りの物は少なければ少ないほどいい、片づいた部屋にいればいるほどいい。断捨離とか、片づけとか、ずいぶん、流行していた。いや、2021年の春をむかえる今、新型コロナパンデミックの最中にあって、いっそう、流行していると思う。

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