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「人は間違うもの」河野義行さんのインタビュー記事(2009年3月10日毎日新聞)

資料の整理をしていたら、付箋の付いた古い新聞が出てきました。

日付は2009年3月10日。毎日新聞の夕刊です。
付箋の紙面を開くと、オウム真理教事件被害者である河野義行さんのインタビューが載っていました。妻の澄子さんが亡くなってから半年後の記事でした。

河野さんは1994年に起きた、松本サリン事件の被害者。事件の第一通報者だったことから、警察やメディアは河野さんを容疑者とみて捜査や報道を続けました。翌95年の3月、地下鉄サリン事件が起きて容疑がオウム信者に移り、河野さんの無実が晴れるまで、激しいメディアバッシングを受けました。

記事には、松本サリン事件で犯行の一部を担った元幹部が服役後、河野さん宅にお詫びに訪れたことから交流が始まり、元幹部が河野さん宅の庭の手入れに通っている、というエピソードが語られていました。

以下記事より引用

「加害者だからうんぬんという感情は持っていません。やってしまったことはしかたない。元には戻らないのですから。反省する、しないというのも、その人の心の中の問題だと思うんです。自分のしたことは自分で総括するしかない。それが私のスタンスです。今まで私は誰に対しても、会いたいと言われれば、できる限り会ってきました。藤永さん(引用者注:元幹部の名字)も、私に会っておわびしたいとやって来た。その思いを私は受け入れたわけです」

(中略)

事件の被害者と加害者。何のわだかまりも心に持たずに接することなどできるのか。
「だって日本は法治国家でしょう。罪を犯せば罰せられる。でも刑期を終えて出てくれば、それ以上の不利益は受けないと、法律で決まっている。そうであれば、普通の人として接するのは、当たり前のことじゃないでしょうか」

 昨年8月、事件以来意識の戻らぬまま、澄子さんが60歳の生涯を閉じた。河野さんは松本市の自宅を離れるとき以外は毎日、澄子さんが入院している病院へ行き、音楽をかけ、手足をマッサージしながら語りかけてきた。

「私は妻を選び、妻は私を選んできたわけだから、お互いに守っていくというのは大事な義務だと思っているんです。妻がいることで、逆に自分たちが励まされてきた。ですから、大変だと思ったことないんですよね」

(中略)

「命があるというのはやっぱり貴いということ。妻は14年間、話すことは全くできなかったし、動くこともできなかった。それでも家族を大きな力で支えてくれた。人が生きるということは、そこに命があるということ。命は本当に大事なのよということを訴えています」

この2009年の記事の見出しは

「人は間違うもの」——だから 自分の中で人生を総括するしかない

2019年の朝日新聞によるインタビューの見出しも
人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地
とありました。

河野さんに話を聞いた記者にとって、「人は間違う」という言葉はキーワードだったのでしょう。

ところでいま編集中(校了間近!)の、森達也さんが死刑について若い世代に語る本『ぼくらの時代の罪と罰』にも、「人は間違う」というフレーズが何度も出てきます。(もちろん、森さんの原点はオウム事件だから、河野さんの話ももれなく出てきます)

森さんが「人は間違う」と言うとき、そこに河野さんの影響があったのかどうか。今度聞いてみたいことの一つです。

 

【特設ページ】森達也『ぼくらの時代の罪と罰』12月上旬発売予定

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