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10.42024
「第4回 ブラジルの民族衣装(後編)」グローバルサウスの片隅で/ 三砂ちづる

前回は、黒目豆の揚げパンを揚げるバイア女性の真っ白い伝統衣装の話をしていたのだ。
ブラジルの伝統衣装、と呼ばれる時にまず引き合いに出されるバイアーナであるが、汎用性からしても全国に行き渡っているか、と言う意味でも、バイアーナをブラジルの伝統衣装、と呼ぶには、アジアの伝統衣装のことを考えると、ちょっと違うのではないか、と思う。ラテンアメリカにも、もちろん、グアテマラのウィピルなどのように、その土地で作られ、その土地独自のものができて、ずっとその地の人たちによって使われている伝統衣装もあるのだが、ブラジルには、そういうものは、見つからない。
実は私は、ちょっと、がっかりしたのである。20代初めの頃からアジアの伝統衣装に惹かれ、心奪われていたのだから、ラテンアメリカに来ても、伝統衣装を探したい。しかし、ブラジルにはそのようなものは、ないのだ。ブラジルに元々住んでいたのはアマゾン森林を中心に住んでいるブラジル先住民で、この人たちは私たちのイメージするところの衣服は、つけていない人たちが多かった。ボディペイントや鳥の羽とか装飾物は身につけていたが、衣服というもの自体が外部との接触によってもたらされたもののようで、やっぱりTシャツに短パン、になってしまうのである。
ダニエル・エヴェレットという言語学者の書いた『ピダハン』(注1)という本がある。かなり話題になった本なので手にした人も少なくないであろう。1970年代後半から、ブラジルの北部アマゾン森林に住む一部族ピダハンの元に赴き、宣教師としての活動をしながら言語学研究をしようとしたエヴェレットの研究成果……の一冊ではあるものの、この一冊はピダハンという人たちによって変えられてしまったエヴェレットの人生、のような趣きの本である。言語学者としてまずピダハンの言語は他の言語と全く違うらしい。挨拶もなく、数もなく、右左の概念もなく、色の名前もない。言語だけではない。彼らは私たちがいわゆる「先住民」に持っているステレオタイプなイメージをすべて崩してしまうような存在だ。神もいない。人類とは元々、朝日と共に目覚めて陽が沈んだら眠る、というような生活とは程遠い。眠ると弱くなると言われていて、眠らないようにつとめている。もちろんそれでも寝るのだが、ものすごい宵っぱりである。美しいボディペイントとか羽飾りとか、もちろん、伝統衣装などもない。なんだか薄汚れたTシャツと短パンでダラダラと暮らしている……ようにエヴェレットには見えた。つまり彼はちょっとがっかりするのだ。もっと円陣のような住まいを作り、赤いボディペイントをして、伝統を守って神に祈りを捧げ、狩りに出るような先住民のところに行けばよかったんじゃないか、なんだ、このピダハンは……と思うのである。
宣教師にとってキリスト教を広めるのが仕事であるが、彼が語るイエスの苦難もヨハネの苦行も、ピダハンにとっては笑いの種にしかならない。一体どうなっているのであろうか。彼らに神の救いをもたらそうと思うが、彼らには実は神の救いなど必要ないのではないか、彼らはすでに十分に幸せに生きているのではないか……エヴェレットは長年のフィールドワークの末、自らの根源を突き崩され、宣教活動と言語学フィールドワークの果てに、キリスト教を棄教してしまうのである。
これは大変なことである。単なるクリスチャンというのではない。宣教師なのである。宣教師が自らの恃(たの)むところを捨てる、というのは尋常な話ではない。ピダハンは間違いなく幸せに暮らしている。その日その日を生きながら笑いを絶やさない。再度書くがいくらキリスト教の話をして聞かせようが、単なる笑いの種にしてしまうのだ。そして、宗教が救わなければならない人間の苦悩、というものが見当たらない。人とはこのようにしてこそ生きるものではないのか。エヴェレットは宣教するどころか、彼らに見事に人間を変えられてしまうのである。人の生き方、という意味で決定的な影響を受けるわけだ。
ブラジルに10年住んだが、アマゾン森林には観光で訪れたことしかない。ピダハンにも会ったことはない。しかし、弟のような親しい友人が長くアマゾンに関わり、仕事をしていた。アグロフォレストリーや環境保全などの活動に従事し、アマゾニア州出身の女性と結婚し、この『ピダハン』にも出てくるマニコレという街を拠点に仕事をしていた。ピダハンにもあったことがあるという。「ピラハン」と聞こえるような発音ですよ、と彼はいう。ピラハンたちはマニコレ周辺で見かけることもあって、「なんか汚い格好してダラダラしてますよ」と、エヴェレットが書いたようなことを言う。この弟分の友人は、『ピダハン』を読んだことがないというので、読んでみてね、とすすめておいた。
人間は、その真ん中にいる時には、自分の状況とか会っている人たちを相対化できない。違和感を感じるだけだ。その違和感を相対化しながら逆に自分たちの生きる世界を照射して見せるのが文化人類学の仕事だ。誰でもそういうことをやろうとするわけではないから、相対化できないのは当たり前のことだ。
ピダハンの言語の特殊さ、人間関係の独特さ、断片的に覚えていることだけでも、なんだか、すごい。一夫一婦の夫婦というものは存在する。しかし婚外交渉は容認されている。結婚していても、気持ちが惹かれる他の異性が出てきたりすると、二人で森の中にしばらく消える。たとえば夫に気持ちの移るような女性が現れて、しばらく森の中に消えるとする。程なく夫は家に帰ってくるのだが、家に帰った夫を、妻は気が済むまで叩いていいんだそうである。手で叩くと痛いからほうきみたいなもので……。森に消えた方の夫はそれを甘んじて受けなければならず、決して反撃反論してはいけない。何日か顔を合わせたら叩かれ続けて、妻の気が済んだところで、元に戻るのである。
暴力はいけないことだし、あまりにも単純すぎることではあるが、この話を読んだ時、なんだかすごいカタルシスがあった、というか、すっきりしたというか、ああ、これがよろしいような気がした。結婚していても他の異性に気持ちが傾くことはあるし、その人と親密に接してみたいような気持ちは、長い人生だから起こることはある。その時に、相手と気持ちが盛り上がったら、こそこそとひっそり時々あったりしないで、さっと森に入って好きなだけ親密にしていればよい。でもそれってやっぱり親密な関係にある配偶者にはどうしたって後ろめたい思いを残してしまう。悪いことしたよな、とどうしても思う。罪悪感が魔の正体なので、罪悪感を抱きながら暮らすことは人を損ない続ける。悪いことしたよな、と思って、好きなだけ相手に叩かれていたら、罪悪感と共に生きる余裕はない。悪いことしたんだから、「お仕置き」受けるだけである。浮気された側は、相手を百叩きにしたい、と誰でも思うが、やらないだけである。ピダハンはやったほうがいい、という解決にしたわけだ。大したものだと思う。
宣教師で言語学者のダニエル・エヴェレットは、最初は、がっかりする。なんだ、この人たち、儀礼もないし、伝統衣装もないし、エスノグラフィカルな興味を全くかき立てられないことに、「他のところに行ったらよかったなあ」と思うのだが、結果として、自分の根源を突き崩され、違う生き方を選ばされてしまうのである。それも苦難の果て、という感じではなく、彼らとなんとなく暮らしているうちに……。
この本を読んで既視感があった。ブラジルに着いて、彼の地に住むことになった私は、実はちょっとがっかりしたのである。アジアの伝統衣装に魅せられ、心を奪われ、グアテマラの民族衣装などにも惹かれ、ブラジルにもそのようなものを期待していた。しかしどこを探しても、伝統衣装に身を包んだ人などおらず、バイアでバイアーナ着てアカラジェ売っているだけである。貧しい人から金持ちまで、みんなジーンズにTシャツで、見事に「アメリカナイズ」されており、また、生活自体もアメリカナイズされていた(反米精神もまた揺るぎなかったが)。移民の国ブラジルではポルトガル語が共通語として定着したから、広いブラジル、わずかに残された先住民の地以外では、ポルトガル語が通じ、言い回しに少しの違いはあれど、日本の感覚でいう方言、というようなものもほぼ、ない。一見すると近代が隅々にまで張り巡らされ、「人間の元々持っていた」暮らしの片鱗のようなものはつゆほども感じられないところのようなものに見えて、当初はがっかりしたのだ。
しかし、みよ、この強靭で未来の人間の在り方を先取りするような、西洋社会や日本では見ることもできなかったような、人と人の関わりのあり方や、真っ当すぎるくらい真っ当な人間性が愛でられること。すっかり人生を変えられたのは、私の方であったことが今になれば、はっきりとわかる。エヴェレットの経験は、少し形を変えて、ブラジル全体で相似象として、私の上にも、立ち現れていたのである。
(注1)D・L・エヴェレット 屋代通子訳「ピダハン」みすず書房 2012年。
三砂ちづる (みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学名誉教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『ケアリング・ストーリー』『六〇代は、きものに誘われて』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。