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「第12回 アーモンドの花」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

 外国に旅行中、それまで見たことのない花に偶然、遭遇するというのはその旅行を一層印象深いものにする。いや、私の場合は、その花がその旅行の思い出を独占する感じになる。モロッコのマラケシュで私はジャカランダの花を初めて見た。大木に咲いた青い大きな花だった。「これはジャカランダだ」と傍にいた夫が言った。彼もこの花を見るのは初めてだったが、写真で見たことがあり花の名を覚えていた。「ジャカランダ」。なんと素晴らしい響きを持った名前だろう。出会って即座にその名を知ることができたのは有難く、私は夫に感謝のあまり跪きたいくらいだった。(そうしなかったが) 

 ジャカランダというその響きはヨーロッパの言語ではない。サンスクリット語かアラビア語ではないかと思った。「ナンマイダ」とおなじく「ダ」で終わっているので、有難いお唱えの言葉のようにも思えた。調べてみると、ジャカランダの原生地である南米で使われているツピ・グアラニ語である。「香り」の意味だそうだ。この言語はパラグアイの公用語の一つである。

 高く伸びた木の、緩やかにカーヴして降りてきている下の方の枝の先端にある花を背伸びしてかろうじてかぐことができた。葉っぱの形はシダを思わせる。私は青い花に顔を近づけて匂いをかいでみた。仄かに香る。モロッコにいる間ずっと青空で、私はこの花が青い空の青を吸収しているように錯覚した。日差しの中では薄青、日陰ではその青が濃くなる。去年の終わった花の莢(さや)が今年の新しい花の傍に下がっている。地面に落ちている莢もあるので踏まれて潰されていないものを選んでいくつも拾った。なめし革のような莢は、ガマグチの形をしていて手のひらほどの大きさがある。立派な莢だ。今年の花が咲くまで落ちずにずっと枝にくっついていると決めていたのだろうか。

 もう一つ、旅先で初めて見た花はアーモンドの花である。泣きたいほどきれいだった。しかも目の前にあった。それでも、触れることも香りをかぐこともできなかった。それは絵に描かれた花だったからだ。「花咲くアーモンドの枝」。二〇一六年、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館で出会った。「ヴァン・ゴッホの日記」を思い出すのに時間はかからなかった。ゴッホは弟夫婦に子供が生まれた時、アーモンドの花を描き誕生祝として贈った。赤ん坊はゴッホと同じくヴィンセントと名付けられた。一月三十一日に生まれた甥の為にフランスのプロヴァンス地方の2月の花であるアーモンドを描いたのだ。私はアーモンドの花がどんな花なのか全く知らなかった。青い空を背景に白いアーモンドの花が描かれている。「ああ、これがそうなのか」と私は思いしばらく眺めて感慨深かった。ピンクもあるそうだがゴッホが描いたのはピンクより先に咲くという白だった。ピンクだと印象は全く違ったものになったことだろう。

「仕事はうまくいっていた。最後の画布は花の咲いた枝で、おそらくこれが一番根気よく、一番うまく描いたものであり冷静な気持ちで大きめの筆触を確実に用いて描いたのだということが分かるだろう。だが、翌日は畜生のようにだめだ」(ゴッホの手紙、628番)

「アーモンドの花を描いていたとき、僕は病気になったのだ。あのまま仕事を続けていられたら、他にも花盛りの木を描いただろうと、そう考えてくれ」(ゴッホの手紙、629番)

パスカル・ボナフ著、三浦篤・渡部葉子訳『ヴァン・ゴッホ』中央公論社、1991年

  ゴッホは「冷静な気持ちで」と言った次の手紙では、「アーモンドの花を描いていたとき、僕は病気になったのだ」と書いている。彼の気持ちは乱れている。長い間、弟からの仕送りに頼っていたゴッホは、弟が結婚した時、もうこれまでのようにはいかないと思ったことだろう。単に経済的なことばかりではなく、家族の中の唯一の理解者と言っても良かった弟だから、結婚によって弟を失った気持ちになったに違いない。これらの手紙を書いていた時、ゴッホはサン=レミの療養所にいた。絵は二月に描かれ、同じ年の七月、ゴッホは亡くなっている。その死から百三十四年経った今でも、彼の死を自殺と信じている人が多いのは残念でたまらない。自殺者がピストルを自分の体に直接、撃つと、弾丸は必ず貫通する。ゴッホの体には弾丸が残っていたのだ。頭ではなく、腹部に不自然な角度で撃たれていた。彼は苦しんで死んだ。生きていた時には親にさえ理解されず苦しみが多く、死ぬときにも苦しんだ。

 躍動する生命力そのものの作品、「ひまわり」と比べて、「アーモンドの花」は、私にとって、あるがままの自然というのはこのように人間の思いを超えた、はかり知ることのできないものだという印象がある。美しいと思うのは人間であり、その美しさを祝福するのも人間である。生まれたばかりの甥のために、人生が良きものであれとゴッホは祈っている。

 ゴッホはアーモンドの花の他に、梨、桃、スモモの花も描いている。それらの絵は皆、背景に地面を含んでいる。アーモンドの花は青空だけを背景にしている点が異なり、「一番うまく描いた」という青銅色の枝の肌が際立って美しい。

 この絵を見て以来、八年間、私は毎年、年が明けるとアーモンドの花を見に行かなければと焦った気持ちになってきた。アイルランドではアーモンドの花は咲かない。雨が多すぎるのだろう。原産地がアラビア半島であるアーモンドは乾燥に強いそうで、ヨーロッパではポルトガル、スペイン、フランス、ギリシャ、イタリアなど地中海性気候の国で栽培されている。スペインはアメリカに次いで世界第二位の生産国である。どの国へ行こうかと、随分調べて、たくさんの写真を見た。モロッコが良さそうだ。北アフリカの先住民族、ベルベル人の多く住むモロッコのタフロート(Tafraoute)では、アーモンド祭りがある。たいてい二月だが祭りの日にちが決まっているわけではないのは、その年によって花の咲く時期がずれるからで、花に合わせた祭りなのだ。花に合わせる。それは遊牧民の血を引くベルベル人の考え方だろうか。こういうことに私は感心する。赤茶けた山のすそ野に咲くアーモンドの花は果樹園のようにきっちり整列しているわけではなく、無作為な感じで散らばっている。私にとっての桃源郷だ。フランスでは個人の家の庭に咲き、スペインでは街路樹になっているところもある。

 今年は、計画を立てている最中に、我が家の十五年使った暖房のボイラーが壊れた。真冬で一番暖房が必要な時。新しいものを取り付けるのに三十万かかった。その費用の方が先決であるのは明らかで、花を見に行くという旅が私のわがまま、贅沢、と感じられ、計画を取り下げた。一方、気持ちの中では完全に諦めたわけではなくずっと引きずっていて、密かに何度も航空券を検索していたが、日にちが近くなるにつれてチケットがべらぼうに高くなり、結局断念した。友人にその断念を嘆くと「桜と同じよ。桜を見ればいいでしょう」とすげなく言われた。

 つい先日、スペインへ行った友人が、アーモンドの種を持ってきてくれた。固い楕円形の殻はウメの種に似て針で刺したような陥没がある。その人によると、アーモンドの花は、「人間臭い匂いがする」ということだ。えっ、と思うと彼は「人間の汗のような」と付け加えた。そんな匂いがするとは初耳だ。ますます興味が掻き立てられる。

 二月。この月は南ヨーロッパでは春のようだ。北ヨーロッパのアイルランドでは、湿っぽい冬にうんざりし、なんとかそれを縮めようと南ヨーロッパで休暇を過ごす人が多い。アイルランドでは、二月はまだ冬と見做されている。それでも桜が咲き、ミモザが咲き、椿が咲く。黄色いハリエニシダも既に見かけた。今年は春が先を急いでいるようだ。地面では、スノードロップ(マツユキ草)、クロッカス、水仙などが咲いている。

 空を背景にして咲く木の花を私は天の花と呼び、地面に咲く花を地の花と呼んでいる。私が勝手にそう決めたのである。アーモンドの花はまだ見ていないというだけでも天の、天上の花だ。

追記
ゴッホに関する本は、夥しく出版されているが、二〇一一年にアメリカのランダムハウスから出版された『ファン・ゴッホの生涯』はスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスの二人による共著であり、アムステルダムのゴッホ美術館の協力も得て三十七年間のゴッホの生涯に初めて非常に綿密な調査が行われたことが反映されている。二人は、評伝『ジャクソン・ポロックーアメリカン・サーガ』でピューリッツァー賞を受賞している。特に、ゴッホの死については異論の余地のない新たな事実が、彼らの緻密な調査によって明らかになり、事故による他殺だったという説は説得力がある。関心のある方は、下記の本を読まれることをお勧めする。私自身は、二〇一六年に二日間、続けてゴッホ美術館へ行ったことで、彼への関心がさらに深まり、この本を読む機会を得た。ゴッホは生きて絵を描き続けたかったと思う。

参考文献
スティーヴン・ネイフ、グレゴリー・ホワイト・スミス著、松田和也訳『ファン・ゴッホの生涯』上・下、2016年、国書刊行会 

津川エリコ近影

津川エリコ
北海道釧路市生まれ。ダブリン在住。『雨の合間』(デザインエッグ)で第55回小熊秀雄賞受賞。小説「オニ」(『北の文学2022』所収、北海道新聞社)で北海道新聞文学賞受賞。著書に詩集『アイルランドの風の花嫁』(金星堂)、随筆集『病む木』(デザインエッグ)があるほか、詩集アンソロジー”Landing Places”, “Writing Home”, “Local Wonders”(いずれもDedalus Press)に作品所収。

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