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「第9回 ジェイムズ・ジョイスのクリスマス・プディング」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

 ジェイムズ・ジョイスの原作に基づく映画「ザ・デッド」は日本では一九八八年に封切られた。その頃すでに、アイルランドへ移ってしまおうという気持ちがあったのかどうか定かではないが興味深く見たのは覚えている。主人公ゲイブリエルが二人の叔母の家で恒例になっている一月六日の「十二夜」のパ―ティに妻と出かけて行く。十二夜と言うのはイエス・キリストの生誕から十二日目にあたり、東方の三博士が贈り物を持って幼子イエスを訪れた日とされている。一連のクリスマスのお祝いの最後の日でもあり、この日を境に人々はクリスマスの飾りを取り外し平常に戻った気分になる。
 この映画で強く印象に残ったのは ディナーの最後にデザートとして出された人の頭ほどの大きさの真っ黒な塊である。一体あれは、何なのだろう。ヨハネの首ではないか。
 我ながら自分の連想にぞっとしたが、聖書には首を切られ、お盆の上にのせられたヨハネの首が、踊りへの褒美として領主ヘロデから彼の妻の連れ子、サロメに与えられたことが述べられている。ヨハネはヘロデが兄弟の妻、ヘロデアを娶ったことを批判したことで捕えられ獄中にあった。

 ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガラリヤの主立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデアの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。

『口語聖書』「マルコによる福音書』6章14-29節、日本聖書協会、1955年改訳

 三十九年の短い生涯だったカラヴァッジョだが二枚、ヨハネを描いている。「洗礼者聖ヨハネの斬首」と「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」である。とても残忍な印象があり、茨の冠を被せられて血を流すキリストどころではない。
 レオナルド・ダ・ヴィンチも「洗礼者聖ヨハネ」を晩年に描いている。彼が亡くなった時、絵は手元に残っていたそうで、彼自身が特に愛着を持っていた作品と考えられている。私はルーブル美術館でこの作品を見た。画面が暗すぎて分かるのはヨハネが若者であるということだけだった。二〇一六年に修復されたそうで、写真で見ると今では縮れた髪や着ているものがもう少し判別できる。
 ダブリン生まれのオスカー・ワイルドはヨハネの首を所望した王女「サロメ」を戯曲にしている。私が持っている岩波文庫の『サロメ』は薄い本だが耽美主義で知られるビアズレーによる十八枚の挿絵が付いている。ダブリンでこの劇が上演されたときは真っ先に見に行った。ヨハネは多くのアーティストの題材となって来た。

 私が、映画「ザ・デッド」の一場面から、キリストの到来を予告したと見做されるヨハネを想像したのは、あながち突飛なことではないのかも知れない。
 さて、この黒い塊は、クリスマス・プディングである。プディングの色は茶色っぽいものから黒っぽいものまであり、その黒にも度合いがある。本当に真っ黒なのには、ダブリンに来てからもなかなか出会わなかった。あるクリスマスシーズン、思いがけなく本当に真っ黒なプディングと出会った。女主人にレシピを尋ねると「祖母の代からのレシピであり秘密だ」という。ただ、ギネスが入っているとは言ってくれたので黒い色はそれから来ているに違いなかった。秘密と言うのは冗談だと思ったが、やはりレシピは教えてもらえなかった。三十年以上もアイルランドに住んでいて、このプディングを一度も作ったことがない。そもそもこちらに来るまでオーブンを使ったことがなく、日本にいた時もケーキを作るという発想がなかった。甘いデザートといえば、お汁粉で十分だった。
 アイルランドでは毎年、クリスマスが近づくと、新聞の家庭欄や女性雑誌にはクリスマスケーキやクリスマス・プディングの作り方の記事を目にするようになる。今ではインターネットで競争でもするかのように様々なレシピが紹介されている。プディングはケーキと違ってベイクされるものではない。型にいれて蒸すか湯煎する。黒色は、黒砂糖やトリクルと言われる糖蜜によるものであるが、干しぶどうやプラムなどの乾燥フルーツがふんだんに入り、ギネスやウイスキーやリキュールなどのアルコールが入る。一年経つと熟成してそれが作り立てのものよりもおいしいと言われるのはアルコールが入っていることによるものだろう。家庭によっては、毎年、プディングを作るが、食べるのは前年のもの、ということもある。本当にそうなのだ。私は、半年熟成のものをスーパーで買っている。相当のカロリーだと思うが、さらに生クリームやカスタードをかけて食べる。黒々と光ったプディングに白い生クリームのコントラストはとても美しい。

 映画「ザ・デッド」を監督したのはジョン・ヒューストンである。彼は共産主義者を洗い出す「赤狩り」がハリウッドに及んだとき、反発して居をアイルランドに移したことがあった。「ザ・デッド」は彼が監督をした最後の作品であるのはアイルランドに対する彼のこの国への愛着のように思われる。ヒューストンの娘、アンジェリカ・ヒューストンが「ザ・デッド」でゲイブリエルの妻を演じている。子ども時代をアイルランドで過ごした彼女にとっては、どうしても演じてみたい役柄であったろう。

 『ザ・デッド』はジョイスの短編集『ダブリンの人々』の最後に収められている。主人公ゲイブリエルは舞踏会の夜に、妻が語る若い頃の思い出に心を乱される。それは若くして死んだ妻の恋人のことだった。妻は招待客の一人が歌う「オークリムの娘(The Lass of Aughrim)」を聞いて追想に耽る。その歌を恋人が歌ったことがあったのだ。
 ゲイブリエルが降る雪を窓から眺めるこの短編の最後の部分は大変美しい。しかもとても平易な英語で書かれている。雪がこの件(くだり)を読む者の上にも降り積もってくる。ゲイブリエルは、長年一緒に暮らして多くを知っていると思っていた妻の心の中に侵すことのできない神聖な領域があることに気付くのだ。妻が持つ恋人のイメージは彼が若くして死んだゆえに、その純粋さを誰も侵すことはできない。
 降る雪を眺める最後の部分がジョイスの念頭に最初にあり、この部分を書くためにジョイスはこの作品全体を書いたのだと私には思われる。雪はこの世のすべてを均質化する「死」の象徴であり、その日、ゲイブリエルはパーティで人々の印象に残るようなスピーチをすることに心を傾けていたが、それも雪を前にすると取るに足りない卑小なことだったと思い始めているのではないか。

「まさしく、新聞の通りだ。雪はアイルランドじゅうに降っている。暗い中央平原の各地にも、木の生えていない丘陵にも降り、アレンの沼地にやさしく降り、さらに西では、暗く騒ぎ立てるシャノン川の波にもやさしく降っている。またマイケル・フュアリーが埋葬されている、丘の上の淋しい教会墓地の至る所にも降っている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の先にも、不毛な茨の上にも厚く降り積もっている。彼の魂はゆっくりと知覚を失っていった。雪が宇宙にかすかに降っている音が聞こえる。最後の時の到来のように、生者たちと死者たちすべての上に降っている。かすかな音が聞こえる」

ジェイムズ・ジョイス『ダブリンの市民』結城英雄訳、岩波文庫、2004年

 私は北海道生まれ。子どもの頃、手袋の上に落ちた一粒の雪の結晶の美しさに驚いたことをはっきり覚えている。何かをきれいだと思った本当に最初の経験だ。空気中の塵が核となる雪の結晶は、人間の顔のように、同じものは一つもないという。
 アイルランドにも稀に雪が降る。一度、クリスマス当日に雪が降ってホワイトクリスマスとなったことがあった。裏庭で大きな雪だるまを作ることができるほどの降りようだった。ヨーロッパではスノーマンといって三段作りである。私と息子は頭と胴体だけの真正の日本風雪だるまを作った。庭の雪が解けて、冬でも枯れることのない緑の芝生が再び露わになっても、この雪だるまはしばらく残っていた。クリスマスの最高の贈り物だった。

津川エリコ近影

津川エリコ
北海道釧路市生まれ。ダブリン在住。『雨の合間』(デザインエッグ)で第55回小熊秀雄賞受賞。小説「オニ」(『北の文学2022』所収、北海道新聞社)で北海道新聞文学賞受賞。著書に詩集『アイルランドの風の花嫁』(金星堂)、随筆集『病む木』(デザインエッグ)があるほか、詩集アンソロジー”Landing Places”, “Writing Home”, “Local Wonders”(いずれもDedalus Press)に作品所収。

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