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「はじめての海外」 少女のための海外へ出ていく話

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大きくなったら何になるの?

 今も、とてもはっきりと思い出す光景があります。
 小学校のおそらく4年生とか5年生とかそのくらいの年齢だったと思います。私は一人でぼんやり歩いているのが好きで、その時も学校から一人でなんとなく歩いて帰ってきていた。
 幼いながらも、自分に将来というものがあり、大きくなったら何になりたいか、などについて考えなければならないのだ、ということはわかっていました。いろいろな人から、聞かれていたからです。
 この国では、「大きくなったら何になる」というのは、大人が子どもに知り合った時に、まず、する質問です。
 あなたの夢は何ですか、とか、大きくなったら何になりたいですか、とか、大人たちはみんなあなたに質問する。それって当たり前のことのように思っているけれど、私が幼い子ども二人を育てるときに住んでいたブラジルでは、子どもたちはそんな質問はされていませんでした。
 子どもは子どものいまの時代を楽しむことこそ、そして今、この時間を精一杯生きることこそ、大切だと思われていました。
 子ども時代には、子ども時代にしか感じられないことがあり、それを感じさせてあげるのが大人の役割、と思われていたように思います。

今のあなたであるために

 ブラジルで生まれ育っていた子どもたちを日本に連れて帰ってきたのは、彼らが小学校2年生と4年生の時でした。彼らが日本に来てびっくりしたことは実にたくさんあったのですが、その一つが、この「大きくなったら何になるの?」という質問でした。

 彼らは日本語がわからないわけではありません。生まれてから、ずっと私とは日本語で会話していましたから、日本語自体はよくわかります。でも「大きくなったら何になるか」と聞かれているその文脈がわからなかったのです。

 「大きくなった時のことは、今はわからないよね」と言います。その通りなのであって、子どもは大人になるために生きているのではないし、何かになるために子どもであるわけでもありません。

 今、ここにいるあなたであるために、あなたが生きている。ブラジルにいると、そういうメッセージがしみじみと感じられたのですね。

 子どもの時に亡くなってしまう人もいるのですが、だからと言ってその人の生に意味がなかったなどということができないことは、その子どもの親や周りの人がみんな知っています。

 子どもは大きくなるために生きているのでも何かになるために生きているのではなく、今をただ、十全に生きるために、いるのです。

 あなただってそう。

 あなたも大きくなって何かになるために、あるいはもっと勉強してえらくなるために、あなたがいるのではない。

 あなたという存在は今そこにいるだけでそれだけで素晴らしいのです。でも、きっとあなたは周りから、何度もすでに大きくなったら何になる、を聞かれ続けていると思う。もはやこれは、私たちの日本語で暮らしている人の文化に根ざしているのではないかと思うくらい。

10歳の私が考えていたこと

 ですから、50年も前のことではありますが、私も、また、そんなふうに思っていたのです。

 10歳くらいの私は、小学校からの帰り道、「いったい自分は何になるんだろう」、「私はどこで何をやるんだろう」とぼんやり考えていたと思う。そして、その時私の頭に浮かんでいたのはたった一つのことだけでした。

 それは「私はどこか、外国に行くのだ。そして、外国語を使って暮らすのだ」ということ。

 私はどこか、私の今、知らない、言葉さえもわからない、誰が住んでいるのかもわからない、そういうところに、必ず行くのだ、と思っていた。

 そして、そういう異国に住む人たちと、知り合い、言葉を交わし、深く関わっていきたい、とぼんやりと思っていた。

 その時の、なんとも言えない胸のときめきと、必ずそうするのだ、という決意のような感情を、小学校の隣にあった酒工場の匂いと、一人で帰宅する道の寂しさと、頭の上に広がる空の青さと、そういうものと一緒にしみじみと思い出すのです。

日々、世界のニュースにふれる

 私は、現在、津田塾大学、という東京にある女子大の国際関係学科、というところに勤めています。

 国際関係学科、だから、大学にいると、世界中のあちこちのニュースが耳に入り、アフリカや南アジアやアメリカやオーストラリアやメキシコや、いろいろな国の研究をしている先生たちがいて、世界中に出かけて行く学生たちがいて、そして、研究室のある廊下には、世界中のいろいろなニュースやイベントについての情報が掲示されています。

 私自身も、例えば、2017年の夏には、仕事でブータン、ラオス、ブラジル、エルサルバドル、に出かけました。なぜそういう国に行くのか、とか、なぜ津田塾大学なのか、とか、いろいろご質問はおありでしょう。この連載では少しずつ、説明していきます。

 ただ、今、私が言いたいことは、幼いころ「とにかく外国に行きたい、外国のことに関わりたい、外国の人と知り合いたい」と思っていたことは、50年経って振り返ってみると、そのように思い描いた通りの人生になっていた、ということです。

 あなたの今の思いは、将来の方向性を作る礎です。

 外国に行きたいと思っていますか、外国に住みたいと思っていますか。

 思っていれば、そのようにできるでしょう。

 この連載は、世界に向かって人生の方向を考え始めたあなたへの贈り物とも言えます。

初めての海外

 ぼんやりと、いつかは、外国に行くんだ、と考えていた私が一番最初に外国に行ったのは、大学を出た年、22歳のことでした。
いつかどこかに行きたい、こここではないどこかに、自分の力で行きたい、と思っていれば、いつか、行くようになる。先ほど、そう書きました。

 思っていれば行ける、なんてそんなことはないだろうと思うかもしれませんが、「このようにしたい」、「このように生きたい」と思っていれば、人生の節目、節目に 何か決断をしなければならない状況が訪れると、その方向に近いような決定を少しずつしていくものなので、後で振り返ってみると、結局、考えていたような方向になるなあ、と思えるものです。

 今は、高校生や大学生でも外国に行く機会がいろいろあると思いますが、今から40年位も前のこと、まだまだ学生時代にどこか海外に行く、というのはそんなによくあることではありませんでした。

 大学を卒業してから、半年ほど仕事の研修をして、まともに仕事を始める前の1カ月、初めて海外に出かけました。大学の先生がアフリカに調査に行かれるのについて行ったのです。

 行き先はケニアでした。

 当時の私にはアフリカはあまりにも遠く、そして、「タフに生き延びねばならないところ」のように見えました。

 海外に行く、しかも、アフリカに行くのだ、と思って、私は「タフ」な旅行準備を始めました。

 長く伸ばしていた髪はばっさりとおかっぱに切りました。アフリカでカットなんかできない、髪の毛の手入れなんかできない、と思っていたから。

 ジーパンにスニーカーに、洗いざらしのシャツ。リュックサックを背負って、全く女らしくはない格好で、旅立ちました。

 アクセサリーなんかもちろん持って行きませんでしたし、可愛らしい服とか、よそ行きのワンピースとか、そんなものを持っていくことはとても考えられなかった。だって、「アフリカ」でしょ、と私は思っていたのです。

 それがどれほどの偏見であるか、私はすぐに知ることになります。

ひとくくりにしてしまいがちだけれど

 どの国にもその国に対する「ステレオタイプな見方」というのが存在します。よその国から見る日本も、さまざまなステレオタイプに満ちているでしょう。

 一昔前なら日本は「富士山とゲイシャ」の国だったと思いますし、今は「寿司とアニメとラーメン」の国かもしれない。

 実際に日本に暮らしてみれば、当たり前のことですが日本人は毎日寿司かラーメンを食べて、アニメを見ているわけではない。

 ごく普通に暮らし、学校に行ったり、仕事に行ったり、おしゃれをしたり、子どもを育てたりしているわけです。

 どんな外国でも、外からどんなふうに見えていてもそこには普通の暮らしがある。そういう想像力をいつも持つことは結構大切なことなのですね。

 朝起きて、顔を洗ってみんなでおはようと言って、1日の活動を始め、一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたり、洗濯したり、掃除をしたり、お金を稼ぐ仕事をしたり、家を修理したり、赤ちゃんやお年寄りのお世話をしたり。友達とおしゃべりしたり、恋をしたり。

 そういう生活は、世界中のどこにでもあり、どのような国の混乱や、自然災害や、人工災害や、戦乱などの中でも人はこのような暮らしをなんとか続けていこうとするし、実際続いていくのです。

 「アフリカ」と言っても、本当に様々な国があり、ヨーロッパやアジアの国々がそれぞれ違うように、アフリカだって、それぞれの国で随分違う。

 私たちはつい「アフリカ」と言ってひとくくりに「野生動物」、「開発が遅れている」、「住む環境が厳しい」などと思いがちですが、そこには異なる文化を持ついろいろな国がある。

 気候だって、暑いばかりではない。温帯地域もあるし、高地になればとても冷えるところも多い。

涼しかったアフリカ

 アフリカだから暑いのだろう、と思って着いた、ケニアの首都ナイロビは、高地で、とても涼しい。ナイロビの空港の人たちはセーターなど着ているのでした。

 アフリカなら暑い、って思っていた私はナイロビについたけれども、空港で預けた荷物は間違ってロンドンに運ばれてしまってしまっていて、手元には服がない。

 先入観なんか持たないで、きちんと気温を調べなければならないなあ、と思いましたし、また、空港で預ける荷物は、乗り継ぎ地があれば、そこでなくなってしまう可能性もあるのだ、ということを始めての渡航で知りました。

 そして、ケニアの女性たちのおしゃれなこと。

 お金のあるなしに関わらず、彼女たちは綺麗に髪を結い、色彩豊かな腰巻やブラウスを着こなしていて、それはそれはきれいなのです。

 まるで子どものように髪を切り、Tシャツにジーパンくらいしか持っていない私はきれいな彼女たちを見て、「アフリカに行くならこんな格好でいい」というふうに思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 世界中で女性たちは、少しでも魅力的であろうとするし、文化的背景を踏まえてとてもおしゃれでいて美しい。

 初めての渡航以来、私は飛行機で預けずに手で持っていく荷物に、一通り寒くないだけの服を入れていくようになりましたし、どこの国に行く時も、「おしゃれ」できるような服をいつも持っています。

 そういうことが訪問する国への礼儀だなあ、と思うようにもなりました。

 ここではないどこかへ行こうとした、最初の渡航を、今も懐かしく思い出しながら。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

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