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【イベントリポート】「家で生まれて 家で死ぬ」シンポジウム in 熊本

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シンポジウム当日の様子
家で生まれて家で死ぬ_シンポジウムin熊本

幅広い年齢層が関心

11月18日、熊本市内でシンポジウム「家で生まれて家で死ぬ」が開催されました。小さなお子さん連れのママ、パパから高齢の方まで、幅広い層で会場が埋まりました。

出演は、三砂ちづるさん(津田塾大学教授、作家)、村上恵理さん(開業助産師)、益永佳予子さん(ケアマネージャー)。
三砂さんは二年前、在宅医療の先駆者・新田國夫医師によるサポートを受けて夫を自宅で看取りました。その体験を『死にゆく人のかたわらで ガンの夫を家で看取った二年二カ月』(幻冬舎)にまとめています。

村上さんと益永さんは、地元熊本で、それぞれお産、在宅医療の現場で絶大な支持を得るお二人です。

家で生む意味

助産師の村上さんは、「看板もチラシもなく、開業まもなくは一年に一例だったこともありました。その後もまったく宣伝をせずにきましたが、“お産が楽しかった” “あんなにしあわせな時間はない” “子どもがかわいくて仕方がない”と産婦さんが身近な方に伝えてくださり、口コミだけで15年間続いてきました」と自身の道のりを振り返りました。

自宅出産とは「自分の心とからだと向き合う作業」と村上さんは言います。「自分と向き合うのはやっかいなこと。夫婦関係、実母との関係と向き合わざるをえないこともある。でもお産を通して自分と向き合うことは、自分を大切にすること、いのちを大切にすること、子どもを大切にすることと深くつながってゆく」と、家で産むことの意義を説明しました。

家で死ぬ意味

益永さんは「在宅医療と言うけれど、そもそも医療とは、もともと生活をしやすくするために受けるもの。ケアマネの仕事はQOLを向上させること」と説明。飼い猫を心配し、最期は家で迎えることを望んだ高齢女性や、40代で末期がんになりベッドの上で結婚式を挙げたという女性のケースなどを紹介し「亡くなる瞬間、本当にありがとう、とお礼を言う人は少なくありません。人は最後まで成長するし、かかわった人も成長させてもらう。人を成長させるという点でも、生まれることと死ぬことはつながっている、と感じます。がんや病気や事故で死ぬのではない、生まれてきたから死ぬんだ。生も死も暮らしの中でつながっていると感じられる支援を、これからも続けたい」と話しました。

家と病院、なにが違う?

ディスカッションでは三砂さんが「家で生まれることと病院で生まれることは何が違うのでしょうか?」と問いかけました。
村上さんは「赤ちゃんが生まれるのはいちばんのよろこび、人が亡くなるのはいちばんのかなしみ。人生でもっとも大切な時間に家族でかかわると、家族の絆、関係性が明らかに変わります」と回答。

益永さんは「最期の過程でいろんな人が出入りしながら、みんなが結束していく。結束しないといろいろなケアができないから。じいちゃん、じいちゃん、と言いながら子どもも見送る。川の字で眠る人も、ベッドで一緒に眠る奥さんもいます。その人の暮らしの中でその人らしく生き抜くことができるような気がします」と、お二人とも人同士の関わりが変わることを指摘しました。

なぜ「家で生まれて家で死ぬ」なのか?

三砂さんは、「夫に“家で死にたい”と言われた時にハッとした」と言います。「父も義母も施設や病院で看取り、家で看取るという経験が自分になかった」と振り返り、「経験不足を乗り越えることができたのは、在宅医療の医師、看護師のアドバイスに支えられたおかげ。これは医療の話ではない。わたしたち人間が、これまでずっとつないできた生と死の経験を、世代として回復できるかどうか、という問題。生活の中の生と死を取り戻しながら、どうしたら医療とよい関係を築けるか。それが、いま問われているのではないでしょうか」と結びました。

会場からは、まるで家のような環境を用意してくれた病院があり、ありがたかったという話もありました。また「状況によって介護プランの変更はできる」(益永さん)、「例えば末期ガン患者では、その時の状態に合わせて、介護保険のレベル認定を迅速に判断、変更してもらえた」(三砂さん)など、専門家や体験者ならではの具体的なアドバイスも。
書籍版『家で生まれて家で死ぬ』では、新田國夫医師も「家族で話し合っておくことが大切」と提言されています。

生まれることと死ぬこと。この人生でいちばん大事な時間をどう過ごしたいか。みなさんも身近な人と、語り合ってみませんか?

 

家で生まれて家で死ぬ

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