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【11月20日発売】「家で生まれて家で死ぬ / 三砂ちづる」

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【三砂ちづる最新刊】

日本を代表する在宅医療の専門医と開業助産師、がん患者家族らが語り尽くす少子高齢化社会への処方箋。

「誰も、医療の結果で死にたくない。最後にやりたいことをやって、死んでいきたい人が多数なのです」新田國夫(在宅医療の第一人者、新田クリニック院長)

「死にゆく人に寄り添うことは、寂しいけれど、励まされるような経験でした」三砂ちづる(がんの夫を自宅で看取った、国際母子保健の研究者)

「地域で育ち合うことも、大切にしていきたい」佐藤有里(5子を自宅出産、森のようちえん谷保のそらっこ代表)

「お産は気持ちのいいものです」矢島床子(5000人以上の赤ちゃんを取り上げた矢島助産院院長)

【ゆたかな生と死は取り戻せるのか?】

家で生まれて家で死ぬ画像

 

 「家で死にたい」 “病院で最期を迎える”というイメージが、いま、変化してきています。7割の人が、人生の最終段階で「自分のやりたいこと、生活を優先したい」と答えています。家で最期を迎えたいというニーズは、少なくないのです。
 「家で産みたい」 日本の開業助産院は、近代医療の確立前から人が続けてきたお産の姿を残す、世界的にも注目される場となっています。助産院出産の体験談からは、「出産とはよろこびである」ことがわかります。そこでのお産をつよく望む人が一定数います。
 今後、さらに深刻な状況になる少子高齢化社会をより「人間的に」生きるために、いま一度「生まれる場所」と「死ぬ場所」を選択することについて、真剣に考えてみませんか?

 

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【色校が到着!】

カバー用紙は奮発?してMr.Bです! 発色抜群、とブックデザインの藤田知子さん推し。本文白ヤキもチェックして、11/18のシンポジウム@熊本で初お披露目です!

 

 

 

 

【熊本でシンポジウムの開催が決定(11/18)※満員御礼】

「家で生まれて家で死ぬ」シンポジウム

「人は生きたように死んでいく」

1960年代、家で生まれて家で死ぬのは、全体の半々となり、それから急激に施設・病院での出産と看取りが増えていきました。現代は、ほとんどの人が施設で生まれ、施設で亡くなり、家で生まれて家で死んでいた頃の記憶は継承されなくなってきています。しかしながら、家で生まれて、家で死ぬことを忘れることは、良かったのだろうかと、考える人も増えてきています。そんな中、あらためて生まれる場所、死ぬ場所を振り返り、豊かな“生”考える機会を作りたいと、シンポジウムを企画しました。

詳細はこちら

 

シンポジウム当日の様子
家で生まれて家で死ぬ_シンポジウムin熊本

幅広い年齢層が関心

11月18日、熊本市内でシンポジウム「家で生まれて家で死ぬ」が開催されました。小さなお子さん連れのママ、パパから高齢の方まで、幅広い層で会場が埋まりました。

出演は、三砂ちづるさん(津田塾大学教授、作家)、村上恵理さん(開業助産師)、益永佳予子さん(ケアマネージャー)。
三砂さんは二年前、在宅医療の先駆者・新田國夫医師によるサポートを受けて夫を自宅で看取りました。その体験を『死にゆく人のかたわらで ガンの夫を家で看取った二年二カ月』(幻冬舎)にまとめています。

村上さんと益永さんは、地元熊本で、それぞれお産、在宅医療の現場で絶大な支持を得るお二人です。

家で生む意味

助産師の村上さんは、「看板もチラシもなく、開業まもなくは一年に一例だったこともありました。その後もまったく宣伝をせずにきましたが、“お産が楽しかった” “あんなにしあわせな時間はない” “子どもがかわいくて仕方がない”と産婦さんが身近な方に伝えてくださり、口コミだけで15年間続いてきました」と自身の道のりを振り返りました。

自宅出産とは「自分の心とからだと向き合う作業」と村上さんは言います。「自分と向き合うのはやっかいなこと。夫婦関係、実母との関係と向き合わざるをえないこともある。でもお産を通して自分と向き合うことは、自分を大切にすること、いのちを大切にすること、子どもを大切にすることと深くつながってゆく」と、家で産むことの意義を説明しました。

家で死ぬ意味

益永さんは「在宅医療と言うけれど、そもそも医療とは、もともと生活をしやすくするために受けるもの。ケアマネの仕事はQOLを向上させること」と説明。飼い猫を心配し、最期は家で迎えることを望んだ高齢女性や、40代で末期がんになりベッドの上で結婚式を挙げたという女性のケースなどを紹介し「亡くなる瞬間、本当にありがとう、とお礼を言う人は少なくありません。人は最後まで成長するし、かかわった人も成長させてもらう。人を成長させるという点でも、生まれることと死ぬことはつながっている、と感じます。がんや病気や事故で死ぬのではない、生まれてきたから死ぬんだ。生も死も暮らしの中でつながっていると感じられる支援を、これからも続けたい」と話しました。

家と病院、なにが違う?

ディスカッションでは三砂さんが「家で生まれることと病院で生まれることは何が違うのでしょうか?」と問いかけました。
村上さんは「赤ちゃんが生まれるのはいちばんのよろこび、人が亡くなるのはいちばんのかなしみ。人生でもっとも大切な時間に家族でかかわると、家族の絆、関係性が明らかに変わります」と回答。

益永さんは「最期の過程でいろんな人が出入りしながら、みんなが結束していく。結束しないといろいろなケアができないから。じいちゃん、じいちゃん、と言いながら子どもも見送る。川の字で眠る人も、ベッドで一緒に眠る奥さんもいます。その人の暮らしの中でその人らしく生き抜くことができるような気がします」と、お二人とも人同士の関わりが変わることを指摘しました。

なぜ「家で生まれて家で死ぬ」なのか?

三砂さんは、「夫に“家で死にたい”と言われた時にハッとした」と言います。「父も義母も施設や病院で看取り、家で看取るという経験が自分になかった」と振り返り、「経験不足を乗り越えることができたのは、在宅医療の医師、看護師のアドバイスに支えられたおかげ。これは医療の話ではない。わたしたち人間が、これまでずっとつないできた生と死の経験を、世代として回復できるかどうか、という問題。生活の中の生と死を取り戻しながら、どうしたら医療とよい関係を築けるか。それが、いま問われているのではないでしょうか」と結びました。

会場からは、まるで家のような環境を用意してくれた病院があり、ありがたかったという話もありました。また「状況によって介護プランの変更はできる」(益永さん)、「例えば末期ガン患者では、その時の状態に合わせて、介護保険のレベル認定を迅速に判断、変更してもらえた」(三砂さん)など、専門家や体験者ならではの具体的なアドバイスも。
書籍版『家で生まれて家で死ぬ』では、新田國夫医師も「家族で話し合っておくことが大切」と提言されています。

生まれることと死ぬこと。この人生でいちばん大事な時間をどう過ごしたいか。みなさんも身近な人と、語り合ってみませんか?

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