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移動の自由を求めて 安積遊歩

 私の友人の伊是名夏子さんがJRの駅で乗車拒否された。それがTwitterで炎上して話題らしい。
 彼女と私は同じ体の特質を持っている。私が娘を産んでから知り合った人だ。彼女が大学生の頃、娘のいたフリースクールにボランティアで来てくれていた。
 娘のいたフリースクールは私の元パートナー、娘の父が主宰していたから、なっちゃん(伊是名さんのことを以後、普段呼んでいるとおり「なっちゃん」と呼ぶ)の結婚式には家族全員、フリースクールの仲間達も招かれた。
 彼女は差別告発型の私とは違い、ギリギリまでできることは自分で調べ、誰もが気持ちよく暮らせるよう動いている人だ。
 今回も、なっちゃんのブログは実に丁寧で、いろんな人への配慮に満ちていた。特に炎上した後に書かれたブログはTwitter上に書かれた質問や批判に丁寧に答えていて、さすがなっちゃんと思ったものだ。

 私たち差別される者たちは、常に説明を求められ続ける。おかしいものをおかしいと感じ抵抗しているだけなのに、なぜおかしいと感じるのかを延々と説明しなければならない。
 説明ができない時にも、説明する暇がない時でもそのプレッシャーは常にある。ほとんどの場合、説明する言葉が見つからず、説明ができなくて、ひどく差別的な待遇を受ける。おかしいとか嫌だという言葉では不十分だ、と常に言われ続けるのだ。その究極に、規則で縛られ管理が先行する、施設や親元での生活がある。

 私もなっちゃんも20代の初めに親元を離れ、それぞれやりたいことをやろうとした。私のやりたかったこと、それは自由にどんな場所でも行きたかったから、すべての駅にエレベーターを付けたい、と行動し続けた。そして40年が経ち、いま都市の駅のほとんどにはエレベーターができた。
 これを作るまでには、毎日命がけの取り組みがあった。
 車椅子で駅の階段を登り降りすることは、持ってくれる通行人や駅員も怖いけど、車椅子に乗ったままの私たちも本当に怖かった。友人の何人かは、車椅子ごと落ちて重症を負い、入院もしている。そうした犠牲の上に、駅のエレベーターはできてきたのだ。私は20年間、週に3、4回は行きたいところに行くために、周りの人に誇張ではなく命を預けながら、行動したのだ。その成果の上に、2000年に交通バリアフリー法ができた。乗降客1日3000人(当初は1日5000人までだった)が使う駅にはエレベーター設置義務ができたのだ。今ではお年寄りやベビーカーの人も、当たり前のように使っている。
 そんな話を聞いていたなっちゃんが、私たちの取り組みを今度は無人駅でも実行しようとしてくれたわけだ。ただちょっぴりなっちゃんが羨ましいのは、介助者の方におぶわれて安全に降りられていたこと。エレベーターもなく、介助者もない時代は見知らぬ人におんぶや抱っこは頼むことも怖く、車椅子に乗ったまま、階段の上り下りを頑張らざるを得なかったから。

 ところで、私が今回書きたいことは、自分たちのがんばりがどんなに社会を変えているかを、よく見て欲しいということだけではない。
加害者側にいる人たちに言いたいのは、差別されている人たちに説明を求めることをもうやめにして、差別している時に感じているはずの違和感や不快感に自分の中でよくよく直面し、「差別をやめろ」ということだ。
 世の中には差別されても、それに反撃できる私たちのような人たちは本当に少ない。今回のTwitterの炎上が象徴的だが、差別されることに声をあげると、そこを攻撃してくる無責任な人が大量に出てくる。しかしそんなことでは、大げさに聞こえるかもしれないが、私たち人類はもう生き延びることができないのだ。

 差別されてもただただ悲しみ泣くしかない、子どもたちや重い障害を持つ人たち、家畜たち。それらの泣き声に耳を傾け、その涙がどこから来ているのかに目を凝らし、共に生きるためにはどうしたらいいのか考え、行動しはじめること。泣くしかできない者たちは、まず涙でそれを伝えてくれているのだから、涙に耳を傾けよう。私には、「差別しないで、私たちの尊厳を踏みにじらないで」という悲しみの声が、涙の後ろに延々と聞こえてくる……。

 差別の加害者たちもすべて、女性の胎内に育ち、小さな赤ん坊として生まれてきたのだ。その事実を徹底的に思い出し、内なる自分の悲しみの声に耳を傾けて欲しい。

 私は、エレベーターを駅に設置しようとする運動の中で、人間の善良さ、助け合いたいと思っているその力強さを、まったくの赤の他人から感じ続けた。
 人間は、人の苦境をできるだけ助けたいと思っているのだ。
 それは、すべての人が生まれたその瞬間から、誰かの助けがあったからこそ、ここに生きのびているということを、心の深いところで知っているからである。

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