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特別鼎談★内田樹×寺脇研×前川喜平 公共とは何か〜学術会議任命拒否問題から考える≪後編≫

日本学術会議の新会員を菅新政権が任命拒否した問題は、日本社会に波紋を広げています。思想家・武道家の内田樹さん、元文部官僚で映画評論家の寺脇研さん、元文部科学事務次官の前川喜平さんが、この問題の核心に迫りました。(2020年10月7日収録)

前編はこちら

寺脇 前編で任命拒否は法律違反、以上終わり、という話をしましたけど、じゃあ後で裁判所が判断すればいいということではない、というのはまた別の問題として、あるわけですよね。私がいまいちばん関心があるのは、残りの99人はどういう人なの? という点です。内田さんは学術会議の会員じゃないんですか。

内田 違いますよ。僕は業界内部的には学者としては認知されてないから(笑)。

寺脇 拒否されなかった99人については、菅さんは認めたということなんでしょう、あの理屈から言えば。

前川 内調(内閣情報調査室)の調査に引っかからなかっただけなんじゃないですか。

寺脇 6人を拒否した理由を言えないのであれば、残りの99人を拒否しなかった理由をつまびらかにしてもらわなければいけない。国会で追及する必要がありますよ、裁判所が言う前にね。

内田 官邸は105人中の6人と99人のあいだに、どういう線が引かれているのかを決して明らかにしないと思いますよ。「一罰百戒」という言葉がありますけど、一人罰するだけで百人を怯えさせる。それが効果的なのは、どうしてこの人が罰せられて、あの人は罰せられないのか、その理由が開示されないからです。あの人の何がいけなかったんだろうってみんなが考え込んで、疑心暗鬼を生んで、戦々恐々とするようになる。それが狙いなんです。だから、一罰百戒の処罰対象はむしろランダムに選ぶ方が効果的なんです。どうしてこの人が……と驚くような人を処罰した方が効くんです。どうやったら罰され、どうやったら罰されずに済むのか、その基準が開示されないと、みんな権力者に対して過剰に腰が引けるようになる。

前川 6人の中で芦名定道さんという方は、京都大学のキリスト教学の先生ですけど、そんなに表立って政府批判はしていない。安保法制に反対する学者の会に入っているだけの人だったら、99人の中にもいるんですよ。だから、あの6人の中にどうして芦名さんが入っているんだろう、というのはほかの人も考えるでしょうね。ただ内閣府も法制局も、真っ当な役人はこれは違法だと思っていますよ。しかし、これは違法だと言えなくなっている。言えばもう、はずされるだけですから。パージされるのを覚悟で言うしかない。

寺脇 文部科学省には当然、全然相談していないよね。

前川 相談していないと思います。

内田 所轄している省庁は文科省なんですか。

寺脇 いいえ、内閣府です。

前川 学術に関する機関なのに、なぜ学術行政をやっている文部科学省ではないのかということは、ちゃんと認識する必要があります。日本学術会議は、学術行政に組み込まれてはいけない組織だからです。日本学術振興会という組織は文部科学省の組織ですけれども、日本学術会議は、あえて文部科学省から切り離して、内閣府においているわけですね。それは日本学術会議の、学術行政からの独立性を担保するため。内閣総理大臣の所轄とすると書いてありますが、所轄という言葉は、裏返して言えば監督しない、ということなんです。

内田 そうなんだ。

前川 僕は宗教法人の担当をしていたことがありますけどね、宗教法人法の担当役所のことは、所轄庁と言います。それは、口を出さない、という意味なんです。私立学校法もそうです。私立学校、私立大学に対しては私学の自主性があるから、文部科学大臣は口を出さないという前提があって、文部科学大臣は、神戸女学院大学(編集部注:神戸女学院大学は内田さんの元勤務先)の、所轄庁なんですね。監督庁じゃないんですよ。

内田 所轄と監督は違うんですか。

前川 所轄というのは、事務的な、最低限必要なお世話はします、しかし中身に口は出しませんという意味なのです。日本学術会議法に「内閣総理大臣の所轄とする」とは書いてあるけど、「内閣総理大臣の監督とする」とは書いていない。ですから所轄という言葉が、学術会議の独立性の証左なんですね。日本学術会議は「独立して職務を行う」とも、はっきり書いてありますし。人事に関してはもっとはっきりと、「推薦に基づいて」と法律に書いてあるわけだから、内閣総理大臣の裁量ではねたり入れたりできないはずですよ。

寺脇 もう一つの問題点は、10億円を使っているというあの論理です。2015年でしたが、下村文科大臣が国立大の学長が集まる会議で、卒業式・入学式の国旗掲揚と国歌斉唱を要請したことがありました(注6)。その前段として、安倍首相が国会で、国旗国歌について「(国立大学の経費が)税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法にのっとって正しく実施されるべき」と答弁したんです(注7)。でもそれがそれっきりで終わってしまった。国会が止まるくらいの発言だったのに、「そんなバカな!」と誰も言わなかったので、「税金を使っているのなら、国旗国歌もやるべきだ」という話が通ってしまったんです。「あいちトリエンナーレ」のときもそうでしたね。発端のときに菅官房長官が文化庁から補助金が出ていることを持ち出して(注8)、一気に忖度ムードができていった。「国が金を出しているのだから、この国のトップである俺の言うことを聞かなければいけない」という論理がまかり通っている。私はどこかに書いたけど、そんなことを言ったら生活保護を受けている人は毎日、国旗掲揚国歌斉唱をしなければいけない、ということですかと。

内田 それはそうですよね。国道があったり、堤防があるおかげで僕たちは安全に暮らしているわけですけれど、それに向かって「税金の恩恵を蒙っているんだから、国道を歩く人間は政府に逆らうな」と言われたって困る。公共的なものと国家とはカテゴリーが別なんですよ。そして、学術は公共のものです。個人のものじゃないし、一政府のものでもない。学者たちの「コモン」すなわち共有地なんです。そこで学者たちが専門的な知見の交換をし、学術のレベルを集団的に高めてゆく。学術共同体の活動というのは、集合的かつ長期的なものです。そこで厳しい評価にさらされて、残るべきものが残り、残れないものは消えて行く。それが一国の、学術的な洗練であり、学術の成長であるわけです。きわめて公共的な事業なんですよ。

そして、学術が公的なものである以上は、集団全体が、公的なかたちでそれの活動を支援するのは当たり前のことなんです。集団の知的なアクティビティを高める活動が、一月程前にできた一政府の意向に従わなくてはいけないなんてことはあり得ない。今の政府は「公的」という言葉の解釈を全く理解できていないと思います。生活保護を受けるのも、道路を使うのも、公教育を受けるのも、誰でもが公的な支援を受けているわけで、公的な支援を受けて暮らしていない人間なんてこの国に一人もいない。それを、公的な支援を受けている人間はその時々の為政者の意志に従い、その政治イデオロギーに賛意を示さなければならないなんてことはありえないわけです。

政治家だって、もともとは私的な政治的信念なりヴィジョンなりがあって、それを実現したくて政治家になったわけです。けれども、動機がどうであれ、ひとたび公人の職に就いた以上は「反対者も含めて全国民を代表する」のでなければならない。そういう「きれいごと」を冷や汗流しながら、やせ我慢してしながらでも言わなければならない。それが公人であるということの責務なんです。ひとたび公人の職に就いたら、私念を棚に上げて、公共的な仕方でふるまわなければならない。政府よりもっと上に日本の「公共」があるんです。

大日本帝国が戦争に負けて、統治機構が瓦解しても、それでも共同体は残ったわけですよね。それを「社稷」と呼んでもいいし、「山河」と呼んでもいいけれど、これまでずっと続いてきて、これから何百年も続いていくはずの国の礎は残るんです。その上で政体も変わるし、憲法も変わる。政権なんか一年おきくらいに変わる。そんな短い寿命しか持たないものが、学術であったり、教育であったり、医療であったり、そういう継続的、安定的に営まれなければならない公共の制度に、私念を以て手を突っ込んでは困るんです。申し訳ないけど、学術共同体という集団は自民党なんかより遥かに昔から存在し、遥かに未来まで存在するんです。昨日今日総理大臣になった者が、自分が公共的なもののトップにいると勘違いして、集団的・長期的に営まれるべき活動に口を挟むというのは越権行為なんです。公共性という点で言ったら、明らかに学術会議の方が菅政権より公共性が高い。公共性の低い人間が、公共性の高い組織を支配しようとするなんて、もっての外です。学術共同体は知的なアウトカムを通じて、この国全体の知的なパフォーマンスを上げていくという目標をもっている。今度の事件では、いろんな意味でパブリックというものは、国家や自治体よりもっと上にあるのだということを、僕は声を大にして言いたい。

寺脇 理屈から言うと、もう違法行為で終わりなんだけど、この機会に、そういう議論をきちんと巻き起こしていかなければいけないですね。

内田 いいきっかけだという気がします、本当に。(了)

(注)
6 日経新聞 2015/6/16付 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16H73_W5A610C1CR8000/
7 ハフポスト 2015年04月09日https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/09/national-univercity-education-act_n_7031090.html
8 朝日新聞デジタル 2019年8月2日 https://digital.asahi.com/articles/ASM823TN6M82UTFK00G.html

*肩書きは当時。 
*本鼎談は『どうなる日本の公教育(仮)』として2021年に小社から刊行予定です。

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