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タマちゃんのおかげで消えたニュース

 アゴヒゲアザラシの赤ちゃんが多摩川に現れ、メディアの話題をさらったのを覚えているだろうか。2002年のことなので、当時小1くらいで「なんとなく覚えてる」方は今23〜24歳。社会に出ている年齢だ。

泳ぐゴマアザラシ

写真はイメージ(ゴマヒゲアザラシの成獣です)

 12月10発売の『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』の元になった『世界を信じるためのメソッド』で、森達也さんはこう書いた。

 ゴマヒゲアザラシは、別に珍しい動物じゃない。水族館に行けばいくらでもいる。でもあのとき、日本中がタマちゃんに熱狂して、写真集が出版されたり、テレビ番組が作られたり、行政は住民登録をしようなどとバカなことを言い出したりした。
 現場に毎日来ていたメディアの人たちは、内心はばかばかしいと思っていた。でもそれは言えない。だってタマちゃんをニュースに出せば、視聴率が上がるのだ。
 こうしてテレビは、毎日のようにタマちゃんを大きく扱った。
 それ自体はいい。バカバカしいけれど、文句は言わない。でも問題は、タマちゃんのニュースが長々と報道されることで、番組全体の残り時間が少なくなり、もっと伝えねばならないこと、もっと大事なニュースが、消えてしまうことなんだ。
『世界を信じるためのメソッド 僕らの時代のメディア・リテラシー』(イーストプレス、2011)

 タマちゃんのおかげで大事なニュースが消えてしまう。それはとても重要な話。でも増補新版を出すにあたって、読者対象である中学生の子たちは生まれる前のタマちゃん騒動の話をされてもピンと来ないこと確実……。
 というわけでタマちゃんの話は、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』ではカットした。
 代わりに他の話題にさしかえているので、気になる方は何の話題にしたか、本書をお手にとって確認していただきたい。(ヒント:小見出しは「ニュースのうしろに消えるもの」となっています)

 一方、25年以上前に日本中を文字通り震撼させた、オウム真理教による一連の事件への記述はカットしていない。それは、森さんが映画監督及び作家になった原点であり、森さんのメディア論の根幹となっているからだ。
 当時を知らない世代には、森さんが雑誌に寄稿した次の説明で、少しはイメージいただけるかもしれない。

 なぜなら地下鉄サリン事件からしばらくのあいだ、オウムはメディアにおいてはまさしくキラーコンテンツだった。この時期によく耳にしたのは、「オウム特需」という言葉だ。新聞は毎日1面。号外も頻繁だった。テレビは通常編成を打ち切って早朝から夜中までオウムの特番ばかり。オウムの名がつくだけで高視聴率は約束されたし、雑誌や新聞は部数を上げた。不安や恐怖を煽れば視聴率や部数は上がる。だからメディアはオウムの危険性や悪辣さを強調する。
(「Journalism」
2017年11月号、朝日新聞社)

 でもキラーコンテンツだからこそ、「危険性や悪辣さ」を強調する以外の、多様な視点(たとえば犯行を知らされていなかった一般の信者はどうしているのか、とか)で報道することは、マスメディアでは許されなかった。それはつまり、視聴者が許さなかった、ということだ。
 そうしてマスメディアからはじき出された森達也さんは一人で、残されたオウム信者を撮影した自主映画「A」を撮った。
 森さんは同じ論考でこう書いている。

 そうした状況を見ながら、きっとメディアは委縮すると僕は思っていた。忖度や自主規制はこれまで以上に強くなり、風や流れに逆らうことが難しくなる。そしてこの予想は、(その後のメディア状況を見れば)ほぼ的中したと言っていいだろう。
 時代は区切られていない。常に連続している。繋がっている。

(引用元は同上)

 自分で考え、事実に基づく情報を選び取っていくのが必要なのは、どの時代も同じ。
 むしろデジタル・ネイティブと言われる子どもたちにこそ、メディアを疑う能力は、だまされずに生きるための必須の技術になるはずだ。

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