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福島原発事故は風化しない 『父の約束 本当のフクシマの話をしよう』著者・中手聖一さんインタビュー

『父の約束』を出版した2013年秋に収録したインタビューを掲載します。

変化の芽はできている

――原発事故の風化が言われています。

中手 風化は確かに感じます。マスメディアがとりあげる回数も減り、話題にならなくなってきています。ただ、日本人にとって風化しているかというと、疑問です。福島原発事故の被災者支援にかかわろうという人たちは、増えているのではないかと感じています。

もちろんもっと政府やメディアでとりあげてほしいですが、私はこのまま風化が進むとは思っていません。

今回の震災原発事故を歴史的なターニングポイントとして、これから自分たちがどう変わっていくのか、この国がどう変わっていくのか、意識的に考えはじめる人は決して減っていない、むしろ増えている。もう一度この日本という国をつくりなおしていく、切り拓いていく行動は、小さなところで始まっていると思っています。

私は若いころからドイツが好きで、4回くらい行っています。ドイツは今でこそ国をあげて脱原発ですが、そこへ至るにはやはり長く時間がかかっています。日本人の意識の芽はできています。この芽がこれからどう育っていけるか、それが課題でしょう。

 

――被災者支援について、何から始めたらいいでしょうか。

中手 この質問は本当によく聞かれます。事態を一変させるようなドラスティックなことが起きないかな、とみんな思うんですよ。それなら自分もそこに打ち込んでがんばりたい、と。ですが私は、そういうことには期待していません。

被災者支援法は確かにまだ生かされていないけれども、2012年、子ども・被災者支援法が成立したことで、原発被災者の支援を求める根拠はつかみました。看板はかかったけれど、お店の中は何も売っていない、という状況です。

菜の花畑

被災した人たちがリードしていく

中手 いちばん大切なのは、当事者がいつも中心にいることです。当事者がいなくなると、活動を長く力強くやっていくことができないのです。

私は長く障がい者の活動にかかわって、当事者の役割をすごく意識します。何万人も集まるような集会も、数人で国と交渉するような局面もありました。自分たちが一歩ずつ、普通に生きていく環境をつくり、権利を実現してきた背景には、当事者が自覚をもって、いつも中心に居続けたことがとても大きかった。時の政権によって曲折はありましたが、途絶えることなく続いてきたのは当事者の力が大きかったのです。

支援法をどう生かしていくかも、被災した当事者の力が問われています。当事者がいると、支援する人たちの力も生きてくるのです。

一つ一つはそんなに華々しいものではなくていいのですが、被災当事者がリーダーシップをとってやっていく。これから長く続く活動の中で、小さなことでも一つずつ実現していくことが、いずれは大きな力になると私は信じています。

 

支援の格差をなくすために

――具体的にどういう支援が必要でしょうか。

中手 被災者支援には大きく4つの柱があります。住み続ける権利、避難の権利、帰還の権利、そして健康管理と医療です。この4つの権利が実現して、はじめて被災者支援だと私は思っています。

中でもいちばん後回しにされている、避難者支援を推進したい。なぜなら、もっとも差別されている人々の支援策が実現すると、全体の支援が底上げされ、支援全体の原動力になるからです。

障がい者の福祉政策も同じでした。取り組みやすいところ、たとえば障がい者の雇用促進、あるいは施設、箱物をどんどん作る政策が60年代から進んできましたが、それで障がい者が本当に皆と同じように暮らせるようになったかというと、そうはなりませんでした。むしろ、障がい者の間にどんどん格差が広がっていきました。

何が障がい者全体の権利を押し上げてきたか。障がいが重度で、施設ではなく地域で生きていきたいという人たちが、ヘルパーの制度もなかったころ、ボランティアだけの力に頼って地域生活を始めるところから、日本の障がい者の自立生活運動は始まりました。彼らが政府に対して、自分たちの生きる権利として介護の補償を要求したのが70年代くらいからです。つまりいちばん後回しにされてきた人たちが、だれもが地域で生きられる社会を作るために行動した。この運動が、いちばんの推進力となったのです。

この体験からも、被災者支援全体を押し上げていくためには、いまいちばん後回しにされている避難者の支援に、力を込めて取り組まなくてはいけないと考えています。

それが実現することによって、地元に住む人も、帰還する人も含めて被災者みんなの支援が押し上げられていく、と私は思っています。

収録・2013年10月
聞き手・中野葉子(ミツイパブリッシング)

 

中手聖一(なかて・せいいち)
1961年いわき市生まれ。福島市在住中に東日本大震災で被災。2012年6月、30年以上勤めた障がい者団体を辞職し札幌市に移住。2013年3月、障がい者向け訪問介助サービスを行う合同会社うつくしま「うつくしま介助サービス」を立ち上げる。「避難の権利」を求める全国避難者の会共同代表。

 

父の約束 本当のフクシマの話をしよう

 

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