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4.252022
「第23回 もうひとりのわたし」ケアリング・ストーリー
10年住んだブラジルでは、小さな子どもや、愛しい人、親しい人に対して呼びかけるとき、”~nho”(ニョ)という、英語で言えば、diminutive、というか、「小さい」という意味の語尾をつける。パウロという男の子は、パウリーニョと呼ばれるし、ジョゼは、ゼジーニョと呼ばれる。女の子には”~nha“(ニャ)をつけて、アンナはアニーニャ、と言われる。スペイン語では、この言い方は“~to”、あるいは、”~ta”となり、パブロはパブリートと呼ばれ、パウラはパウリータと呼ばれる。
わたしの「ちづる」という名前では、ポルトガル語ではチヅリーニョ、とか、言われたし、スペインの友人にはチヅリートと言われたりしていた。女なのに、なぜチヅリーニャとかチヅリータにならないで、チヅリーニョでチヅリートなのか、その辺はよくわからない。
琉球の言葉でも、同じような言い回しがあって、まさに、名前の最後に”〜小“(ぐゎー)をつける。わたしの名前、ちづるは、意味としては、千鶴、つまりは千羽の鶴、なのであるが、沖縄には、以前はチルー(鶴、である)という名前の女性がたくさんいた。チルーは、例えば、はチルー小、となり、チルーぐゎーと呼ばれる。中国語でも、同じような意味で、「小」を使うらしい。
こういうdiminutiveは、子どもではなくても、親しい友人同士や恋人同士でも使われる。幼い頃から呼び合うような仲だった人は、高齢になってもお互いにそう呼び合っている。これは親戚同士や友達同士で、子どもの頃から「・・・ちゃん」と呼んでいたのを、そのまま呼び続けるのと、同じ感覚であろう。還暦過ぎたわたしも、高齢の叔母たちや、従姉妹からは「ちづるちゃん」と、ちゃんづけで呼ばれていて、若い人から見るとさぞや、おかしいだろうなあ、と思う。
それは、ともかく。いつの頃からか、よく覚えていないのだが、わたしの中に小さな女の子がいる、という感覚を持っている。それこそ、その子に、あえて名前をつければ、まさに、チヅリーニョとか、チヅリータとか、チルー小、とか、そういうdiminutiveをつけてこそ、ふさわしいような感じがするような、小さな4、5歳くらいの女の子である。だから、ポルトガル語や、沖縄の言葉を知った後のわたしは、その女の子を、自分でチヅリーニャとかチルー小、とか、時折、呼んでみる。理性的に話したり、科学的に説明するようなものでは、なくて、なんとなく自分の中にそういう女の子がいて、わたしと一緒に喜んだり悲しんだりしている。
吉本ばななさんも、どこかで同じようなことを書いておられた。自分の中の小さな女の子を喜ばせるように生きることが大切だ、と。107歳まで生きて、最後まで仕事をなさっていた篠田桃紅さんが「もう一人の私」について書いておられたことも覚えている。これは言葉にする、しない、に関わらず、あるいは、意識できるか、できないか、に、若干の差はあれど、本当は、多くの人が感覚として持っているものなのかもしれないと思う。
長年生きてきて、よくわかるのは、わたしの中の小さな女の子を喜ばせるように生きていく、というのは、自分にとって良きことである、ということだ。わたしの中の小さな女の子を悲しませてはいけない。何かをやろうとするとき、わたしの中の小さな女の子は、喜ぶだろうか、とふと考える。なんだかにっこりしているようだったら、それはやっても良いことのように思える。少し顔がくもっている感じだったらやらない方が良いことだ。一日の終わりにとても疲れていても、小さな女の子は、生き生きと喜んでいるように見える時は、それは本当の意味でやるべきことをやった時で、疲弊した一日の終わりに、小さな女の子もなんだか元気がないようなら、それは、おそらくその日の過ごし方に何か問題があったのではないか、と考える。小さな女の子の存在すら、忘れてしまっているような時は、あんまり調子が良い時ではないことが多いような気がする。あくまで、今までの人生の、経験則、である。
こういう感覚を科学的に解明しようとしても、きっとできない。証明することも不可能だと思うが、よく言われるような「自分の内なる声を聞きなさい」とか、「自らに問うてみる」とか、「自分の心に正直に生きなさい」とか、「本当は自分でわかっていますね」とかいう言い方と、おそらく似たようなことなのではあるまいか。わたしたちは、普段から、実は自分の中に答えを持っている、ということを前提に、話をしているのではないか。つまりは、胸に手を当てて、静かに考えてみれば、自分のとるべき道は見えているのではないのか、ということでもある。
これは、よくよく考えてみると、人を育てる、ということとか、教育をする、ということの根幹に関わることでもありうる。その人のうちに答えがあり、その人のうちに、何か指針があるのだ、とすれば、わたしたちが外からその人に教え込もうとする、ということはどういうことだろう。
すべての人が、自分に問いかければ、答えを得ることができるのだとすれば、その答えとは、どこから、いつ、やってくるものなのだろう。それが突然、一人の人のうちに立ち現れる、というようなものではないのだ、とすれば、それは生まれた時には、すでに一人一人に備わっているものなのだろうか。
「出産のヒューマニゼーション」は、1990年代のブラジルへの国際協力プロジェクトを始まりとして、世界各国で日本が仲介しながら進めてきた国際保健のプロジェクトの一つなのだが、ブラジルの産科医によって作られた「出産のヒューマニゼーション」のプロモーションビデオには、「生まれてくる人は、すべてを見て、すべてを聞いて、すべてを理解している人として扱われるべきである」という言葉が出てくる。つまり、生まれてきた幼い人は、立ち上がって動いたり、言葉によって自分の気持ちを表したりすることはできないが、もともと、すべてがよくわかっている存在として生まれてくるのではないか、ということを前提に、生まれてきた赤ちゃんを、優しく、尊厳を持って扱おう、ということが言いたいのである。
生まれた人はすべてがわかっており、幼い人も、本質的なことは全部忘れずに持っており、この社会の中でより調和を持って適応して生きていくための、こまごまとしたことは、教えられなければならないとは言え、その人が人間として生きていくために必要なことについては、自分で答えを持っている、ということを忘れることなく、幼い頃から二十歳過ぎまでの教育を行う、とはどういうことなのだろうか。明確な答えをいま、まだ、出すことはできないのだが、例えば、本当の意味での「参加型教育」とは、その人の中にいる小さな子どもに話しかけ、その声を聞きながら、そこまで学んできた知識としての教育を自らの中で統合しなおすような機会を提供していくことである、とも言えるのではないか。本当の意味でのParticipatory education(参加型教育)とは、自らの中にいるもう一人の小さなわたしを自らの人生に、よく、参加させていくことであるかもしれないのである。どちらにせよ、それは、自らへの、自分の信頼を取り戻すプロセスとして、提示されていくものだろう。
学校とは何か、教育とは何か、をこういう視点で、もう一度考え直してみたい。
三砂ちづる (みさご・ちづる) 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。
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