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「第18回 文明の衰退」ケアリング・ストーリー

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  どの国にもどの地域にも、そこが一番栄えた、という時代があるんだな。このあたりが一番栄えていたのは、モヘンジョダロの時代だね。それからもう、ずっと、衰退し続けているんだよ。今もね。                                                            

                                                                                                                パキスタンにて

 国際保健、という分野の仕事をしてきた。国際保健というのは、公衆衛生という集団の健康を扱う分野の中で、とりわけ、格差のある国や地域でやっている仕事である。
 日本国際保健医療学会では、「国や地域での健康の水準や、保健医療サービスの状況を示す指標として何が適切であるかを明らかにし、国や地域間に見られる健康の水準や保健医療サービスの格差がどの程度超えたら、受け入れがたい格差であり、その是正が必要と思われるかを明らかにし、そのような格差を生じた原因を解明し、格差を縮小する手段を研究開発する学問。国際保健はそれを実践していく分野」である、と言っている。その中でも、とりわけ女性や子どもに関わる分野で仕事をしてきた。もともと、熱帯医学とか、植民地医療とかを母体として生まれてきた学問分野なので、熱帯植民地を持っていた国で結構盛んになった。過去40年くらいの間に、国際保健医療協力の名の下に、いわゆる開発途上国の保健医療の格差を縮小すべく、行われてきた仕事である。近年はグローバル・ヘルスとも呼ばれており、そもそも国境を超える感染症なども国際保健の範疇だから、新型コロナパンデミックがまだおさまっていない2022年初頭、顔の見えている感染症専門の国際保健ワーカーたちは忙しくしている。
 結果として、いわゆる開発途上国、と長い間言われてきた国々で仕事をすることが多かった。私自身はブラジルで一番長く働いたポルトガル語スピーカーなので、結果としてポルトガル語、スペイン語圏、つまりはエルサルバドルとかキューバとか、ラテンアメリカを中心とした国々での仕事が多かったが、マダガスカルやコートジボアール、カンボジア、ラオスなど旧フランス語圏や、ザンビア、ブータンなど英語がよく通じるところやアルメニアなど旧ソ連圏で働いたこともある。パキスタンは、女性の保健という意味で興味深いことも多く、なされるべき仕事も多いところだったが、実際に仕事に行ったことはない。パキスタンで働いていた国際保健の同僚が、友人のパキスタン人から言われた、というのが冒頭の言葉である。
 なるほどねえ、と思ったそうである。パキスタンは、今は、国際協力を受ける側の国なのだが、それは、モヘンジョダロ以降の衰退してきた姿だ、というのだ。もちろん、友人同士の気のおけない会話、という形で出てきた言葉だろうから、やや自嘲的に、おそらく、半分、冗談のように言われた言葉なのだと思うが、友人は、妙に納得してしまったというのだ。モヘンジョダロ、は、いうまでもなく、紀元前2500年から1800年くらいにかけて繁栄していたと伝えられるインダス文明の都市遺跡である。水利工学が非常に進んでいた、といわれ、上水道も下水道も、すでに、びしっと整えられていたのだそうだ。金持ちの家だけではなく、労働者用と見受けられるような小さな小屋でも下水のシステムにつなげられていたらしい。1958年生まれの私が子どもの頃、日本の下水道など、まったく整っておらず、トイレといえば、押し並べて英語でpit latrineと呼ばれる、「汲み取り」便所であったし、実際1970年ごろの日本の下水処理人口普及率は8%くらいだったらしい。関西で育ったので大阪万博に心躍らせていたが、下水道すら整っていない状況の中、ただ、浮かれていたというわけである。
 モヘンジョダロでは、今から4000年くらい前には上下水道がばっちり完備していたらしいというのに、2020年に書かれた日本のパキスタンへの無償資金協力に関する文書によると、現在のパキスタンの都市で下水道が完備されているのは55%に過ぎず、下水道未整備や、インフラの老朽化で、処理されていない汚水が上水道菅とか上水用井戸に侵入する危険性があり、都市の衛生問題は深刻化している、ということだ。本当に、モヘンジョダロの頃が一番繁栄していて、都市機能も整っていて、それからパキスタンは衰退し続けている、といわれると、うーむ、そうなのかもしれない、とつい思ってしまう。
 人間の世界は、どんどん発展してきている、昔は過酷で悲惨な生活をしてきたが、近代の到来により、文化的な生活ができるようになり、今後も発展していくのだ、などという、進歩史観は、まゆつばものであるな、としみじみ思う。4000年前に上下水道は、整っていたのだから。
 思えば世界には、「昔栄えたことがあって、今はそこから比べると衰退」していると思われる国は、結構、多い。ばりばりと遠慮もなく植民地を作って、収奪を続け、世界の王様みたいな時代を過ごした国も、数多、あったわけだが、全て、その時代は終わり、それらの国は、盛りを過ぎた。植民地にされて否応なしに収奪され尽くした国もまた、否応なしに衰退局面を加速させられた。もちろん、パキスタンもその一つであった。4000年前の繁栄からの衰退の終わりの方に、植民地としての時代も付け加えられ、今や国連の人間開発指数で世界154位に甘んじているのである。
 近代以前の昔むかし、と言われる時代が、無知と蒙昧と原始と抑圧の世界であった、というのは、信じ込まされている神話であることは、ラテンアメリカのことを考えてみてもわかる。他の地域と比べると、歴史的にはあまり知られていないラテンアメリカであるが、古代アメリカ文明と呼ばれたメソアメリカ文明、中央アンデス文明が、紀元前から存在していた。あまり知られていないのは、これらの文明はほぼ文字を持たない文明であったからであるという。中央アンデスは全く文字を持たず、メソアメリカのマヤ文字は最近解読が進んだと言っても、年号などのデータ程度を記しているような文字であったらしく、複雑な歴史の著述には向かないらしい。16世紀にヨーロッパ人に征服されるまで、世界のどこにも似ていないという、非常にユニークで華やかな文明が築き上げられていたのである。
 現在のメキシコでおこったメソアメリカ文明(マヤとかアステカなどとして知られていると思う)は3000年以上前のオルメカという神殿文化をはじまりとしているし、後のインカ帝国などで知られる中央アンデス文明は、神殿の発生はメソアメリカ文明よりさらに古い紀元前3000年前と言われ、現在のペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在していた。
 文字の資料がないので、詳しく辿ることはできないものの、彼等はヨーロッパからの渡来者襲来まで、穏やかに、きらびやかな歴史の中で生きてきており、渡来した襲来者まで、神として迎えたのである。16世紀に侵入してきたスペイン人たちは、このような発達した文明が存在することを予想しておらず、メキシコのテノチティトランとインカのクスコについては、その美しさに驚嘆しながら、その姿を記録している。そして古代アメリカ文明が築き上げてきた都市群は、ほとんどスペイン人の襲来で亡び去ってしまうのである。パキスタンの人たちがモヘンジョダロの頃が一番栄えていた、というように、ラテンアメリカでは、美しかったテノチティトランやクスコの時代こそが最も繁栄していた頃なのかも知れぬ。
 私たちが今、国際保健の仕事で訪れる南アジアや、アフリカや、ラテンアメリカの国々は、植民地主義による収奪の果てに、近代的な開発から取り残され、いまだ発展途上にある、と言われたり、低開発である、と言われたり、新興国である、と言われたりしているのであるが、これらの国は、実は全て、ある美しく繁栄した時代から、後退している国々ではないのか。人口が減り続ける日本が、何世紀か先に振り返られるとき、今の時代は繁栄した時代、と呼ばれるのだろうか。そのように呼ばれるほどまでには、生活の質は高くはなかったのではないのかと思うのに、それでも、ここ数十年を頂点として、この国は、静かに後退していくのではないか、と感じている人は、少なくない。開発途上国というところに身を置きながら、実はその視点は、何百年か後の誰かが、日本を見る視線と同じなのかも知れない、と思うことは、寂しいことなのか、励まされることなのか、よくわからない。

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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第5回  スタイルを作る』はこちら

「第5回 スタイルを作る」ケアリング・ストーリー

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