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障がいがあっても前向きに生きていくには?

遊歩と宇宙の「自分がきらい」から「自分がすき」になる相談室画像

どうすれば障害を気にせず積極的な女性になれますか? 人を巻き込むには、自分に何が必要ですか?(いくこ&さき・31歳・フリーター)

自分の涙が最高の友だちです

ご質問をふたついただきました。人を巻き込むには、ということは、人と仲良くしたいと思っていらっしゃる、と受け取りました。

この社会の中に生きていれば、人と仲良くできないのは、障がいのせいだと思いたくなります。人類の歴史の中で、障がいをもつからだが肯定されたことは一度もありません。それどころか、ジェノサイドや無理心中などのかたちで殺されつづけてきました。今でもそうです。

ですから障がいをもつ私たちも、障がいをもつ自分自身を否定しがちになるのは当然です。けれど一方で、自分をゆるせない人、愛せない人を、他人がゆるし愛することは、非常にむずかしいことです。

私は、自分のからだを愛するために、自由を求めつづけてきました。車いすを使ってはダメと言われていましたが、仲間たちは車いすを使ったほうがいいに決まっているよ、骨が折れやすいんだから、車いすに乗っていたほうが骨折も避けられるよ、と言ってくれました。リハビリの観点とは違う彼らの言葉にはっとして、車いすを取得しました。

それまで外に出るときは、母や妹に背負われていましたが、車いすに乗り始めてからというもの、行動範囲は飛躍的に広がりました。

そうして人に出会う中で、考えたことがありました。障がいを持つわたし自身を好きになろうとする努力は、二つあるということです。

一つは、障がいゆえに持たされているハンディキャップを解消するために、動きつづけることです。これは、車いすを取得したり、階段しかない駅にエレベーターをつける取り組みをするなど、ハンディキャップをハンディキャップのままにしておく社会は「差別社会」なのだと意識して、行動する努力です。

二つ目の努力は、自分を愛し、自分を肯定することをさまたげる、さまざまな感情に向き合い続けることです。ちょっとむずかしいかもしれませんね。

私も、生きることはつらいことの連続だなあと感じることがよくあります。どんなに行動しても変わらない、つらい現実はたくさんあります。ただそんなときでも、語ることを続けています。涙もがまんしないでたくさん流すことにしています。人は、苦しみをため込みすぎると泣くこともできません。悲しみや苦しみを涙として外に出すことができるのは、からだの機能がうまくまわっているときなのです。

私は、自分の涙も人の涙も、最高の友だちだと思っています。障がいを気にして積極的になれないとき、人と仲良くしたいのにうまくいかないときは、泣きたいだけ泣いてください。

泣いたら気にしなくなるとか、人と仲良くできるとか、そういうことではありません。たくさん泣く時間を自分にあげることは、自分をゆるし、愛しつづけることの原動力となるのです。そして一歩、二歩と前に進んでいくことができます。

障がいを気にして、人と仲良くできないという思いを、日々、言葉にしてだれかに聞いてもらってください。涙をたくさん流しても、それでもそばにいるよという関係を、少しずつ築いていってください。つらい思い、泣きたい思いをためていくと、ますます自分を肯定できなくなります。

でも自己否定感もまた、私たちのせいではありません。

あまりにつらいときは、空を見てください。どんなに厚い雲の向こうにも、太陽はいつも光り輝いています。風や光は、動かない木にも少しは動き回れる私たちにも、公平に愛を注いでくれます。そうした自然に包まれている自分に、気づいてあげてください。あなたはこの自然、そして社会という人との関係の中でも、かけがえのない大切な人であるということを、自分自身に言ってあげられる時間があると、素敵です。

どうぞこれからは、二つの努力に少しずつ乗り出してくださいますように。必要ならまたお声をかけてください。(遊歩)

安積遊歩(あさか・ゆうほ)
1956年福島県福島市生まれ。生後40日目で骨形成不全症と診断される。22歳で親元から自立。 1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介。 障がいをもつ人の自立をサポートする。2011年まで、再評価カウンセリングの日本地域照会者。 1996年に40歳で愛娘・宇宙を出産。優生思想の撤廃や、子育て、障害を持つ人の自立生活運動など、様々な分野で当事者として、からだに優しい生活のあり方を求める発言を続ける。 著書に『癒しのセクシー・トリップ』『車イスからの宣戦布告』、共著に『女に選ばれる男たち』など。

安積宇宙(あさか・うみ)
1996年東京都生まれ。安積遊歩の娘。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車いすを使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学在学中。

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