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看取りの経験はないけど在宅看取りがいいなと思う理由

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初めて出合った死は、満100歳になる曾祖父の大往生だった。
自分は10歳ごろだったと思う。
祖父母の家に呼ばれたときにはもういろんなことが済んでいて、畳ならぬカーペットの上で、寝ているような静かな顔の曾祖父の枕元で、対面した。
眠っているような穏やかな顔で、少し黄みがかった顔色と鼻に綿がつまっていなければ、そうとはわからないくらいだ、と、こどもごころに思ったことを覚えている。

グラフは『家で生まれて家で死ぬ』(ミツイパブリッシング)p41より転載

80年代初めの話だ。
在宅死と病院死の数が逆転するのが1975年ごろ。
80年代初めといえば、在宅死が4割から3割をきろうとするころである。
病院死が増えたとは言え、在宅死もまだまだめずらしくなかっただろう。世の中には衝撃的な死もたくさんある。
しかし、人生で初めて出合った死が曾祖父の穏やかな死だったことで、死に対する感情的な(?と言っていいのか、適当な言葉がすぐ見つからないが)恐怖をもたずに済んだような気がしている。もちろん痛みや苦しみへの恐怖はあるけれど。

いま思えば介護の任を一手に負っていた祖母はたいへんだったと思うけれど、あの穏やかな死を孫たちに見せてくれた曾祖父には、感謝の思いしかない。

「家で生まれて家で死ぬ」シンポジウム in 札幌で講演いただく助産師の高槻友子さんと最終の打合せをした。
高槻さんからは
「どうしてこの本を作ろうと思ったの?」
「どこがいちばん印象的ですか?」
などなど、逆質問が飛んできてどぎまぎ。

本を作ろうと思ったきっかけはまた後日書きたいが、この本のもっとも印象的な点=特色=ポイントは、本の元になった東京・国立市でのシンポジウムに出演されたみなさんが、「生まれる」と「看取り」の当事者だったことだ。
かかわった人の当事者としての「思い」がぎゅーっとつまったシンポジウムで、私は出られなかったけれど懇親会まで、すごい熱量だったと後から聞いた。

シンポジウム当日は事情あって途中退席したため、後日、音源を改めて聴かせていただいた。
そして、このままではもったいない、本として当日その場にいなかった人にも伝え続けることができるものとして、残したい。
そうして共著者のご協力をいただき、誕生したのが書籍版『家で生まれて家で死ぬ』です。

札幌シンポジウムは今週土曜日、開催です。
https://bornhomefinishhomeinsapporo.peatix.com/

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