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「第13回 妊娠中絶について 前編」ケアリング・ストーリー

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 ブラジル北東部で長男を出産した直後だったから、2021年現在からすれば、あれは30年も前、ということになる。
 その頃,ブラジル北東部セアラ州で、かけ出しの母子保健研究者として仕事を始めていたのだが、妙な噂、というか、噂というより、母子保健研究を一緒にやっているセアラ州保健局の関係者からの話だったのだと思うのだが、セアラ州の州都フォルタレザ市で最も大きな産科病院である連邦大学附属の産院と、州立病院で、「不完全な流産」で来院する女性たちが一挙に増えている、という話を耳にするようになった。

火が落ちる前に浮かび上がる月

Photo by olivia maia on Unsplash

 ブラジルは現在ではプロテスタントも増えているとはいえ、もともとカトリックの国であり、妊娠中絶はご法度であった。いわゆる「宗教的、文化的な理由」で妊娠中絶を禁止していた。今も変わっていないと思う。
 世界中にはいわゆる先進諸国か開発途上にある国か、に関わらず、このように、宗教的、文化的、あるいは政治的と言ってもいいかもしれないが、そのような理由で妊娠中絶は合法ではない国も多いのである。アメリカ共和党右派を支える支持基盤には妊娠中絶絶対反対を唱える人たちも根強く、アメリカ大統領選のたびに話題になったり、州ごとに法律が違ったりしていることに、ニュースで気づいておられる方もあるかもしれない。

 妊娠中絶は外科手術としては最も安全な手術の一つであると言われており、衛生的な環境で専門家が行う場合、もちろんリスクはないわけではないが、ほぼ安全に行うことができる。そういうことができるのは、妊娠中絶が「合法」であるからできることなのであって、違法である国に住まう女性たちには、そのような環境は、提供されない。

 安全で衛生的な環境で妊娠中絶ができないからといって、女性たちが妊娠中絶をしないのか、というと、そのようには、ならない。妊娠中絶をしたい女性たち、妊娠中絶をしなければならない女性たち、というのは、本当に、女性の数だけいると言える、というくらい、多い。言葉を変えれば、女性たちの人生において、「妊娠中絶しなければならない」という状況が訪れる、ということは、本当に、誰にでもありうること、と言えるのだ。人ごとではないのである。だから、妊娠中絶が違法の国に住む女性たちは、それが違法であり、安全な方法で妊娠中絶を行ってくれる医療機関がないことを知っていながらも、妊娠中絶をしようとする。どんな危ない方法を使ってでも、妊娠中絶をトライする。「違法な妊娠中絶」は、「危険な妊娠中絶」と同義である。
 世界の妊産婦死亡の上位を占めるのは、だから「危険な妊娠中絶」になるのである。この「危険な妊娠中絶」が行われ続ける状況は今も変わっていないのは、そもそも、妊娠中絶をしなければならない、という状況が、そんなに簡単には誰かと共有できるものではない、と当の女性たちが考えることも多いからでもある。
 一方、妊娠中絶が違法の国にあっても、その国の大きな街では、大体1000ドルくらい出せば、安全な妊娠中絶をやってくれるプライベートで営業している産婦人科医を見つけることは可能なのであって、要するに、身も蓋もない言い方だが、「お金さえあれば世界中で安全な妊娠中絶は可能」なのだが、いつも困った状況に置かれるのは、その1000ドルを払えない、さらに、そんな情報の外にいるお金のない女性達なのである。

 1990年ごろ、ブラジルの辺境の街であるフォルタレザ市で、だから、「不完全な流産」で来院する女性たちが急に増えた、ということは、何らかの今までとは異なる方法で、妊娠中絶をしようとする女性たちが増えた、ということではないか、と思われた。
 母子保健のうち、とりわけ母性保健、つまりは女性たちの体のことを専門に研究しようとしていた私は、この、「現場で起こっていること」を探究する必要にかられ、女性たちに話を聞き、地元の薬局を訪ね、結果として一年間に大学病院と州立病院に「不完全な流産」で来院した4500名もの女性達を対象に調査をする、という大がかりな調査を行うことになる。
 この4500名の女性たちのうち、約半数が、シトテック(日本ではサイトテック、と言われる)、という商品名の、ミソプロストロールという経口プロスタグランジンE1製剤を服用していた。もともと手術しなければ治らなかった胃潰瘍、十二指腸潰瘍が、H2ブロッカーと呼ばれる飲み薬によって、治り始めたのが1980年代のことであり、経口プロスタグランジン製剤であるミソプロストロールも、同様に、「飲んで胃潰瘍を治す薬」として発売された。ブラジルをはじめとするラテンアメリカの薬局にも多く出回り始めたのである。この薬品の使用説明書にも、あるいは、宣伝パンフレットにも、大きく、「妊娠している女性には禁忌」であることが記されていた。専門家用の文章にも、お腹の大きな女性の図が書いてあって、上から大きなバッテンがつけられており、誰の目にも、この薬を服用すると流産する可能性があることが明らかであることが読み取れる。
 妊娠中絶がご法度であり、それであるにも関わらず、妊娠中絶する女性は、いつも存在するブラジルでは(こういう状況がブラジルだけでないことはすでに書いた)、このニュース、つまりは「胃潰瘍の飲み薬としてどこの薬局でも買える薬は、妊娠している女性が飲むと流産するらしい」、もっと簡単に言えば、「薬局で売っているシトテックを飲めば、妊娠中絶できるらしい」という情報は、ネットなどなかった頃であるが、あっという間にブラジル女性達の間に広まったのである。
 高いところから飛び降りたり、怪しい薬草を使ったり、闇の中絶を行う怪しげなクリニックに行ったりしなければならなかった、「妊娠中絶をしたい女性達」はこの薬を購入した。決して高価な薬ではなく、誰でも購入できる程度の値段だったのである。しかし、このミソプロストロールには子宮収縮作用はあって、多くの妊娠女性に出血を起こさせるのであるが、「中絶」するには十分ではなかった。つまり、この薬を飲んでも、飲んだ女性たちは完全に妊娠中絶ができるわけではなく、出血を起こすだけであることが多い。出血を起こしているだけで妊娠中絶できているわけではないから、この女性達には治療が必要で、放っておくと感染等をおこし危険である。
 妊娠中絶がご法度の国にあっても、「今、出血しています」という女性が病院に来たら、病院側は、「不完全な流産」として対処し、治療することが求められる。女性の側からすれば、「なんとか出血さえおこせば、大きな病院に行って、安全に妊娠中絶をしてもらえる」状況になっていた。それが、1990年ごろのブラジルセアラ州で起こっていたことなのだった。

 当時、世界ではAbortion pill、すなわち、「中絶飲み薬」として、ミフェプリストンという妊娠を維持する黄体ホルモンを抑える働きのある薬がすでに出回っており、フランスでは1980年代終わりから使われるようになっていた。この、ミフェプリストンと、上記のミソプロストロールを一緒に服用すると、初期の妊娠中絶が可能である、と言われるようになってゆく。現在、ネットで話題になっていたり、日本も認可を、と議論されている「妊娠中絶の飲み薬」は、この二つの薬のことである。飲み薬で中絶できるなら、手術より、そりゃあ良いのではないか、負担も少ないだろう、という文脈で議論されることが多く、それはもちろん、そういうところもあるのだが、「飲み薬」というのは、妊娠している女性に「流産」をさせることになるから、それなりの痛みと出血を経験させることになる。これは決して楽なことではない。私は30年前に、このミソプロストロールに出会って調査をすることになったのが、母子保健研究者としての始まりだったから、運命の薬、という感じがする(今や産科領域で広く使用されている有名な薬となっている)。もう少し妊娠中絶についての説明を続けよう。(後編に続く)

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三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『昔の女性はできていた』『月の小屋』『女が女になること』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』『少女のための海外の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

▼ケアリング・ストーリー『第3回  生活という永遠』はこちら

「第4回 最期まで自分の意志で過ごすには」ケアリング・ストーリー

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