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3.11から12年。『わかな十五歳』の著者がいまの心境を綴りました。

3.11から12年。
27歳になった『わかな十五歳』の著者わかなが、いま感じていることを綴りました。

(Facebookから転載)

あの日から私はずっと、生きることに必死だ。
「生きる覚悟」を持つこと、という題で講演会をするようになったのは、そのせいもあると思う。
いつかそんな覚悟などいらずに過ごせるほどになれればいいとも思ったりする。

なぜあの時あれほどまでに死にたかったのだろうかとあらためて振り返れば、ハッシュタグをつけるのであれば、

#孤独 #孤立 #罪悪感 

の3つの言葉が浮かんでくる。

私はあまりにもあのとき「ひとり」だと思った。皆を置いてきた、何も出来なかった、という罪悪感。誰も味方などいない、という孤独。誰にも理解されない、という孤立。

人間不信、という言葉で簡単に片付けられないほどの心理的な事情があった。原発事故から見た人間のおごり、憎しみ、妬み……いろんなものを感じすぎてしまったがゆえに、誰の手もとることができなかった。

あの時ほど、人を憎み恨み、そして悲しんだことは無かった。

命よりも大切なものがあってたまるか
という純粋な想いは今でも尚変わることは無い。

私も27歳だ。
当時の15歳の私に、
お前も大人になればわかる
と言った人がたくさんいたが、
今も分からない。
命よりも大切なものがあるわけないのだ。
金がないと困るのも
仕事がないのも困るのも
わかる。
でも、
命よりも大切なものなどないのだ。

理屈で言えばこの国には
生活保護もある。
仕事を選ばなければ、
人手不足の福祉や医療の仕事を身につけたりすればなんとでもやっていける。

極論、金は何とでもなる。
でも、命は取り替えもきかないし、
命はなんとでもなる、という言葉は私は少なくともこれまで生きてきて聞いたことは無いし、聞いたとしてもなんとも胡散臭い言葉である。
なんとでもならないのが
命、ではないか。
大人、という分類の人間になっても、
やはりその考えは変わらない。

私はとても弱い人間だから、
ヘタレだし、
仕事や金より我が身の命の方が大切だ。
そして、大切な人……愛する人の命が大切だ。

津波が来て逃げることも、
戦争から逃れるために疎開することも、
誰からも責められることは無いのに、
なぜ、放射能から逃げたら非難されるのだろうか。
なぜ、そこに残る人の気持ちを考えろ
と説教されなければならないのか。

私にとってはやはり、
「生きる覚悟」はずっとずっと持ち続ける覚悟なんだろう。

いつも、生きることに向き合っていたい。

面倒な生き方かもしれないけども、
私にはその生き方があってるし、
その生き方しか選べないようだし、
その生き方が好きだ。

本当はどうしたい?
その望みを叶えられるのは自分だけだ。
自分の身を無視してそれを成し遂げることはできない。無視すれば、その望みを目前としても手に取ることが出来ずに終わるだろう。
したいことをする。
シンプル且つある意味困難極まりない生き方である。

自分と仲良くなるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
生きる覚悟をブレずに持つことも。
だからこそ、時に死にたくなる。自分が分からないし分かろうともしない時があるから。正に孤立。

明日死ななきゃいいな。
自分と不仲なまま不満だらけで死ななきゃならんだろうから。
と思うと、和解したくなる。
間もなく12年。
私が私自身のために生きるようになって
12年、でもある。
12年前ハリボテの自分の向こう側で干からびていた自分に出会い、何度も通って迎えに行ったのだから。
そう思うと、ほんの少しだけれども、
前を向いて胸を張れる。
生きててくれてありがとう
出逢ってくれてありがとう
そう思える今が在ることに希望があると思う。
パンドラの箱の答えはここにある。
私はそう思いながら12年を迎えようとしている。。。
私の12年は
生きることとはなにかということを考える時間だったんだろうな……。

全文はこちら(Facebookページに移動します) https://www.facebook.com/wakana.official/posts/593517776162256

わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11

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